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カテゴリ:子供時代( 26 )

夏の子

7月になる。もう夏だ。

10才位までの記憶はほとんどが夏だ。心を凝らせば、正月や凧揚げと泥あんか、祖母が灰を掻きまわしていた火鉢、火鉢に鉄板を渡して焼いてもらったうどん粉の「亀」、などが浮かんでくる。それぞれに楽しいのだが、私の記憶は「夏」に集中している。春や秋は印象が薄い。

米軍の空爆は正確で、川を挟んだ工場地帯は爆弾、こちら側の市街地は焼夷弾(ナパーム)と分けて攻撃したらしい。まちは平らで浅草の松屋や川岸の工場などの、コンクリートの建物が「縁側」から見えていた。夜には小名木川の貨物列車の音が聞こえていた。

工場地帯は当時は「廃墟」だった。工場が戻ってくるのはもう少し後になる。夏になると見渡す限りの「原っぱ」が広がる。何キロも遮るものがないという視界は、私の原点の一つになっている。毎年駄菓子屋で竹の棒に網が付いた「虫取り」を買った。もう少し年上の子は「竿竹」に鳥もちを着けて虫取りをした。草の生い茂る原っぱの所々にレンガ造りの塀が残っていたり、建物の土台があった。

圧巻は二つ三つあった池(爆弾の痕)だ。子供はここで戦争があり、爆弾が落とされたことなど知らない。こんな情景に疑問を挟んだ記憶はない。戦後10年以内だろうが爆弾の痕は立派な池になり、小魚が泳ぎカエルが繁殖しザリガニが這い、水の中にはミジンコが漂って立派な生態系を形作っていた。「アメンボ」は不思議な生き物で腰を下ろして(何で浮くんだろう)とずっと見ていた。「何で魚がいるの」と尋ねた記憶がある。「卵が風に乗って飛んでくるんだよ」と言われて納得した。

原っぱは昆虫の宝庫だった。子供たちは一つ一つに名前を付けて区別していた。頭のとがった草色のバッタは、大きなものから小さなものまで沢山いた。子供の分類ではイナゴはやや高級なバッタだった。トンボも糸トンボから、シオカラトンボ、など小中型は子供でも採れた。バッタの王様が「オオト(大型のイナゴ)」ならトンボの王様は「オニヤンマ」だった。大きくて立派で、高いところを毎日同じ時間に同じ通路で一直線に飛ぶ。大きな子や大人は大型の網で、待ち構えている。それで捕まる。石を投げると着いてくる。(あまり頭良くないな)と思っていた。

池で子供がおぼれて死んだという話はほとんど聞かない。「危ないから行っちゃだめだよ」と言われていたが「自己責任」で遊んでいたらしい。

沢山の虫を観察し、飼い、放し、じっくりと観察していた。(この小さなものにある「命」とは何だろう)と、子供は子供なりに毎日「不思議」を体験していた。草も木も昆虫も蜘蛛も、最初に実物を知り後から名前を聞いた。この体験による学び方がいつまでも残る。

用水路は下水道管が埋められ、道路の工事が始まり少しずつ工場が帰ってきた。あの空白の10年間ほどの間、子供たちの記憶に「緑の草原」が束の間生まれて消えた。私の夏の思い出はあの草原の思い出だ。

by zoofox | 2019-06-30 09:25 | 子供時代 | Comments(0)

12月も押し詰まると色々な年中行事があった。祖母は私が物心ついてからずっと傍らに「暦」を置いていた。今のものより厚くて祖母にとっては一種の「教科書」だったのかもしれない。私が社務所で求めたこともあるし、本屋さんで買った記憶もある。家の誰かが時期になると暦を買って祖母に渡した。私も「自分の星」を知っていたし、一年の運勢を見るのが楽しみだった。暦は隅から隅まで目を通すと面白い本だった。今でもペラペラの暦をどこかで貰うことがある。ざっと目を通して「今年の運勢」を確かめ仏壇に供える。

