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カテゴリ:思い出( 23 )

水掻き

両手を軽く握って指の爪をこすり合わせている人がいた。ニヤッと笑いながら「○○さ~ん、こうしていると免疫力がアップするんですよ」、H君だ。私より十歳近く年下の仲間だった。スポーツが好きで「○○さん、運動しなくちゃだめですよ」と言うのが口癖だった。五十歳を過ぎて頭が薄くなりかけの頃、ガンに罹ってあっという間に亡くなってしまった。良い人は早く逝く。

ボーっとしている時、右手の親指と人差し指で左手の指の間をまさぐっていることがある。この感覚、これは何だっけな。昔、犬か猫か鶏か身近にいるものの指の間をまさぐって(あっ、水掻きがある)と驚いたことがある。小学校の頃ビニールの手袋で指の間に水掻きがあるおもちゃがあった。学校にプールがなかったころだ。臨海学校に行く時かもっと別の機会か、一度使って(役に立たないな)と思ったことがある。

説明のつかないことが面白い。私がSF小説に触れたのは小学校の図書室だった。子供向けの全集があった。題名は覚えている「両生人間第一号」という本だった。そういえば、ケビン・コスナーの「ウォーター・ワールド」という映画があった、設定は違うが結果は似ている。両生人間は海の側の研究所で、実験のために作られた存在だった。水に入るとエラが開き、手の指の間に水掻きがある。エピソードはもう忘れたが「両生類」や「肺呼吸・エラ呼吸」などという言葉をそこで覚えた。

変なことばかり覚えているな。

by zoofox | 2019-06-21 06:06 | 思い出 | Comments(0)

懐かしい顔

TVのコマーシャルの切れ目にカバーとして出てくる場面に人がいる。1秒あるかないかの時間だ。目と鼻が大きく丈夫そうな歯をしている。勿論TVは外国人だが、見るたびに(Kさんに似ているな)と思っている。同時にKさんどうしたかな、と妙に懐かしくなる。

茨城訛りの千葉県人だが、一緒にゴルフを始めた。二人とも年を食った初心者だった。役職も同じだが私と同年か一歳年下だったと思う。私が付き合いで何時までもハンデが縮まらないのに、彼は熱心に練習場に通い、めきめき腕を上げた。飲んでもゴルフの話ばかりだった。数年たつと随分差が開いた。私は(まあ、あれだけ熱心にやれば上手くなるな)と思っていた。何時も真っ黒に日焼けして健康の塊に見えた。ゴルフを軸にして泊りがけの旅行や飲み会に何時も一緒だった。

噂を聞いたのは私が病気になってゴルフから遠ざかった頃だ。(Kさんどうした?)と尋ねてもなかなかはっきりしたことを言う人が少ない。結局聞き出したのは、「うつ病に罹って休職している」という話だった。この病気だとうっかりお見舞いという訳にもいかない。いつの間にか誰も彼の話をしなくなった。数年後に職場復帰していると聞いたきり、私も定年になり疎遠になっていた。

どこかで会って言葉を交わしているはずだが、あまり覚えていない。一緒にゴルフをした人たちは年上が多いから、バラケて欠けていった。TV画面の中で大口を開けて笑っている一瞬の姿は、彼に本当に似ている。私も自分の不調は(もしかしたら、この病気ではないか)と疑っている。まあ特有の症状はないのだが。

by zoofox | 2019-05-18 06:00 | 思い出 | Comments(0)

中百舌鳥

おしゃべり好きの私が「ブログが書けない」というのは相当重症だ。イランの話、アメリカと中国の貿易戦争、北朝鮮の暴走、フクイチ原発とオリンピック、突っ込みどころが満載の環境だが、こんなことを書いても嬉しくも楽しくもない。と自分を制御する声が大きい。(どうしてこんな事になっちゃたのかなあ)とため息をつくのが嫌になった。「肩の力が抜けて・・・」というのはいい表現だが、「体の力も気力」も抜けがちだ。

新聞を開いて懐かしい文字を見つけた。「百舌鳥古墳群が世界遺産登録」とある。(それがどうした)と私の中の皮肉屋は言っているが、地名に反応した。

ずいぶん昔の話になる。私が大阪に赴任した時、まず住まい探しをした。地下鉄の出口にアルバイトの人が何人もいて、「公営住宅応募代行」の申し込みはがきを配っていた。公営賃貸住宅の一覧と応募種別が書いてある。当時の大阪の賃貸事情は「敷金・礼金併せて10か月」と言われ、家賃8万の2DKには100万弱の金がかかると言われていた。いくら何でもこれは高すぎる。公営住宅は安い。安いから応募が多い。「単身」で探すと入れるところは案外少ない。優先順位を付けて申し込んだ一番最初が新築の「中百舌鳥」の団地だった。大阪のベットタウンは阪急電車に沿って京都・神戸方面と南の奈良・和歌山方面に延びている。中百舌鳥の団地は南に向かっていく途中にある。

