独りの戯言


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分相応

「分相応」、「身の丈を知る」、年齢が高くなってくると、若い時の過ごし方の差が出てくる。色々な人の話を聞いていると、子供や孫に多大な精力を注いでいることが分かる。分相応の「分」は、ずっと「身分」の分だと思っていた。封建時代の身分は時には、「生殺与奪」の権限の差にまで及ぶ。私が育ってきた時は「身分」など意識したことはなかった。今透けて見えるのは「階級社会化」による「分別」だ。どれだけその人の世界が広いかと、併せてどれだけ金と資産を持っているか、これが現在の価値の根本だ。

分相応というのは、否応なしにその区分に放り込まれて、「自分の資産『能力、経済力、生命力、好奇心、周囲に対する影響力』」を、きちんと使い切れよ、という箴言のような気がする。最後は自分に戻ってくる満足感だと思う。偉大な父や祖父から受け継いだ、資産や情報ルートや自分の健康を、その立場立場できちんと使いきっているか、そのバランスが外れると結局自分が見えなくなるし、それが「分不相応」なのかもしれない。

木造アパートに住んで、ベンツを乗り回す、「一点豪華主義」という言葉が流行ったときがある。冷笑的に扱われたが、自分が満足していれば、それでもいいんじゃないだろうか。

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by zoofox | 2018-07-31 19:47 | 考えること | Comments(0)

タモリ

朝起きて、ベットの中で何の脈絡もなく頭に浮かぶことがある。

「タモリって、何だったんだろう」、とふと考えてしまった。タケシ、サンマ、タモリと並べて、タケシとサンマは、ひらめきや表現から「天才芸人」と言えるだろうが、タモリは「普通の人」であることを売り物にしていた。私生活と仕事を切り分けて、特に歌番組では、低いテンションを売り物にしていた。少し遅れてきた、所ジョージは、大物と組むことによって自分の良さを作りだした。この人は大橋巨泉に一番似ている。いわゆる「趣味で仕事をしている」。

タケシ、タモリは私よりほんの少し年上だ。タケシは舞台からテレビに移り、役者になって監督になった。で、タモリは何なんだろう。私はタモリには「努力型のサラリーマン」を感じる。表舞台を降りた今は好きな番組にだけ出ている。かなりの知識人には見えるが、政治的な発言はしない。聞き役だ。一種のブラックホール的存在(分かりにくいだろうな)に見える。身体全体で「私は『タモリ』から退職しましたよ」と言っている。

人気に左右されないからスキャンダルもない。

何で朝からこんなことを考えているんだろう。さあ、飯作るぞ。


※玄関を開けて新聞を入れたら、ブロック塀の側にアブラゼミがひっくり返っていた。細かい蟻が沢山寄って、蟻道ができている。部屋に戻ってデジカメを取り出したら、同居人に掃除されてゴミ箱の中に捨てられていた。蟻だって折角のご馳走がいきなり消えたら、右往左往するだろうな。彼の短い夏は終わったんだ。

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by zoofox | 2018-07-31 06:22 | 気になること | Comments(0)

隅田川の花火

子供の記憶はいつ頃からあるのだろうか。私は「立ち歩き」ができて、箪笥の下でおむつをしていた。箪笥の引き出しに、ゴム引きのおしめカバーが入っていて、箪笥を見上げながら、(あれは嫌だな)と思ったのが、一番古い記憶だ。産婆さんが来て、奥の四畳半で妹が生まれる前後の記憶は、はっきりしている、三歳半ぐらいだろうか。その夜は、それまで母親と寝ていたのが、場所を奪われ、祖母の布団に入り、最後は父親の布団で寝た、嬉しさと淋しさを覚えている。

隅田川の花火はいつ始まったのかあまりはっきり覚えていない。隅田公園は桜を見に連れて行かれた。子供の足では大層遠い気がした。母親が妹をおぶい私の手を引いて歩いて行ったのだから、上の姉兄は学校に行っていたのだろう。急な雨に降られて、言問橋の下で雨宿りをしたのを覚えている。その後護岸工事で、桜は抜かれ、随分経ってからもう一度植えられた。その頃は花火大会はまだなかった。

多分何かを記念して、花火大会が始まった。当初は古い家の縁側から両国方面に上がる花火が見えた。花火が見えてからしばらくして音が追いつく。家が建て込んで、今は屋上の塔屋の上に登らないと見えない。今の花火は当時に比べて小さくなった。黒玉(花火の燃えかす)が浅草やこちらにも飛んで、三寸玉に制限されたはずだ。近くで見るとそれなりに大きいが、千曲川や長岡とは、大きさも高さも腹に響く音も比べものにならない。「花火を見に行くと首が痛くなる」のが普通だったが、今はそんなことはない。