割と暦に従う家だった。6月1日は「衣替え」だ。中学校の時はワイシャツを長そでから半そでに替えた。違和感のある時だけは覚えている。友達を誘いながら学校に通う道で、(随分寒いな)と感じたことがある。雨が降って一日違ったら急に半そでは寒いと感じた。通学の記憶しかないから学校に着いてしまえば気にならなかったのだろう。

高校の時は、重い学生服を脱いで「長そでシャツ」の期間が長かった。この辺りになるときっちり衣替えは意識していなかったようだ。最近は「クールビズ」がどこでも盛んだ。55才以降は行事の場以外は「色シャツに明るいネクタイ」が多かったから、アロハシャツ姿に文句は言えない。

by zoofox | 2019-06-11 06:17 | 子供時代 | Comments(0)

父親

妹が生まれた時の事だけは、はっきり覚えている。産婆さんが呼ばれて、4畳半の寝室が産室になった。母親が大きなお腹をしていた記憶はないが、生まれた日から私の寝る場所が無くなった。祖母の布団、兄の布団とうろうろして最後は父親の布団で落ち着いた。赤ちゃんが生まれたワクワク感と、自分の居所が無くなった喪失感ははっきり覚えている。みんなはそんな私を見て笑っていた気がする。4っつになったばかりだった。

夜中のトイレが怖かった。どうして怖いかと言われても説明ができない。怖いものは心底怖いのだ。子供に時間は分からない。夜中の2時ごろに私を起こしてトイレに連れて行くのは父親だった。それが和式のぼっとん便所だったのか朝顔だったのか、記憶は混ざっている。2蜀(20W)の電球の暖色の明かりと外で待っている父親の声は記憶にある。台所を横切ってトイレまで行く道のりは遠く遠く感じた。

私が東京にいない生活をしている時、何も要求したことのない父親が「○○ちゃん、家を建てようよ」と言った。古い家を取り壊して新築した。父親は昔の家の間取りと同じ間取りにした。北側のトイレは玄関横に移動したが、1階の間取りは殆ど以前と同じだった。その頃私は(後、20年は東京に帰れないだろうな)と覚悟していた。

祖母は新しい家ができる前に亡くなった。病院のベットでおむつをしてた。朦朧とした意識の中でトイレに行こうと、壁に向かってベットを降りる仕草をした。その方角は自分の寝ていたところからトイレに向かう方角だ。「ここは病院だから、そのままでいいんだよ」と言っても分からなかった。父親が亡くなってから、何故同じ間取りにしたのか、分かる気がした。年寄りには新しい間取りは良くないな、と今でも思っている。

by zoofox | 2019-06-10 06:05 | 子供時代 | Comments(0)

釘拾い

小学校に上がる直前から低学年の時の思い出は次から次へ何かのきっかけで浮かんでくる。「釘拾い」というのがあったな。と思い出す。何しろ鉄くずが高い時代だ。戦争中に供出させてみんな戦争で浪費してしまった。製造も輸入も金のない日本ではままならない。それで「屑屋さん」が、天分秤と大きな籠を背負って定期的に各家庭を回っていた。「くず~い、おはらい」という声は懐かしい。

友達には大きな磁石をずるずる引きずって「釘」や「鉄片」を集めている子がいた。自転車がダメになると発電機を手に入れて分解する。ここに永久磁石が入っている。順番で私も手に入れて持っていた。当時は焼けた家が沢山あり建築も盛んだった。道路には古い釘が良く落ちていた。足にも刺さるし自転車もパンクした。何日か引っ張ると木の一合桝一つぐらい溜まる。これが屑屋さんに持って行くと何十円かになった。

日本人の子供も朝鮮人の子供も仲良しで、情報を交換し合った。名前が多少違っても子供に国境はない。朝鮮の子供は屑鉄が沢山採れる場所を知っていた。まあ、子供も働いていたのかな。