結局は抽選に落ちたのだが、あの時すんなり決まっていれば、きっと大阪に住み着いて営業所の女性と結婚していただろう。そうすると別の人生を歩いていたことになる。地図を見ると町の真ん中に「古墳」の形をした「空」が幾つもある。町の真ん中ではなくて、古墳のすぐそばまで町が迫っている。大阪市にも古墳の跡は沢山見える。そんな土地柄だ。東京とは町に対する意識が少し違う。東京はごった煮のメガロポリスだ。大阪・京都は狭い地域で、言葉や習慣が微妙に違う。「奈良弁・和歌山弁」と言われても私には区別できなかった。

色々なことを思い出す。会社の金で国内各地の「ショートスティ」を随分させてもらった。

by zoofox | 2019-05-14 08:05 | 思い出 | Comments(0)

フレーメン反応

昔々、テレビが白黒だった頃の話だ。沢山ではないがアメリカのテレビ番組が日本でも放送されていた。子供は日本とアメリカの生活程度の差に驚いていた。けして(あんな生活をしたい)とは思わなかった。テレビの中の世界は別世界だった。その中に馬のフレーメン反応を利用して、小屋に繋がれた馬(確かエドという名だったと思う)が主人公と軽妙なやり取りをする番組があった。今考えると「子供向け」というよりは「大人向けのコメディの一種」だったような気がする。馬がしゃべるとはさすがに思わないが、しゃべれたらこんなことを言うだろうなと、子供にも面白い番組だった。

面白いやり取りがあると、姿の見えない「観客」がどっと笑う声が入る。(何だこりゃ)、最初の印象はそんなものだ。まあ正式には「何とか効果」というのだろうが、その後少しずつ増えていって、だんだん不思議にも思わなくなる。今では日本のスタジオ収録には欠かせない効果になっている。放送されたさる人の登場場面で、観衆の歓声の中に、かすかに「栃錦~~~!」という声が混じっていたという有名な話があった(落語だったかな)。

最近はこの手の面白さを増幅させる話し方を「話を盛る」というような言い方をする。バラエティの世界ではご愛敬だが、それ以外ではこれは止めてほしいことだ。

by zoofox | 2019-05-10 06:02 | 思い出 | Comments(0)

わだつみの声

小学生か中学生の頃だと思う。わら半紙づくりのような薄い本だったと記憶している。周りにいた大人から与えられたとも思えない。自分で本を買う金は持っていなかった。何処かで借りたのかもしれない。父兄や先生がこれはと思う文章をガリ版刷りにして配る場合もあった。手に取って読んで、(これは何だ)というショックを受けたのを覚えている。学校や親から聞く戦争は断片的なものだったし、全く切り口の違う「遺書」を読んで愕然とした。僅か20年ほど前に日本の若者が何を考えて死んでいったのか、解らないが子供なりの理解はあった。(当然私には遺書を書いた学生は「大人」に見えていた)。兵隊さんも勇ましいだけじゃなくて「死にたくない」と思いながら死んでいったんだ。子供にこの発見は重たい。父や母が半ば懐かしそうに語る戦争と全く違う戦争があった。その父や母にしても一歩間違えば遺書も残せず死んで行った筈だ。

私の反戦思想は幼い。イデオロギーに左右されたものではない。純粋に「戦争をすると人が死んでしまうから、戦争はいけないものだ」という素朴なスタートだ。こまっしゃくれた子供は「コンバット」や「ギャラントメン」を見ながら、(撃たれたら痛いだろうな)とか(逃げ惑う子供たちは何を考えていたんだろう)などと考えた。だから日本人が相手の実写フィルムや映画は一切見ない。見られない。アメリカとドイツの戦争は物語として見られる。

子供への歴史教育は大切だと思う。しかし、曲がった歴史やフィルターのかかった歴史を教えると、その人の「人間としての一生」の大切な部分をスポイルする。私の時代は戦争に負けて大人が自信のない時代、一種の空白の時代だった。子供向けの童話などないから大人と同じものを読んだ。分からないところは分かる範囲で調べた。まだ、歴史は隠されていなかった。皇国史観の本も生きていたし「民主主義」ってなんだ、という時代だ。教科書が塗り潰されたのは、もっと前で一種の宣伝だったと思う。古い本は幾らでもあった。今考えると案外いい時代だったなとも思える。