隅田川沿いにマンションがあったから、そのベランダで毎年花火を撮った。三脚を据え、バルブを長いレリーズで留め、黒い下敷きでレンズを開けたり閉めたり、三つ四つの花火を一画面に入れた。「無限遠のF8だよ」写真屋の社長が教えてくれた。花火写真は三年で飽きた。最後の年は、望遠レンズで手持ちで撮った。望遠で撮ると花火はまた違った顔を見せた。手持ちで手がぶれたり、開いた瞬間にズームをかけると、思いもしない効果が出た。「これどうして撮ったんだよ」と、仲間に聞かれたこともある。そのネガを一生懸命探したが見付からない。引っ越しの時見た記憶があるのだが。

一日遅れの花火大会は、色々なことを思い出させる。

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by zoofox | 2018-07-29 22:26 | 子供時代 | Comments(0)

たまに立ち止まり

自分で自分の書いてきたものを時々読み返す。似たようなことを書いていることもある。(こいつ何を伝えたいんだろう?)と、自分のことながら少し呆れる。

他人様のブログを拝見すると、コツコツと同じテーマを追い続けている方もいる。毎日の行動をスマホの写真と同時に発信する方もいる。犬やネコや小動物との交流をメインに続けられている方もいる。

一方、私はどうだ。政治的主張がある訳でもないし、写真・写真と言う割には、フィルムカメラもデジタルカメラによる写真も、「写真表現を極める」などということとは縁遠い。車・車と言う割には大した車に乗っている訳でもないし、車で旅する様子もない。蘊蓄は多いが果たして信じて良いのか悪いのか。

大体大層な「限界生活」とは何だ。

「限界」とは不思議なもので、自分で意識して広げようとしない限り、だんだん縮んでくる。(はは~ん)と無意識でしていたことに気付くことがある。年齢とともに行動範囲も身体の自由も、人間関係も、脳内生活もだんだん縮んでくる。意固地になる。主張を曲げない、自分の誤りを認めない。「孤高」という言葉があるが、別に思考内容が高い訳ではなく、新しい情報を処理しきれなくて、従来の経験がベースになって、世の中からみれば「孤立化」する。きっとそれを恐れているんだな。

ある年齢になると、何事にも「もういいや」という部分が出てくる。それを止めるのは「好奇心」だ。限界の環を縮めないように支えるのも、新しいものを取り入れる好奇心かも知れない。幾つになっても「知らなかったこと」は毎日沢山ある。唐突だが、「岸信介」とはどんな人間だったか。1960年ハガティが来日したとき、早稲田講堂に向かう黒い車をとめたデモ隊の熱気は何だったのか。これだけの反対が明確だったのに新安保条約は成立した。日本は当時とてつもなく熱い国だった。・・・こんな近い過去に対する好奇心もある。

要するに「年齢との戦い」かな。

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by zoofox | 2018-07-29 10:35 | 自分のこと | Comments(0)

サンクコスト

新聞の「土記」というコラムに、青野由利さんが書いている。経済用語では「埋没費用」というらしい。何か自分で身の回りを整理していると、うすうす感じていたことでもある。原発、特に「もんじゅ」の扱いについては、この経済用語を知らない私でも(こんなの駄目だよな)と思っていた。日本にはもっとぴったりの言葉がある。「泥棒に追銭」は正に同じ意味に思える。「手切れ金」とも似ている。

在職中の研修では、「勇気を持ってスクラップアンドビルトを行う」、と聞いたし、実際の仕事でも前の仕事を決着を付けないと、同じ器の中に違う仕事は取り込みにくい。しかし、前の出来事を精算するために経費が必要になることもある。

前の会社で業績が悪くなり希望退職を募ったときに、「銀行は希望退職の経費は、文句を言わずに融資する」と聞いたことがある。譬えは悪いが「腐った部分を切り落とせば、再生する可能性が見えれば、金は出す」と言うことなのかな。

この「貸し倒れ予測」が付くうちはいいが、ギャンブル依存症には、「儲けた時の気持ちよさ」しか記憶が残らない。そしてズルズルと負けが込んでいく。

違う言葉で言うと「悪い循環を勇気を持って断ち切る」と言うことなんだろうな。そのための一時的なコストは、長い目で見れば、全体の健全化のために致し方ない。ということなのかな。(失敗した)と気が付いたときの車の買い換え、唯々諾々と関係を続ける戦勝国との関係。日本を食い物にする国との関係。反動や出費は多くても、思い切って断ち切れば次の展開が開ける。