夏休みには学校と町会で「蠅取りコンクール」があった。マッチ箱に一つ集めると、5円か10円かそれとも何か景品があったのか、天井にへばりつく蠅を「蠅取り棒」で捕まえる。蠅取り棒は金物屋で売っていた。大人を対象に「ネズミ駆除月間」というのもあった。ネズミの尻尾を「交番」に持って行くと換金してくれたはずだ。これはやったことがない。

こんな話を思い出すとまるで夢のようだ。私はずっとこの場所に住んでいるから、行動の記憶と場所の記憶が一致する。玄関前の自転車を見ていて、そろそろお終いかなと考えた時に、父親の自転車を屑屋さんに出したら二千円したなと思い出した。そこから始まった。こんな話を始めるときりがない。

by zoofox | 2019-06-09 05:45 | 子供時代 | Comments(0)

車掌さん

ちょっと前の話だが「自動運転」の電車が逆走した。「Ai」、「自動運転」は今後の新しいトレンドだ。日本はずっとこの分野に人手を割いてきた。人手を省くことがいい方向だとはけして思えないのだが。

小学校に上がる前は「路線バス」が私たちの足だった。「盛り場」に行くのも「帰省」するのも起点はバス停からバス停だった。仕事の暇なとき父親に連れられて、「上野行」のバスに乗った。浅草→上野公園山下→上野松坂屋とバスは走る。この頃、上の子供は学校、下の子供は幼児で私が連れ出しやすかったのかもしれない。デパートには「食堂」と「遊覧施設」が必ずあった。浅草松屋屋上の大きく回る平面の観覧車(名前は知らない)、上野松坂屋では小さな自動車、そんなものにたまに乗せてもらうのが大きな楽しみだった。

この頃、バスで座った記憶がない。何時もバスは混んでいた。小柄なお姉さんが昇降口の前に首から黒い大きながま口カバンを提げて立っていた。紺の制服に白い手袋、車掌さんは子供にはものすごい美人に見えた。安全を確認して、扉を閉めて「発車オーライ」と通る声で運転手に告げる。停留所に近づくと「次は○○でございます、お降りございませんか」と車内に告げる。降りる人は遠くから「次降りまーす」と声をかける。踏切に来るとさっと飛び降りて、笛を吹きながらバスを誘導する。

そんな光景はあっという間に消えた。はさみを手にがま口を開けてお釣りの小銭を確認している姿はどこにもない。初めは「ワンマンバス」というのは特別な存在だった。この頃女性の車掌さんが男性に変わった。ワンマンバスは自動ドアになり(一人で全部やるのだから大変だな)と思っていた。いつか普通の光景になり、この先は「自動運転」が待っている。

ひと手間、ふた手間が社会の潤滑油として、人と人との接点にはあった。テレビが普及し、スマホがまかり通り、キャッシュレス社会になるという。見まわしてみるとこの「人間の手間」が一番大切なのに、効率化と称して一番最初に省かれる。「ありがとうございます」まで機械が言う。「人手」は人件費がかかる。人件費を省いていいところと絶対に省けない所がある筈だ。社会は何時も同じことを繰り返す。

by zoofox | 2019-06-08 08:09 | 子供時代 | Comments(0)

得手・不得手

「得手・不得手(えて・ふえて)」、こんな言葉まだ生きているのかな。今では「得意・不得意」でそっくり置き換わってしまう。私は自分では使った記憶はない。この言葉は祖母や母を思い出す。友人が家に遊びに来ると最初の挨拶の時、「何の科目が得手なの」という具合に、どちらかが使っていた。聞かれた相手も私も、自分の言葉ではないが意味は知っていた。