政治も何が正しいか分からない時代だったのだろう。何故、今「聞けわだつみの声」なのかと言われても返答に困る。思い出とは説明できないこともある。

by zoofox | 2019-05-09 06:03 | 思い出 | Comments(0)

鯉のぼり

良く晴れた子供の日だった。「子供の日」というと縁側に干された「鯉のぼり」のすえたような匂いを思い出す。母は、何日か前に押し入れの天井あたりから、平たく畳んだ鯉のぼりを出してくる。縁側で天日干しをする。子供はそれにくるまって遊ぶ。当日朝早く庭に父親が穴を掘る。洗濯に使っている竿竹に真鯉を一匹か二匹括りつける。子供にも手伝わせて竿を立てる。(何であんなに大きな「鯉」だったのか)、鯉の中に入って遊んだ記憶がある。子供の日が終わると鯉はまた干されて、いつの間にかいなくなる。「奇麗な鯉が風になびいている」という記憶はほとんどない、大体は黒っぽい大きな鯉がだらりと下がっていた。

きっと空襲を生き延びた「鯉のぼり」だったんだろうな。生活とは不相応に大きな「鯉」だった。まだ家が裕福だった時代の祝いの鯉のぼりだろう。私と私の下は「宮参り」も「お雛様」も「七五三」も特に改まって行った記憶はない。「柏餅」だけは沢山あった。「柏餅」と大きな「鯉」とその後の干されている「鯉のぼり」が子供の日の記憶だ。

形はともかく、節目節目に幼い心に残るようなことを残していく、というのが「親」としての心遣いだったんだろうな。あの時父や母は多分40歳前後だ。ともかく大人と子供の世界がはっきりしていた時代だった。

by zoofox | 2019-05-06 05:20 | 思い出 | Comments(0)

「ノッキング」の音

最近聞かないなとふと思った。「ノッキング」ってご存じだろうか。私はマニュアル運転の時、高いギヤのまま低速運転になると、エンジンがカラカラと悲鳴を上げていた音を思い出す。自分で運転していた時は、面倒くさい時はなるべくギヤチェンジを省く。二速発進や三速発進をするとエンジンが「勘弁してくださいよ」と言うようにカラカラと不承不承音を立てながら回っていた。世の中9割以上がオートマ系の変速機になるとノッキングの音さえ懐かしい。

私の家は信号の角だから、青信号で車が曲がる時にギヤを低くしないと、立ち上がりのカラカラという音が家の中でも聞こえた。ノッキングっぽいなと感じると、ギヤを落としてアクセルを空ぶかしして回転を合わせる。何しろ車の力がすっと抜けるから若い時はそんな走り方は容認できなかった。今は町中でタイヤの鳴る音を聞くことは殆どない。直角カーブならタイヤが鳴いて当然という運転はもう世の中から駆逐されてしまったようだ。

随分変わったものだ。何とかマニュアル車に乗りたいと思っているが、いざ買って乗ってみて、足腰と反射神経が着いていかないとなったら辛いな、と二の足を踏んでいる。大阪に住んでいる時は少し走れば、都会を離れるからギヤチェンジは気にもしていなかった。東京ではどこまで走っても同じ都会だ。渋滞がある。マニュアルで気楽に走れる環境ではなくなっている。でも乗りたい。

by zoofox | 2019-04-01 06:02 | 思い出 | Comments(0)

赤バス

朝日が早くなって夕方がだんだん長くなる。春が来る。暗くなってボーッと道を走る車を見ていた。「あ、赤バスだ」、行き先表示が薄赤いバスが通る。

ずっと昔、私は学校も勤め先も「近い」ことを最優先にした。電車かバスで行ける距離、何かあったら歩いても帰れる距離が好きだった。徒歩、自転車、都電、バス、最後が国電(JR)という選択だった。学校と勤務先は同じ地区にあった。当時は時間がある時はバス一本で行ける路線があった。朝はゆっくりバスで帰りは電車でというのが普通の経路だった。

もっと前はどこへ行くにもバスが第一の足だった。田舎から人が来るとき、出かけた家族が帰ってくる時にはバス停で待っていた。今考えると気の長い話だが、私は子供で時間は十分あったらしい。赤バスを実際見たのか話で聞いたのか、子供の時間としてはずいぶん遅く感じた。・・・銭湯の帰りだったのかもしれない。午後8時半か9時ごろが最終バスだったと思う。「青バス」というのもあったな、最終の一つ前をそう言っていたと思う。