まあ、男女間のことは経験がないから何とも言えないが、そんな「金食い部分」はさっさと切り捨てるべきだな。金は大して食わないが、「何時かは役に立つ」と持っている、メモリやハードディスクとパソコン、フィルムカメラ、衣服もそうだ。ここは金を掛けても捨てるべきかな、やっぱり。

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by zoofox | 2018-07-28 09:15 | 言葉 | Comments(0)

花火は延期

今日は区役所で、色が薄くなったバイクのナンバープレートを交換してきました。もう乗り始めて20年ほどになるでしょうか。今は「ご当地プレート」という花柄のプレートに無料で交換してくれました。隅田川を越える橋は、足場パイプで補強されて、間違っても観客が飛び込まないように厳重に化粧されていました。

時ならぬ台風の接近で、明日の花火大会が一日延期されました。餃子屋さんでも肉屋さんでも、「延期だってね」と台風の接近を話題にしていました。

墨田区では吾妻橋からスカイツリーを結ぶ直線、を何とか商業活性化に使おうと一生懸命です。お陰で私達の所には税金が回ってこない。文句はさておいて、スカイツリーにもできる前は大きな期待を持っていました。

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「建設中のツリーの写真大会」というのもありました。出来上がったツリーはいつでも見られるけれど、建設中のツリーの写真は遠い将来にはレアものになる、とばかりみんなで写真を撮っていました。まあ、マジンガーZの頭のような時期が続きましたが。頂上のクレーンがいつも話題になりました。

京島から撮ったこの写真、「2012.08.28」というタイムスタンプがあります。写真を撮った日か、ファイルをコピーした日かは今になっては分かりません。隅田川花火は雨が降っても実行するので有名ですが、中止と途中中止という年があったように覚えています。そんな関連で、古い写真を引っ張り出してきました。

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by zoofox | 2018-07-27 23:46 | 身の回りのこと | Comments(0)

SNSとSMS

最近も「水球の問題」で、呟いた監督が削除したり、大きな波紋を呼んでいる。これは「SNS」の話だ。私は携帯電話でアドレスが分からないときに、短いメールを送る。これは「SMS」だ。SNSには知っているだけでも、Facebook、Twitter、Google+、LINE、Instagram、mixi、と沢山あるものだ。

私はFacebookの始まりの頃参加しようと思ったが、「実名登録」ということに疑問を持って、以後参加していない。mixiは時々行くが、これもSNSとは知らなかった。私は電脳空間で友人と連んだり、仲間になったりする必要性をあまり感じていない。反対に「クローズドな場所」といえども、そこで個人を出して意見を発信すると、必ず漏れて時として大問題になる。昔ながら「ホームページ」と「ブログ」だけで充分だ。ここではどんな意見も「自分の責任」の範囲で書ける。その代わり他人様が読んでくれなくても気にならない。自分の空間だ。

「見て見て、この間安倍総理も来てみんなでお酒飲んだのよ。楽しかったわ」と、仲間内だけの筈の話が、公人の場合は、公人としての立場、大災害の始まりだったり、翌日の大量死刑の前だったり、他の要素が絡んで公人としての資格を問われる。

ちょっと前はLINEが原因で子供達のいじめが大きな問題なった。メールの感覚でSNSを使うからこんなことになる。今の時代「ここだけの話」など、存在しなくなっている。

トランプが気軽に発言する言葉は、立場を考えたら発信できる内容ではない。個人の思惑だけの質問のない記者会見など、一国の大統領がすることとは思えない。

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by zoofox | 2018-07-27 15:29 | 気になること | Comments(2)

病人的生活

昨日は、11時半に家を出てから午後6時過ぎに帰宅するまで、病院に縛られた。事前検査があるときだけ休み時間に受け付けてくれる。12時少し過ぎ血液検査だ。63項目の検査のために血液を3本採られる。「ちくっとしますよ~」、そんなこと言わなくてもいいと思うのだが、採尿といつものパターンだ。

待合室の椅子で、持参のおにぎりを食べる。セブンイレブンの明太子おむすびは好きなのだが、塩分含有量に驚いて、もう一生食べられない。診察は2時の予約で2時半頃。この2時間半は血液検査の結果の出るまでの時間だ。今回は毎朝の血圧と体重を、二ヶ月分エクセルで表にしたものを渡してきた。

7月の中旬から体重が暫増しつつある。この理由は後で分かった。血圧の薬を減らしたのに、血圧は110~60代で落ち着いている。これは気温のためだと思う。この女医は30分ぐらい診察時間を取る。クレアチニンは高い。「まあ、誤差の範囲ですよ」と最初に比べあっさりしている。今の私に一番大切な「尿蛋白/尿クレチニン比」が、検査中でまだコンピューターには届いていなかった。グルコースとHbA1cが久しぶりに境界値を超えた。(そんなに食べている訳じゃないんだが)。そのまま「栄養指導」に回る。

