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カテゴリ:考えること( 77 )

実行されない国連の勧告

今月の5日に、国連のデービット・ケイ特別報告者が、「日本では現在もメディアの独立性に懸念が残る」という報告書をまとめ、6月24日の国連人権理事会に提出するという記事があった。16年に訪日し17年に報告書をまとめて日本政府に11項目の勧告を行ったが、履行されていないという。今度は続報として再度の勧告になるらしい。

私は問題提起をして議論を始める立場ではないので、興味のある方は「国連の勧告」で検索されれば、詳しい勧告内容の記事も経緯も出ている。日本はこのほかにも「人権問題」、「子供の人勧」等々幾つかの勧告を受けている。国連の株主である日本が痛いところを指摘・勧告されて罰則規定がないとはいえ、何の対応もしないというのは何故だ。日本らしくない。

何でこんなことを今頃かというと、確かに報道された記憶はあるのに、その後新聞もテレビも一斉に沈黙してしまった気がする。自分たちの死活問題に自分たちで口を閉ざしている。おかしいな。

私はませた小学生だった。今でも、ガリ版刷りの「聞けわだつみの声」を読んだときに感じた自分の気持ちを大切にしている。大人の影響を受ける前に自分で感じたことだ。(そんなに嫌な戦争なら、何で皆で反対しなかったのか、何で死にたくないのに特攻を志願したのか)、子供は単純にそう思う。大人の知恵では戦時中の「カルト集団としての雰囲気のある」日本で、父や母の世代が一人で反対することはできないだろうなと妙に物分かり良くなる。

デービット・ケイ氏は言論の自由が侵されていると、日本に調査に来て結論を得た。外国人の意見は、日本人らしい見得や忖度を入れないから、単に他の諸国と比べて「これはおかしいよ」と言っている。だから概ね正しいと思える。論語の「過ちては改むるに憚ること勿れ」は長い間、日本の紳士教育の基本にある言葉だ。こんなことも忘れている(いや、知らないのかな)。今政治を行う人々は大多数が私より年下になった。その点では十分な幼少年期教育が行われていないように感じる。日本の舵取りたちが外国から指摘されたことを吟味もせずに「無視」してしまう、というのは私には考えられない。

形は変わってもまた「わだつみの声」が生まれるような世の中では困る。メディアが身を賭しても、戦前に戻ろうとする意識を監視して非難の声を上げるべきだ。別に私は韓国や中国に肩入れする気持ちはない。彼らも国内でメディアに対し日本と同じくらいひどことをしているだろう。求心力が弱くなると、手っ取り早くメディアの批判を封じて手駒に使おうとする。何を言われても「私たちは正しい」という信念があれば姑息なことをせずに、腰を据えた話し合いを常日頃から行い、相手の言葉をじっくり聞いて説得することもできるはずだ。共産主義ではないのだからメディアを恫喝して情報を隠してはいけないだろう。

楽しみにしていた「党首討論会」少し見た。この催しを企画したのは誰だ。「討論会」などと恥ずかしくもなくよく言えると思う。マスコミからは「野党は2000万円問題しか追求しない」と批判が出ている。野党同士も話し合って追及点を分担しなければ「呪いの言葉」の壁は破れない。2000万円問題は象徴的だがそれだけでは奥が浅くなる。時間が短すぎる、国の大方針が何も見えない。そんなものなのかな。

by zoofox | 2019-06-19 23:25 | 考えること | Comments(0)

撓(たわ)められた心

個人の経験を一般論に広げるのは無理がある。それを知っているくせに「俺の若い時は・・・」と言いたがる。私はそれも良し、と考える。最初から万人の心の動きにぴったり合うような「定理」が頭に浮かべば、その人は天才だ。作家や学者に近い。唯我独尊だけでは困るが、自分の「基本」は押さえておきたい。ブログは日記だから主語は「私は」だ、時々それは省くことがある。

