独りの戯言


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カテゴリ:思い出( 13 )

父さんの帽子

父は短軀の人だった。町道場のエースで草相撲の花形だったそうだ。背は低くても胸板は厚く腕は太かった。襟を閉めるのが嫌いで真冬でもシャツをはだけて、胸毛がはみ出していた。何時もにこにことした好々爺の思い出しかない。その父は私がもの心ついた頃には何時も野球帽をかぶっていた。阿弥陀にかぶった野球帽の下でにこにこと笑っている写真がある。晩年は黒い毛糸の帽子を好んで被っていた。妹が就職してから毛糸で自分で編んだものだ。私の記憶では代が変わっただろうが20年くらいは被っていた気がする。

私も父と同じような頭になって、仕事を辞めてからは面倒で丸坊主にしている。私はゴルフ好きで、夏物冬物とキャップを沢山持っていたが、丸坊主にしてみると気持ちはいいがキャップでは寒い。何年か前から毛糸の帽子を赤、黒、茶、緑と各色揃えて、外出の時は上着に合わせて被っていた。父と違うのは、何時もにこにことしてた顔ではいられない性分だろう。

(きっと冬は頭が寒かったんだろうな)と今頃気がつく。外から見て「寒い」というのと実際に「寒い」は少し違う。私は一日中家の中でも毛糸の帽子だ。体の中でも頭は、一番先に汗をかくし、一番先に寒さを感じる。勤めている時は「スポーツ刈り」だった。ほんの数センチの長さが寒さを避けているものだな。


by zoofox | 2019-01-12 06:16 | 思い出 | Comments(0)

蚊帳の中

「浪曲」を思い出したら、一緒にくっついてきた思い出がある。やはり同じ時代だ。私の家は7畳半の板の間と6畳と4畳半の和室、3畳程の小部屋、台所があった。板の間の部屋は商売していた時の「店」の部分だ。3畳の小部屋は、後から押し入れを壊して部屋にした。私が小学校に上がる前は、主に6畳と4畳半に7人家族で暮らしていた。同級生の長屋よりは余裕があるが、人数が多いからやはり狭い。でも昔の家は「無駄な空間」が幾つかあった。廊下の突き当たりの半畳ほどの物置、店から部屋に至る間の通路。子供は小さいから狭さは苦にならなかった。特に通路は両壁に本棚があり、子供が二人隠れて壁にもたれて座れる空間があった。上には棚があったと思う。

夏になるとどこから出してくるのか、母親は6畳と4畳半に緑色と白い蚊帳を吊る。部屋の隅には蚊帳の紐の環をかける釘があったと思う。初めて蚊帳を出す時は大騒ぎだ。暑苦しいのと風が通らないのには閉口するが、蚊に刺されるよりはましだ。多分庭に面した雨戸は開けていたのかも知れない。それでも蚊は入ってくる。子供は蚊帳の端に引っかかって時々蚊帳が落ちてくる。庭には草が沢山生えていたから、ヤブ蚊はどこでも生まれてきた。蚊帳を通してみると家の中が違って見えて、まるで他人の家に行ったような気がした。

蚊帳の思い出は幼児の頃から、扇風機を使うようになるまであるから、かなり長い間だったのだろう。蚊がいなくなったのが先か家を修理したのが先か、身近すぎて覚えていない。最近は蚊も出てこない。

私の記憶の中では、小学校に入る前と後で覚えていることが随分違う。この幼児期に親は忙しいが、祖母がおり兄や姉がいて結構親以外の目も届いていた気がする。保育園も幼稚園にも行かない時代だ。入学前に私は家でひらがなとカタカナを習い、数字を書けるように姉や兄からしこまれた。幼稚園に行っていた子供は、小学校で肩身を狭くしていた少数派だった。晴れていれば目一杯外で遊び、夕飯を食べるとすぐ寝る子供だった。だから蚊帳にくるまって叱られたんだろうな。

今の年齢から考えると、よそ見をしていれば通り過ぎてしまうような期間に、子供は成長の過程で色々なことを覚えていく。夏の蚊帳、冬の豆炭の泥あんかは、そんな記憶の味付けになる。

by zoofox | 2018-12-18 06:01 | 思い出 | Comments(0)