方言と訛りに紛れて、こんな「時代の言葉」がある。思い出そうとしているがすぐには浮かんでこない。小津安二郎の映画の中にはそんな言葉やニュアンスが沢山隠れている。私の年齢だと、裕次郎映画にも、田宮二郎や市川雷蔵が画面の中でしゃべる言葉にも「時代のニュアンス」を感じる。何気ないところから少しずつ「言葉」は変化していくんだろうな。

by zoofox | 2019-05-04 06:13 | 子供時代 | Comments(0)

アセチレンランプ

私の記憶はみな映像として残っている。この記憶はカーバイトの匂いを伴っていた。昭和30年以前だと思う。多分父親が会社から持ってきたのだろう。庭先で「明るいだろう」とアセチレンランプに火を点けたのを覚えている。物心ついたときには家には電気が引かれ裸電球があった。電気は度々停電したし、ヒューズが焼き切れた。鉛の安全なヒューズがない時は、荷札の細い針金で代用していた。これが原因で火事があったり感電事故があったらしい。ブレーカーが普及するのかなり後になる。アセチレンランプの明るさは電球の明るさの何倍もあった。幼児の時の記憶は夏が多い。真っ暗闇を懐中電灯で照らしながら歩いた。行き先は神社の境内の「縁日」だ。縁日は毎月「5の日」とか「9の日」とか地区で違うが、月に二、三回開かれていた。縁日の屋台はアセチレンランプが焚かれ、カーバイトのケミカル臭が漂っていた。その異空間の明るさが心に残っている。

アセチレンランプの記憶は縁日の記憶につながる。夏の子供は浴衣を着ていた。浴衣と三尺の感触も覚えている。身の回りからすっかりアセチレンランプが消えてから、ずっと大人になった時「亀戸駅前」の縁日の屋台でアセチレンランプを見かけ(懐かしいな)と思った。多分この時はもう働いていて仕事帰りのはずだ。

何時も見ているテレビでアメリカの骨董屋さんの番組がある。ガラクタの中に私の記憶のポータブル型のものとは違う、街燈に使ったという大きなアセチレンランプがあった。何時頃のものかは知らないが、「ガス灯」以外に「アセチレン灯」があったとは知らなかった。言葉に反応して記憶がよみがえる。当時遊んでいた友達や場所の思い出もある。DVDの早送りのように感じる。こんな記憶どこに残っていたのだろう。

by zoofox | 2019-04-13 05:38 | 子供時代 | Comments(0)

花火

布団の中でぐずぐずとしながらラジオを点けた。ダイヤルはFM-TBSに固定して、ぜんまい式のタイマーでオンオフを調整する。(これがやりたかったんだよなー)と自分の隠れていた欲望にやっと気が付いた。ラジオのニュースは丁寧だ。アナウンサーに余計な感情がない。昨夜は10時に目を閉じた。やはり6時間以上は寝たい。

「爆発物を作った高校生が送検された」というニュースがある。何日か前からのニュースで大学生が丁寧に教えていたらしい。ちょっと前まではこうした事件事故のニュースに、(何やってんだ)とか(馬鹿なこと)と即座に答えを出して、自分なりに分類していた。しかし、最近は(これは一体いことなのか悪いことなのか)と自分なりに判断するまで時間がかかる。時間をかけないと情報が限られている場合が多すぎる。

私が中学生の頃にも「ロケット遊び」が流行った。当時はまだ空き地や原っぱが沢山あった。花火もいろいろな種類が安く売られて、夏の夕暮れに道を歩くと、あちらこちらの庭先で、道路で「線香花火」のオレンジや手持ち花火のキラキラが見えた。それだけ夜が暗かったのだろう、花火をほぐして、アルミの長めの鉛筆キャップやボルトにふさがれた細い鉄パイプに詰めて、火を点ける。私は「BB弾(紙巻の音のする花火)」を10本ずつ買ってきて、マッチで擦って投げる遊びが好きだった。

ロケット遊びで爆発して大けがをした子供がいた。それで収まったかというとそうでもない。子供は「知りたい」、「やりたい」という興味と欲望の塊だ。注意喚起が反対に(そう作るのか)という情報提供になる。何人もが怪我をした。