事件があり、事故があり、不正があり、思惑の絡み合った不可解なことがある。全部の人の営みに共感していたらそれは「嘘」になる。全部が解るといったらそれも嘘になる。人間の理解の幅は意外に狭い。自分の経験の幅を如何に広げるか、若い時から苦労している。人間は生きていくうえで仕方がないから「他」を理解しようと考える。同時に自分を顕示しようと思えば「交流」が生まれる。打算のない交流はほとんどが本能に基づくものだ。「動物への愛情」、「子供への愛情」、「恋愛」、そして「大きなるものへ」・・・結局、「打算と保身」が大人として世の中を波風立てずに歩く秘訣かも知れない。

人間には育っていく過程で「反抗期」がある。心理学者ではないからどんな意味を持つのかは知らないが、反抗期があった人と殆どなかった人とは、他人に対する愛情の交換表現が違うかなと思える。回り回って最終的に反抗したものに戻る。反抗しなかったら戻るものがない。自分の人格形成期はまあ、人並だ。反抗期があり、社会に出て行ききれない中途半端な時期があった。この「反抗期」や「モラトリアム」のもどかしさを、感じたか感じなかったかで、その後の「社会や他人に対する優しさ」が変わってくるような気がする。

科学的には言えないから自分の経験が下敷きになる。この時期に「撓められた心」は社会に出てから迷いが一つ少ない。毎日の事件で人を殺したり傷つけたり騙したりする人の心は、自分で撓めてそれを解放した経験がないように思える。若い時代に通過した「出口の見つからない不安の塊のような日々」が、今の私の「経験的楽観主義」を支えているかもしれない。


この手のことは考えても答えが出ない。自分を埒外において答えを出そうとする。私が社会や他人に対して優しいか否かは自分では分からないことだ。

by zoofox | 2019-06-19 06:10 | 考えること | Comments(0)

退行催眠

前世のことを考えるのを「退行催眠」というらしい。精神分析では「はい、あなたは〇才ですよ、何が見えますか?」とその人の過去に色々な問題の原因を探す手法があるらしい。私は起きていても(何才の時は何があったっけ)とある程度の見当は付く。初めてそんなことを考えたのは、30才前後だろう。私は中野から須坂に向かう県道を走っていた。リンゴ畑の間をカローラのライトバンを運転しながら(子供の時の事は一年刻みで覚えているのに、最近は記憶が浅いな)と考えていた。長時間の緊張は精神的な弛緩を生むらしい。私の記憶は、嫌いなおむつカバーから始まる。それ以前はない。4才、5才、小学校に入る前後は飛び飛びだが段階的に記憶がある。小学校は先生や行事ごとに記憶している。中学校は記憶のスパンが甘くなる。高校生はもっとぐずぐずだ。その先は曖昧になって入社する直前から暫らく鮮明になる。会社に入っての記憶は担当や任地ごとに分類されている。

親は「お前の小さい頃は・・」というような話をするタイプではなかった。例外として生まれた時の周囲の様子は何度も聞いた。だから周囲の記憶が私に投影されていた訳でもないらしい。自分では(不思議だな)と感じるだけだ。時間が私の心に刻み込む爪痕の深さが時期によって違う。いつもその記憶に追いかけられるかというとそうでもない。思い出さなければそのままだ。ブログを書きながら自分の時間に目を凝らすとようやく見えてくる。それがだんだんはっきりする。忘れてしまえばまた思い出すまで大人しく待っている。

多分コンピューターの「キャッシュ」のようなものに思える。キャッシュは幽霊のようにすぐ消えたり、とんでもないところに現れる。私の頭の中にランダムに書き込まれたキャッシュが、あるキーワードでまとまって出てくる。その保持能力がだんだん弱くなっているようだ。人間の脳は容量が大きいから、生まれてこの方のことはすべてキャッシュになって漂っているのかもしれないな、と思う。再構成されなければ(何かこれ前に見たことあるな)とか(同じことしたな)とか、第六感や予感のようなものに化けているかもしれない。考えるだけでも面白いな。脳が経年変化で劣化してくると、なかなかキャッシュが残らない。これも分かるな。


by zoofox | 2019-06-14 05:08 | 考えること | Comments(0)