浪曲

ふと何かの所作をした時に子供の頃を思い出す。一つ思い出すと関連して次から次へと思い出は繋がる。その時の周りにいる人達の様子や雰囲気もついでに思い出す。玄関を上がりかかって、(最近、浪曲を聞いていないな)と思い出した。子供時代の楽しみは家族で聞くラジオ番組だった。意外と日曜日の朝NHKで「藤原○○さん」が司会をするクラシックの音楽番組はずっと聞いていた。上の兄姉が学校に行くと私は裁縫をする母の側で、朝のラジオ歌謡やドラマ「ちゃっかり夫人とうっかり夫人」などを聞いていた。

夜は早く寝ていたのであまり記憶はないが、落語と浪曲は父と一緒に楽しみにしていた。広沢虎三が大人気の頃で「森の石松千石船」などは実際に聞いている。覚えているのは、NHKの「のど自慢」で、「浪曲」や「物真似と声帯模写」、「民謡」が大きなウェイトを占めていたことだ。今の予選で規格化されたのど自慢ではなく、マイクの前に次から次へと人が出てきて、どんどん進む面白い番組だった。他にも民放で独立した「浪曲天狗道場」などという番組があった。

真似されるのはほとんど同じ演題、同じ人だ。「旅行けば~(虎三)」、「妻は夫を労りつ、夫は妻を慕いつつ~ 壺坂霊験記(浪速亭綾太郎)」など三、四人の人だから子供は嫌でも覚える。一言唸りだしてすぐ鐘が鳴るから、頭の所だけは覚えている。浪曲というジャンルが一つ独立していた。壺坂霊験記がどんな物語だか私は知らない。

日本人の歌文化に一つの位置を占めていた、浪曲と民謡は今はどうなったのだろう。長い修行を必要とされるものは敬遠される傾向にあるのかな。

by zoofox | 2018-12-17 06:06 | 思い出 | Comments(0)

徳川家康

30歳前後の時、山岡荘八の「徳川家康(全26巻)」を一気に読んだことがある。毎日の出張先のホテル暮らしでは本を読むことは大きな楽しみだった。行く先々の本屋さんで数冊ずつ買い求めては読んでいた。何ヶ月かかったのか記憶にはない。その後何度か読み直したことは記憶している。

しばらく経ってから気が付いたのは結局、「徳川家康の軌跡」を読んだのではなくて、山岡荘八の「思い込み」に共感したのではないのかな。最初からあの時代の武将がこんなに緻密に考え、戦略を立てて生きるか死ぬかの勝負をできたのだろうか、という点は疑問だった。山岡荘八は家康になりきり、自分の考えを家康の生涯を通じて述べていたのではないか。その後は山岡荘八の戦国時代物は、本になっているものはひととおり読んだ。あの凝縮された100年程の時代を歴史絵巻として見るには格好の教本だった。

私は歴史の専門家ではないから、山岡荘八描くところの歴史が正確だったのか否かは検証できない。本が書かれてから60年以上の月日が経って、今では解釈の違う戦国物も描かれている。(あれ、この時この人はここにいないはずだ)というような違いが時折目に付く。どちらが正しいかは、面白ければいいと割り切っている。これは「歴史」ではない「小説」だと、改めて自分に言い聞かせて置かないと間違えてしまう。時代考証、地理的考証、人間関係の考証、時代が近くなる程に、色々な本が書かれる程に諸説が出る。

有名な「人生とは重い荷物を負って、坂道を登るようなもの」というくだりは、文中で読んだような気もするし、別の所に書いてあったような気もする。もう忘れた。この言葉、噛みしめれば思い当たる言葉だ。しかし、「家康の言葉」としてはだんだん年が家康に近づいてくると、(あいつは絶対にこんなことは言わない)という確信に変わる。家康は悲しいことが多すぎて、詠嘆とは無縁の男になっていたはずだ。第一坂を登っている最中に「大変な坂を登っている」とは普通考えない。ずっと後から比較して考えつく類の言葉だ。突っつき所は沢山あるが、こんな面白い小説は読んだことがない。戦争が終わって10年ちょっと、新聞に連載し始めた小説で、山岡荘八は何を言いたかったのだろう。(こんな男が何人かいれば戦争には負けなかった)と思ったのか、もっと別のことか、今読みたいと思っても、手元の文庫本はばらばらになっている。

by zoofox | 2018-12-16 05:32 | 思い出 | Comments(0)

地獄の特訓

首の周りに「ねばい汗」をかいて目が覚めた。まだ0時半だ。何時もの就眠儀式を省いて寝たら、ぐっすりと3時間程寝た。普段ベットの中で目をつむる時間だ。目が覚める直前に、夢を見ていた。もう40年近く前になるだろうか、会社でそろそろ部下を持つ年齢になった社員に「通過儀礼」のような研修があった。郊外のスポーツ施設に一週間缶詰になって、泊まり込みの研修を受けた。私は覚めているつもりだったが、今になってもまだ覚えているのは、やはり「マインドコントロール」だったんだろうな。