会社の帰りにお酒を飲んで、湯島から上野へ歩いて始発の最終バスに乗ると、家から2分のバス停まで送ってくれる。「あっ、最終バスが行っちゃった」という乗り遅れた記憶ばかりだが。

by zoofox | 2019-03-13 05:58 | 思い出 | Comments(0)

同級生

何かがきっかけですっかり忘れていた記憶が戻ってくる。(ああ、そうだったな)と映画を見ているように思い出す。中学校の同級生に左顔面にあざのある娘がいた。何時も左の窓際に座っていたような気がする。残念だが名前も覚えていない。今考えると私はきっと彼女が好きだったのかも知れない。スラっとして端整な顔立ちとセーラー服姿をすぐ思い出す。面と向かっては誰もあざのことは言わないし、当時はそんなことが原因のいじめもなかった。まだ戦争の余韻があり、手足の不自由な人、やけどの跡のある人が町には何人もいた。

何事にも気の利かない私はきっと、(そんなことでいじけているなよ)と思っていたのだろう。本人にしてみれば大変なことだ。声も小さく自分の存在を一生懸命消そうとしているようだった。きっと掃除か放課後のクラブか奉仕活動か、そんなところで声を交わしたのだろうか。髪が奇麗だったのと(結構しゃべると面白いな)という記憶が微かにある。

私は異性を意識するのにはまだ発達が足りなかった。身の回りや友達との遊びに面白いことが多すぎた。一番女の子と付き合う機会が多かったのは中学時代だが、それは後から気づくことだ。未発達の私には表立ったコンプレックスがなかった稀な時期だ。もう少し要領が良ければ、もう少し労力を惜しまずいれば、人生は違っていたかもしれない。

小学校のことは良く憶えているのに、(中学時代は暗黒だったのかな)と自分では思っていた。しかし、単に大きなエポックが多すぎて、学校の生活を楽しみすぎていただけだった。先生、同級生、憧れた人、私の青春(今でも変わらない傾向)はここから始まっていた。中学校の三年間とは多様なくせに何と短い時間だったのか。高校の三年間の方が少し長い気がする。最近の六年間は逆算するとまるで居眠りをしていた様に思える。

私達の進学に備えて中学校はずっと工事中で、校舎もプールも建築中、体育館は高校の体育館を借りていた。プレハブ校舎での授業だった。・・・そういえばひどい時代だったな。やっと新しい校舎に入ったのは三年生の頃だったかな。

by zoofox | 2019-02-20 06:02 | 思い出 | Comments(0)

パブリカ

食事中にエドとマイクの「名車再生」を点けていた。じっくり見てはいなかったが小さな「ボンドカー」だそうだ。詳しい緒元はテレビをよく見ていなかったから分からないが、全体の姿と試乗の走り方を見ていて「パブリカ」を思い出した。タクシーの時代からだんだん庶民が車を持つようになった頃の車だ。当然私の家では車の必要もなかったし、「車を持つ」という想像もしなかった時代だ。

後年免許を取ってから、江戸川の中古車展示場を回ると、今買っておけばよかったなと思うような車がゴロゴロしていた。ホンダの「S600とS800」がホロが破れて15万円位で並んでいた。トヨタのS800もあったと思う。サニー1000クーペが爆発的に売れ、セダンが出て、カローラが発売される前夜だと思う。いすゞのベレットは別格だった。コロナ、ベレット、グロリアなど個性の強い車が沢山あった。スバル1000とバブリカも同時に思い出す。

中古車展示場には数年分の車が一緒に並んでいたのだから、私の印象も発売年に関係なく一律だ。パブリカはその中では中古と呼ぶには新しい部類になる。今の軽自動車とダウンサイジングターボの間に「庶民の車」の場所があった。私にとって、当時(多分昭和40年から50年頃)車は仕事や生活に必要なものではなく、単に「面白いもの」だったはずだ。

ボンドカーを見ていて、あの頃(不格好だな)と思ったバブリカのスタイルが今は「格好よく」見える。1000cc前後で恐らく40~50馬力だろうか、車体が軽いからキビキビと走ったはずだ。叔父さんから貰った「三菱コルト」に友人が乗っていた。友人は力のない車をあまり好んでいなかったようだが、私は自分用の最初の車が「サニー1000」だから、そのしっかりとした造りに感心していた。

パブリカはその後爆発的に売れたカローラの陰に隠れてあまり目立たないが、車のデザインとしては今の「いかにもデザイン」に比べるとほっとする。「1000cc以下、50馬力以下、4速マニュアル」最後はこの「原点」に戻ってしまう。

私の視点から見た感想なので、時代や記載に間違いがあったら失礼。

by zoofox | 2019-02-12 08:44 | 思い出 | Comments(0)