ふと、そんなことを思い出す。(取り締まるだけじゃ難しいな)と感じる。専門の先生が実験をさせて「何が危険で反社会的なのか」を身をもって教えないと、同様の事件は起きるだろうな。興味を持った子供にはある程度の結論を与えてやらないと、子供は次に進めないと思う。

それをどんなシステムで行うかは、難しいことだな。

by zoofox | 2019-04-09 05:54 | 子供時代 | Comments(0)

名前

私は地元っ子なので小学校中学校の同級生が何人も地元にいる。(ああ、いるな)とか(老けたな)と見かけると感じるが、声を掛け合って「最近はどうなんだ」などということはしない。(あいつは何という名前だったっけ)と考えてみると、当時の名前は結構珍しい姓があり、影の薄かった友達が立派な名前だったりする。

人でもペットでも物でも名前を付けられると、名前が独り歩きする。そんな意味で子供の名前など、いくら考えても考えすぎにはならない。私の家では、私より上の世代は「占い師さん」、「姓名判断」、「親戚の物知り」などが名前を付けている。私は疎開先の親戚の先生だった。小学校6年生になってから「○○です」と言ったら、とても喜んでくれた。私以降は家中で話し合って決めた。難しい名前やあて字というのはどうかな、子供は親の持ち物じゃないから、名前が付くと一生背負っていくことになる。難しい漢字やとても読めないあて字は、子供が苦労する。私の名前の一字目は簡単だが旧字と新字がある。習字で名前を書くとき形が取れず苦労した記憶がある。

私は歴史好きだから、日本人の「姓」と「名」には案外いろいろな意味が含まれていることに気が付く。「悪」という字の入った姓を持つ人がいた。子供はからかいのもとにしたが、とんでもないことだった。由緒正しい正統な日本の名前だ。知らないと日本の長い伝統に参加できない。そんな名前が最近は少ない。

by zoofox | 2019-03-28 05:47 | 子供時代 | Comments(0)

タンクローリー

東京に出てきて働いていた従兄弟が石油会社に勤め、大きなタンクローリーに乗って昼飯休憩に寄ることがあった。自動車も殆ど通っていない時代のことだ。従兄弟と言っても親子ほども年が違う。正月に雪深い田舎に帰らずに私の家に逗留していた。「おい、乗せてやろうか」と言われるのが何とも嬉しかった。大きな車をゆっくりと動かして一街区か二街区乗せてくれた。(絶対にトラックの運転手になる)と7、8歳の子供は思っていた。

何しろ、今のように「普通の人が車を持つ」ということは思いもよらなかった。家の前の道路は赤土で土埃が立つ道だった。舗装される前には私はそこで野球をしていた。遠くから土煙が見えると両端に避けて車を見送った。この道を通る車は殆どが三輪のトラックだった。そんな時代、タンクローリーやダンプカーや消防車は特別な車だった。子供はみんな「働く車」が好きだ。後年絵本でこの言葉を聞いた時、(上手いこと言うな)と感心していた。

今でもタンクローリーは好きな車だ。第一「危険物」を積んでいるというのが、何とも言えなくワクワクする。この道路が工事される時にたくさんのダンプカーが行き来した。飽きもせずにダンプの荷台が上がり、最後の土や石ころが転がり落ちてくる動きを見ていた。(ダンプカーの運転手になる)とも思った。

地味な事務の仕事をするより、日本中を長距離トラックで走り回る仕事も選べたのにと思う。日本も第一次産業や、車の運転手や職工さんが胸を張って豊かに生きられる社会ならいいな、と思う。みんなが”いい会社”を目指して”いい学校”に入ろうとするから社会が歪む。そんなことを思うな。家の前の四つ角を大きなステンレスのタンクローリーが曲がっていく。未だに好きだな。ワクワクする。

by zoofox | 2019-03-02 06:01 | 子供時代 | Comments(0)