睡眠を奪い、大声を出させて思考力を奪い、部屋単位の団体責任で縛ると、容易に人間の心は違う所に行ってしまう。アメリカの軍隊の訓練風景は、ドラマや映画で随所に見られが、身体を使って大声を出させ極限まで追い込むと、興味の方向が縛られ、死ぬことまで恐ろしくなくなるのかも知れない。ともかくそんな研修が流行った時期がある。同じグループで一日20時間程寝食を共にし、一週間も過ごすと何となく「人間」がむき出しになる。狡いか素直か、真面目不真面目などはすぐ分かる。まあ私も見られていた訳だが。

そんなことがあったな、と思い出した。この研修には色々と「後日談」があるが、ごくローカルな話題になるので細かくは書けない。ともかく一週間ぐらいは多かれ少なかれ影響は残った。朝礼でいきなり大きな声で話し出す人がいると、(あいつ、まだ残ってるよ)と夜のお酒の話題の一つになった。毎年同じ時期に繰り返されたが、私が転勤になって以降のことは知らない。

「効果はあったのかな」と考えると、あまりない。人間の根性はそう簡単に思い通りにはならない。ただ、「一日数時間の睡眠でも、一週間は大丈夫」という変な自信は、後日役に立った。

変な時代だったな。

by zoofox | 2018-11-15 01:39 | 思い出 | Comments(0)

樺(かんば)先生

樺先生の最後の講義は、何時もと違う教室だった。大きな教室一杯に学生以外の人も集まっていた、と記憶している。安保反対のデモで娘さんをなくしたことは、授業では一度も発言されたことはない。もう、この講義の内容も定かな記憶ではない。私はかなり前の列にいた。記憶に残っているのは、最後の講義で少し娘さんのことに触れたことと、一番最初の講義で、「私はリベラリストです」とおっしゃったことだ。

この「リベラリズムを信奉するもの」という意味が難しい。「自由主義」で「民主主義」の名前を持つ「自由民主党」は、本来ならリベラリズムの実現者であるはずだ。今の党員はそんな意味も知らないだろう。

「じゃあ何がリベラリズムなんだ」と問われても、耳触りが良い言葉だけに、いろいろな場面で使われ、私には簡単に定義できない。今では前向きにも後ろ向きにも使われる。自由主義社会を「国家の統制に対し、個人が自由に判断し実行する権利を有する」と理解したら、世の中「野放し放牧状態の自由」になってしまう。歴史的にはいろいろな説がある。著書も多い。

簡単に聞いて納得する言葉は多いが、理解して納得することは難しい。だから私には使えない。何か拠り所のない夜、ふっと思い出す。

by zoofox | 2018-09-21 23:49 | 思い出 | Comments(0)

赤とんぼ

他人の言葉に誘発されて、長いこと忘れていたことを写真のように思い出す。それは大小二回あったと思う。小学生の頃か中学生か高校生かそれも覚えていない。多分秋の初めなのだろう、赤とんぼの大群が西から東に飛んできた。電線に鈴なりに止まり、木も道路も至るところが赤とんぼで埋め尽くされた。学校から家に向かう一本道から、大通りの電線に数え切れない程止まっていた画像の記憶だけがある。

もう一回は、もっと前に小学校の二階の教室から、赤とんぼの大群が飛ぶのを見た。

人間の記憶って、いい加減なようで画像的で、面白いな。私の古い記憶は大体画像で、私を背後から見ているように思い出す。

by zoofox | 2018-08-29 22:24 | 思い出 | Comments(0)

夏の花

私は初夏に生まれた。夏は好きだが太陽光には弱い。子供の時から色が白くて、海水浴に行くと真っ赤に日焼けして、熱が出る。一週間もして皮が剥けるとまた白い肌に戻る。これは遺伝による体質だから、仕方ない。車の窓枠に肘を出して、ゆっくり精一杯焼いても秋にはまた戻る。これは今でも同じだ。メラニンが少ないか排出が早いのかも知れない。

夏になると、ふいに思い出す言葉がある。「夏の花」と「常磐木(ときわぎ)」が、二つくっついて出て来る。夏の花は原民喜の被爆の本だ。常磐木は梶井基次郎のイメージがあるがはっきりしない。「夏の花」は夾竹桃のイメージがある。夏の暑い最中に原爆の熱い洗礼を受けた。本の内容はほとんど覚えていない。