人間の性(さが)

朝、パソコンに向かうと過去のブログが目に入る。(随分文句の多い爺いだな)と自分でも驚く。私でも生きとし生ける者、人間や人間の営みに対する慈しみの目は持っている。本当は涙もろくて優しいのだ。一つだけ癇に障ることがある。人を出し抜いたり、騙したり、狡いことをしているなと感じると、対象が人でも世間でも文句を言いたくなる。「小賢しい」ことが嫌いなのだ。

昭和の20年代だと思う「マッチポンプ」という言葉が流行った。私はこの流行りは知らないし、マッチもポンプも今更な言葉になった。「自分で火を点けて、自分で消す」ということだろう。人間の(まあ、私は私の身の周りしか知らないが)行動にはこの古い言葉に該当する行為が多い。

「プラスチックごみを何とかしよう」ということが世界中の環境保全のお題目になった。あれだけ沢山この便利な素材を、ありとあらゆる分野に使い続けて、挙句の果ては厄介者として糾弾する。地球温暖化も然り、核拡散も然り、アメリカの移民問題も然り、原発問題も然り、日本の高齢化対策も然り、働く者の貧富の二極分化も然り、何しろ今困っている問題の大部分は過去に奨励して、大いにその恩恵を享受したものやことを、(問題はあるのでは・・)と思いながら続けて、ある時から掌を返す。しかも掌を返すときは自分たちのやってきたことやものを、さも他人に責任がある様に悪しざまに言う。あるいはその中で、築いてきた権益だけは守ろうとする。

私は(これはもう人間の性なのだな)と思う。過去の間違った選択を隠そうとしなければいいだけだ。立ち止まって「この選択は間違いでした。今後はこうします」とすっきりしてくれればその方向に向かえる。個人としては「ごめん」、「すまん」で方向転換できるうちにできるものはするようにしている。

by zoofox | 2019-06-07 06:07 | 考えること | Comments(0)

姨捨、爺捨

朝、5時ごろ目を覚まし、トイレに行ってまた布団に入る。(今日は割とゆっくり寝られたな)と思いながらせっかち爺は起きだして着替える。

昨日は床屋のおじさん(80才とのこと)と坊主頭をバリカンで刈ってもらいながら、一時間半も話をしていた。以前都心の行きつけの病院でばったり出くわした。床屋のおじさんはその後病院を替えたが、私はずっと同じ病院に通っている。その病院と先生たちの話だ。私は30年以上通っている。そのうち20年は同じ先生だ。その主治医がおじさんと重なっていた。暫らく店を閉めていたが、問わず語りに奥さんが施設に入り、自分は食道がんが見つかって別の病院で手術したとのこと。私は内心(凄い人生だな)と思うが今時あまり珍しくない。

私がジャーナリストや研究者だったら、「高齢者」の問題はテーマにしたかったな、と思う。50年も前に私の学校には高齢者問題をテーマとした講座があった。NHKの朝の番組に度々教授が顔を出していた。当時は(あの先生また出ているよ)と思うだけだったが、きっとまともな研究者が少ないマイナーな分野だったんだろうな。

北朝鮮問題と韓国問題の後は「高齢者」の事件事故を扱わないとマスコミは遅れてしまう、とでも考えるのか毎日殺伐としたニュースが続く。毎度のことながら近年のマスコミの動きには「おかしいよな」という印象を受けている。年寄りが短絡的ならマスコミも短絡的だ。日本人誰もが「長期の視点」を失っている。(政治と同じだな)と思う。私たち第一次のベビーブーマーがその分布の特異さから、我が国の経済活動に大きな影響を与えるというのは生まれた時から予測できただろう。しかも、今叩かれているのは、その世代より上の世代だ。誰もこの現象を分析しない。プリウスの暴走も暴れる子供を殺すのも、前期高齢者も後期高齢者も一緒くたに話題にしている。