直近三日間の食べたものと食材を書き出す表に、写真を加えて一冊のノートにしてある。栄養士の画面にも私の検査結果や、投薬は共有されている。「尿蛋白/尿クレチニン比」が蛋白の検査を終えて出ていた。今までにない特別良い数字だ。「良かったですね~」と美人の栄養士さんは喜んでくれる。体重がじりじりと増えてきた原因を彼女は見つけた。飲むヨーグルトと熱中症を恐れて飲み出したあるドリンクが主因らしい。成分表を見てはいたが、100g当たりの成分を一本(約500g)に換算しなかった。5倍すると恐ろしい数字になる。これを一日二本も飲み続ければ、デリケートな私の身体(?)はひとたまりもない。

「野菜を10分かけて毎食、茹でたものなら掌大くらい食べて繊維質を採ってください。ご飯はもう少し増やしてください」これが結論だ。10分なら全部食べ終えて食器も洗い終わっている。ゆっくりと私にあった指導をしてくれる(感謝)、また薬局で待たされた。

今日は濃い赤いTシャツに、色あせたポロの青い薄いジャンパー(ゴルフ用)にジーパン、サングラス、いつもと同じだ。服装だけは昔と変えない。爺臭い服は持っていない。日差しが強いほど上着は必要になる。病気と言っても半分は自分の責任だ。

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by zoofox | 2018-07-27 06:33 | 自分のこと | Comments(0)

「ごめんな」

朝刊の一面トップに、西日本豪雨で亡くなった、倉敷市真備町の80代中盤の老夫婦の話が載っていた。立派な平屋の家に住み、増水した水を避けてテーブルの上に上がり、それでも水没して亡くなったという。配達された新聞を家の中に入れるまでにその記事を読んで、目頭が熱くなった。先のタイの洞穴事件でも感じたが、閉所恐怖症の私には辛い。(恐かっただろうな)としみじみ感じた。

子供の頃、ネズミ取りの籠にかかったネズミを始末するのは、私の仕事だった。大きなバケツに水を入れて籠を沈めるときに、いつも(ごめんな、ごめんな)と心の中で謝っていた。人間には選択肢があるが、ネズミには罪はないし逃げ道もない。家の者は「ネズミを何とかしろ」というから、粘着糊のペッタンや籠を使うが、彼等を始末するときに何時も後ろめたさを感じていた。(これがもし俺だったら)と思うと、本当は逃がしてやりたいほどだ。

「命」って大切なものなんだって、子供なりに解釈していたんだろうな。

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by zoofox | 2018-07-26 09:48 | 自分のこと | Comments(0)

耳のセミ

私が「セミの声」を特別気にするのは訳がある。1991年初夏、会社のトイレで力一杯鼻をかんだ時から、右の耳に突発性難聴が発症した。お客さんの所で話をしているうちに、言いようのない感覚で気持ちが悪くなった。丁度「NECの9801DA」というパソコンを購入した頃だ。近所の耳鼻科は、「神経じゃなければいいんだけど」と言いながら鼓膜を通して長い針を内耳に入れた。安静にして点滴を受けたが一向に改善しなかった。

お茶の水の病院に入院した。当初はほとんど聞こえなかった右耳が半分ほど聴力を取り戻し、高音部が聞こえない状態で症状は固定した。散歩で湯島聖堂の周りを歩いていると、五月蠅いほどのセミの声が、左耳から入ってくる。(こんなものかな)と呑気なものだ。病院には色々な症状の人がいる。残った症状は、映画館や劇場で大音響で音楽や芝居を観ていると、左右のバランスが取れずに、気持ちが悪くなった。

右耳は聞こえなくなった分耳鳴りが残った。アブラゼミの声、ガチャガチャという音、表現しようもない経験だった。30年近く経って、右耳の聞こえない部分は左耳が補完する。よく言えないが脳の中で左右変換を自動的にしてくれているようだ。右側の人の言葉も左から入って、ちゃんと右から聞こえる。音楽もテレビも見られる。コンサートは何度か行ったが、電気的な大音量は打つ術がないらしい。

そんな訳で、セミの声は私の難聴の象徴になった。虫の鳴き声は高周波だ。セミは低いようで周波数が高い。側で聞くとセミの羽ばたき音だけが聞こえる。音は気配を運んでくる。そんな意味で大切な器官だ。「セミの声が聞こえる」というのは、私の喜びの表現の一つなのだ。

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by zoofox | 2018-07-25 13:12 | 自分のこと | Comments(0)