カフカの変身とか、カミユの異邦人なども同時期に読んだ。何しろ最初に覚えている小説は、小林多喜二の「党生活者」だ。「蟹工船」の後ろにあったと思う。小学校の高学年から中学に掛けては、身近にある本を手当たり次第読んでいた。家族も学校の先生も、「あれは読んでいい、これは駄目だ」など、とひと言も言われた記憶がない。姉が働き出して、日本と世界の全集ものを買ったから、選り取り見取りだった。ドフトエフスキーの「罪と罰」、「カラマーゾフの兄弟」も同時期に読んでいる。今になると何も残っていない。ロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」だけは、その後も何度も読んでいる。

もちろん言葉の意味も内容の示すところも理解できるはずがない。「党生活者」を「トウセイカツジャ」と読むのか「トウ・セイカツシャ」と読むのか、本の意味が分かったのは大部大きくなってからだ。読んだときには意味が分からなくても、時間が経って何度も読むうちにだんだん分かってくる。

最近の子供は本を読むか読まないか知らないが、子供が童話好きだと思ったら大きな間違いだ。(こりゃ嘘だ)と子供なりに知っている。「○○(私の名前)、何読んでるんだ。ほーすげえなあ~」と言われても、その先は干渉してこない。塾や習い事もいいが、マンガやTVの他に「読書」も自由にさせるべきだと思う。軽い本より、ビッグネームのとんでもない重い本を、子供は子供なりに読みこなす、第一「漢字を覚える」、私は読めない熟語があると前後を類推して読んだ。辞書を引けるようになるずっと前の話だ。

「常磐木」は何に出てきたのか定かではない。これは学校の教科書にあったと思う。

by zoofox | 2018-08-12 10:36 | 思い出 | Comments(0)

希望

岸洋子という歌手を御存知だろうか。フォークソングに飽きた頃、菅原洋一と岸洋子の歌を良く歌っていた。

ラジオの深夜番組で「希望」という歌を知った。「♪ 希望という名の あなたを訪ねて、今日も私はまた汽車に乗る ♪」、ラジオで聞いて録音し、ギターで音を拾いコードを付けた。私が初めて聞いたときは4番まで歌詞があった。今、「岸洋子 希望」で検索すると、私の知っている岸洋子さんより随分痩せた姿と、歌詞は3番までしかない楽曲がヒットする。

あれはいつ頃のことだったのだろう。調べればインターネットは即座に答えをくれる。しかし、そんなことを全て明らかにしたくない気持もある。ラジオとソノシートの時代があり、レコードになり、CDに変わる。FM放送のエアチェックはそのどこかから始まっている。気に入った曲に出会うと、歌詞を書き出し、曲をコピーして自分で歌う。後年音符で見ると違っている箇所もある。昨年、カセットテープもVHSの録画済みのテープも山ほど捨てた。レコードとCDは捨てられない。

当時は今ほどずるくないから、「ここは囁くようにセリフのように歌って、だんだん盛り上げて声を張っていく」などというテクニックは使えない。他人に聞かせようと思って歌ってはいなかった。歌うことが好きだったんだな。

今ほど希望のない時代も私の人生の中で少ない。歌自体も「希望を求めていく」という内容だ。「仕事でのし上がっていく」とか「素敵な人と出会う」、「金儲けをしたい」と、そんな希望は今の私にはなくなってしまった。「希望」というものは何時までも追い求めて、手に入らないものなのかも知れない。

by zoofox | 2018-08-10 09:55 | 思い出 | Comments(1)

森田童子さん

米朝会談のニュースに埋もれて、社会面の片隅に、「森田童子さんが4月末に亡くなっていた」というニュースがあった。私はこの名前を何時も、「リリー」と一緒に思い出す。LPを買ったのが同じ頃だと思う。私は「リリー」のLPを買い、妹は「森田童子」のLPを買った。リリーはしゃがれた声で、森田童子はか細い声で、心に浸みる歌を歌っていた。私はこの人をLPの写真でしか知らない。ステージを見たこともない。奇妙な名前と奇妙な歌がよく合っていた。

私より若い死だ。でもこの人は自分の人生の中で、少数でも他人の心に影響を与えた。私は何をしてきたのだろう。



by zoofox | 2018-06-13 08:28 | 思い出 | Comments(2)