同じ高齢者でも「所得分布」、古い言葉で言えば「民度の差」が確実にある。今、事件事故の真中にいるのは、「恵まれた高齢者」と思える。調べてみれば「年金の額」が圧倒的に違うはずだ。私から見ると高齢者の世界にも、富める者と貧しい者という二極分化が透けて見える。制度をいじりすぎた。

私の周りでも、以前は高齢者とゲートボール、団体旅行は付き物だった。今広場にもゲートボールをする年寄りの姿は見えない。旗を立てて早朝道路際に待つ観光バスも見ない。人数の少ない時代に盛んだった年寄りの遊びが、年寄りが増えたら消えてしまう。情報が少なすぎて断じることはできないが、こんな格差を掘り進んでいけば、今の社会が持つ「冷酷さ」に気が付くだろう。勿論高齢者だけではなく、中年にも若者にも同じ「冷酷さ」が覆いかぶさり、今までになかった社会が形成されている。

高齢者に限って言えば新しい「姨捨」、「爺捨」が形を変えて進行しているのではないかと感じる。前から「限界」とか「漂流」という言葉で現象の一端を表している動きはあった。

朝から嫌な話だな。このことはコツコツと材料を集めます。「印象」だけでは説得力がないからな。で、別に「暗澹たる気持ち」にはならない。下流老人でも独居老人でも俺たちには自分の足で歩いてきた経験とノウハウがある。そう簡単に若い奴らに手玉に取られる訳にはいかない。

by zoofox | 2019-06-05 05:57 | 考えること | Comments(0)

切り取られた時間

「寝ている間は魂が体を離れてあらゆるところをふわふわとさ迷う」。などという話を聞いたことがある。

5月28日の事件以後私が事件のことを考えられないのは、きっと「自分の死」を真剣に考えたくないのだろう。通り魔とか無差別殺人という事件は今までもあった。もっと規模的に大きな事件も沢山あった。でも「何故今」なのかは分からない。今何故こんなに動揺するんだろう。

高校生の頃、「死んだらどうなるのか」という議論が何度もあった。そんな時小学校に入る前に「荒川放水路」で、偶然見てしまった水死体を何時も思い浮かべた。実体験は心に強い印象を与えていて、観念的に「死んだらどうなる」とは考えられなかった。ある友人は「自分のいない空間を想像するのが怖い」と言った。ある友人は「何も残らない」と言った。もっといろいろな意見が出たはずだが、私には具体的な「あの形」のほかにはないとしか思えなかった。

全身麻酔の手術を二度受けている。一度は割と短い時間、二度目は随分長い時間だ。麻酔に入る前は案外鮮明に覚えている。予備麻酔があり、手術台の上で声掛けがあって、いきなり目覚めに繋がる。自分の中では「声掛け」と「目覚め」が接近していて、その間の手術時間は「切り取られた時間」だ。本人はそこに「空白」があったことも自覚がない。一時間でも十時間でも、そこの時間はスパッと切り取られている。当時の私は全身麻酔の時間が「死に繋がる時間」だとは認識していなかった。何処へ消えたのか切り取られた時間はもう私の時間ではない。

(あそこで死んでいたかもしれない)と考えると少し怖い。何年たっても時間を切り取られた感覚だけは残っている。

一人の人間に一度しかない大切な瞬間が、朝、街の真ん中で理不尽に奪われた、そしてその様子を微に入り細に入り説明するマスコミがいる。これも事実だ。(そこまで伝えてくれなくていい)と思ってしまう。

TVで白血病の治験者のドキュメンタリーがあった。やっと培養した自分のT細胞を移植してもらう時に、呼吸が薄くなり意識が飛びつつあった。苦しそうでも悲しそうでもない。看護師が走り医者が走った。(ああ危ないな)私はそう思って、チャンネルを変えた。こんなことも冷静に受け止めることができない。

やはり、何やら「心の免疫」が弱くなっているのかな。

by zoofox | 2019-06-03 05:46 | 考えること | Comments(0)

使い捨ての数字

統計や数字が好きだ。特に統計は数字の後ろに色々な問題をはらんでいる。それを読み解くのは推理小説を読むように面白い。文章を書く人は統計の数字の出どころを明らかにして、順序を踏んで考えを進めないと信用度を疑われる。最近は統計そのものの不確かさが露呈している。これはもう「目盛りのない物差し」のようで、いい着想を含んでいてもその数字を基にした議論が成り立たなくなる。私が数字を読めるのかという問題は、「まだ読もうと努力している」でご勘弁願いたい。

フリーライターの亀山早苗さんという方が、5月30日付で「増える中高年の引きこもり」という一文を書いている。色々なネットニュースに転載されているが、一応署名記事なので読んでみた。拍子抜けしたのは基準になる数字が、2010年の内閣府調査で「39才までの引きこもりが、70万人、潜在者が155万人いる」であり、問題の中高年の数値は2013年の山形県(40代~60代が引きこもりの45%)と2014年の島根県(40代以上が53%)という文章上の数字だけだ。内閣府は全国だからまあ概数だろうが、各県は分母が分からない、つまりパーセンテージでは何も分からない。

別に亀山さんの文章にケチをつけているわけではない。私の興味の方向と合っていたから期待しただけだ。高齢者が「切れる犯罪」を犯し、「無謀運転」を繰り返し、抽出されて暗に非難されている時代に、「高齢者の引きこもり」は当然予想される。引きこもるから社会性が無くなり、突飛な行動にうつる。若者と似た行動形態を述べるための根拠と統計数値がこれでは、推論記事そのものの信用度が落ちる。

「高齢者の引きこもり」は人数が多いのだから当然増える。若い世代の引きこもりとは理由が違うと思う。他人を引き付ける着想や文章は、よく考えて調べて書いて欲しい。ブログと違ってライターなのだから、ミスリードはいけない。

私も「引きこもり」と言えばそうなのかなと思う。大体年寄りは昔からそんなものだ。

by zoofox | 2019-06-02 20:25 | 考えること | Comments(0)

不幸な時代

今の私を点検してみると「嫌韓」、「嫌中」、であり「嫌米」、「嫌自民」だ。これも根拠はない。新聞やテレビの影響だろう。若い時から「安保反対」、「自民反対」と漠然と左翼的な位置にいれば居心地が良かった。社会党も民社党も一時期の共産党も、野党の主張は私の主張だと思っていた。それが何処かで変わってきた。今、野党を支持する根拠が無くなった。与党は昔よりもっと性質が悪くなった。自分がこう言い切る部分に既に色が付いている。それにしても(支持する政党がない)とは不幸な時代だ。

最近、民主主義の一番大切なところが壊れ始めていると感じる。旗色と主張をはっきりしない政治が横行している。「選挙に影響するから今は棚上げにして、多数を取ったらやろう」、それが内部の秘め事ではなく新聞が堂々と書き、TVが伝える。外国の大統領がそう言う。実際そのようになるのだろう。国民を馬鹿にしていると思える。それでも与党が支持を受けるのだから私の想像を超える。「小選挙区制」とか「二大政党制」というのは絵に描いた餅だ。頭の中の妄想だった。結果、誰が得をして誰が損をしたのか考えれば容易に分かる。その中でも一番損をしているのは私たち国民の大多数だ。国会を通らない「法律」やその「変更」が多すぎる気する。

日本が変わったように外国も変わった。その中で今の私の意識は「ほんの一時の意識」かも知れないと感じている。あからさまな敵意を見せる相手や、嵩にかかって乱暴狼藉を働こうとする「意識」には、本能的に反発を覚える。厄介なことに人間の意識はそんな感情が多くを支配する。

戦後を考える時、同じ私の中に「日本は分割されずに運が良かった」と感じる部分と「あそこで清算しなかったのが、今の歪みを起こしている」と考える部分がある。この考えは時として嫌米や嫌中と相入れない。だんだん白黒つけ難いことが多くなった。ある日嫌いな国が突然好きになるかもしれない。嫌いな党を支持するかもしれない。そんな心から出す言葉には何時も自分でも満足できない。

by zoofox | 2019-05-28 06:05 | 考えること | Comments(0)

沈黙の艦隊

トランプ大統領が日本に来た夜に、先日録画した「沈黙の艦隊」を見ていた。本で見て映画版でも何度か見ている。本編をご存じない向きには退屈な話になる。雑誌に連載され90年に映画化されたという。

日米で造った「攻撃型原子力潜水艦」を持ち出し、「独立国ヤマト」として検証不可能な原爆ミサイルを盾に、米国海軍を手玉に取り、日本と安保条約を結ぶ。という荒唐無稽な設定だが、日本人の抱いている焦燥の一端に何時の時代でも触るようだ。
この「アニメ」がまるで実写版のように見える。「自衛隊の性格」、「核抑止力」、「米国の持つ日本蔑視」・・・まるで大人の童話だ。アニメ映画だから過程を省略して結果だけを見せてくれる。

面白いのはこの30年間の間の見る側の変化だ。最初は「戦争もの」として、次には「日米安保」について、そして「核の抑止力」のカードとしての強さだ。マンガがマンガでなくなる。冷戦構造の崩壊の後、中東での長い戦争、イランの核問題をどうしても重ねてしまう。

北朝鮮が核開発を終え、ミサイルの準備もしているという今の時代に見ると(北朝鮮とそっくりだな)と思う。非核三原則がアメリカの空母によって有名無実になっていたなどという内容は今や常識だ。

今回(今時点)での感想は、一発の核ミサイルを持っていても、世界は動かないだろうと思う。色々な見方ができる。自衛隊広報として、日本の核武装を求める、日米安保に対する不満、隠しテーマとして「憲法改正」もあるかもしれない。エンターテインメントとして楽しむにはいいが、どうしてもそこでは終わらない。「日本はどうするのか」という問いをずっと続けている。

by zoofox | 2019-05-26 09:29 | 考えること | Comments(0)

精神年齢

占領時代マッカーサーが「日本人の精神年齢は12才だ」と言ったとか言わないとか。当然私は生まれていないからどんなニュアンスで出てきた言葉かは知らない。

今朝、環境大臣が「こういう日には日傘を利用してください」と言っていた。(わざわざ大臣が記者会見で発表することかな)と思うが、あんまり気にする人はいないようだ。私は変だなと思うと同時に、「人間の精神年齢は12歳ぐらいから発達しないのかも」とも感じる。「精神年齢12才説」というのは悪口だけではなく、案外当たっているのかもしれない。

世の中の争いの種は「感情」に基づいた部分から始まるらしい。冷静に計算づくで戦争されるのも怖いが、その基には「疑心暗鬼」や「虐め」、「妬み嫉み」があるように感じる。そうなら極めて幼児的な「自己中心主義」が争いごとの中心にあることになる。私だって好んで思い出すのはこの年齢の時代だ。

「人格は長い時間をかけて醸成され形成される」とずっと思ってきたが、もしかしたら、小学校を卒業する頃には完成して、その後は少しずつ完成品を取り崩して一生を過ごすのかな、そして最後にはだんだん幼児に戻る。なんだかこれも説得力がある。経験や考え方と知識は別物だ。知識は後から入って先に抜ける。

世界の政治や経済も人間の内面の「幼児の心」が動かしていると思うと何か説明がつく。自分の年齢を気にして(年取ったな)と思うのは止めよう。「還暦」という言葉には意味があったんだ、きっと。

by zoofox | 2019-05-24 08:25 | 考えること | Comments(0)