独りの戯言


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カテゴリ:子供時代( 10 )

お月見

昨夜は姉弟で話をしていた。一人一人の気持ちは「同じ時間を生きていて」も、かなり異なるものだ。同じ姉弟でも、祖母、父母を見ていた距離が違うのは当然だろう。

年齢差があるから見つめていたものや、付き合っていた人達が少しずつ違う。私の基準は昭和30年だ。昭和30年と39年、私の子供時代のエポックになる。保育園にも、もちろん幼稚園にも行く子供の方が少なかった時代だ。(あれが戦後10年目の町の姿か)と改めて、私の知らない10年前を今なら感じることができる気がする。11m道路はまだ土道だった。家々は全部燃えた後にできたのだから、新築の筈だがそんな雰囲気はなかった。ほとんどの戸建ての家は小さな玄関と4畳半が二つに流し、トイレという構成で、長屋はトイレが別棟で、水道は共同だった。風呂はなかったから銭湯通いで、私が記憶しているのは5円か10円で、後に12円になった。

金持ちも貧乏人も、朝鮮人も中国人もいた。同年代の子供は国籍に関係なく同年代で遊ぶ。江戸と戦前と戦後の風習がまだ入り交じって残っていた。祖母の年代の人のいる家は、昔からの風習を大切にしていた。十五夜には、すすきと団子(新香団子だったのだろう)を飾る。私の家の縁側からも月が見えた。はしっこい子供がいて、五寸クギを笹竹の前に括り付け、「団子を取りに行こうよ」と言いだした。話だけだったのか、実際に他人の家の団子を襲撃したのかはよく覚えていない。もし取りに行っても、怒るような家はなかっただろう。(子供が団子を盗むのは想定内だった気がする)、暗闇で団子を食べた記憶はある。固くなった団子はあまり美味しくはなかった。僅か数才の違いで、兄も姉もそんな遊びは知らなかった。翌日団子は醤油と砂糖にとろみを付けて、大人と子供のおやつになった。

十五夜というと、月だけ光る真っ暗な夜と、すすきの穂を思い出す。でも、あれは、午後6時か7時ぐらいの話だろう。当時の子供はそんなに起きていられなかった。

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by zoofox | 2018-09-24 09:56 | 子供時代 | Comments(0)

高瀬舟

日曜の朝、食事の後ズルズルとテレビを点けていた。45分ほどの短編、「高瀬舟」だ。出演は若い若い前田吟が、下手人を大阪まで送る役人役だ。

小学校の教育に政府の意志が入り込んでくる、ずっと前に私は小学生だった。受験教育ではないし、カリキュラムも教師が選んでいた印象がある。昭和30年代はまだ戦争の余韻があり、教師の自由度も今よりずっと大きかった。4年生の時、図書室とは別に教師が自腹で「学級文庫」を作ってくれた。その中で、私が最初に読んだのは、小ぶりの茶色いハードカバーで12冊組の「産業革命史」という題名の本だったと思う。何冊か読んでいると、教師が言った「どんな感想だ」、そう聞かれても歴史の下地がない子供にまともな答えができるはずがない。ただ丁寧に書かれた挿絵と、当時周囲にあった工場がどうして生まれてきたか、微かに関連づけができたと思う。普通の本を与えられると、何か大人扱いされているような気持もした。

この教師だけが型破りではない。各教師が自分の得意分野を生かして、子供達を教育していた。ある授業で、森鴎外の「高瀬舟」がテキストになった。「安楽死」という言葉を始めて知った。この主人公には「罪」があるのかないのか。外で野球やドッヂボールをするのが好きな子供達を、いきなり難しい議論に巻き込む。今映画で観ると「安楽死」ではなくて「自殺幇助」だろう。本と映画が同じ物なのか、手元に原本がない。

色々な意見が出た。私は「安楽死は罪ではない」という意見だった。「人を殺したことには間違いない」という意見もあるし、「死ぬまで見ていることは残酷だ」、子供でも自分で考えさせると色々な意見が出た。教師は口を出さない。「物事を決める」のではなくて、「考えて発言する」ことと、「異なる意見にも耳を傾ける」ことを教えていたのだろう。

疑問を持ちながら自分で考えて結論を出すのと、過去の問題集の答えに縛られるのと、教育は色々な面を持っている。藤井7段の例を出すまでもなく、小学校高学年や中学生は、大袈裟に言えば「無限の可能性」をもっている。その可能性を引き出してやれる「教育」が、今行われているだろうか。


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by zoofox | 2018-08-05 10:46 | 子供時代 | Comments(0)

隅田川の花火

子供の記憶はいつ頃からあるのだろうか。私は「立ち歩き」ができて、箪笥の下でおむつをしていた。箪笥の引き出しに、ゴム引きのおしめカバーが入っていて、箪笥を見上げながら、(あれは嫌だな)と思ったのが、一番古い記憶だ。産婆さんが来て、奥の四畳半で妹が生まれる前後の記憶は、はっきりしている、三歳半ぐらいだろうか。その夜は、それまで母親と寝ていたのが、場所を奪われ、祖母の布団に入り、最後は父親の布団で寝た、嬉しさと淋しさを覚えている。

隅田川の花火はいつ始まったのかあまりはっきり覚えていない。隅田公園は桜を見に連れて行かれた。子供の足では大層遠い気がした。母親が妹をおぶい私の手を引いて歩いて行ったのだから、上の姉兄は学校に行っていたのだろう。急な雨に降られて、言問橋の下で雨宿りをしたのを覚えている。その後護岸工事で、桜は抜かれ、随分経ってからもう一度植えられた。その頃は花火大会はまだなかった。

多分何かを記念して、花火大会が始まった。当初は古い家の縁側から両国方面に上がる花火が見えた。花火が見えてからしばらくして音が追いつく。家が建て込んで、今は屋上の塔屋の上に登らないと見えない。今の花火は当時に比べて小さくなった。黒玉(花火の燃えかす)が浅草やこちらにも飛んで、三寸玉に制限されたはずだ。近くで見るとそれなりに大きいが、千曲川や長岡とは、大きさも高さも腹に響く音も比べものにならない。「花火を見に行くと首が痛くなる」のが普通だったが、今はそんなことはない。

隅田川沿いにマンションがあったから、そのベランダで毎年花火を撮った。三脚を据え、バルブを長いレリーズで留め、黒い下敷きでレンズを開けたり閉めたり、三つ四つの花火を一画面に入れた。「無限遠のF8だよ」写真屋の社長が教えてくれた。花火写真は三年で飽きた。最後の年は、望遠レンズで手持ちで撮った。望遠で撮ると花火はまた違った顔を見せた。手持ちで手がぶれたり、開いた瞬間にズームをかけると、思いもしない効果が出た。「これどうして撮ったんだよ」と、仲間に聞かれたこともある。そのネガを一生懸命探したが見付からない。引っ越しの時見た記憶があるのだが。

一日遅れの花火大会は、色々なことを思い出させる。

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by zoofox | 2018-07-29 22:26 | 子供時代 | Comments(0)

写真中の人

私達の地域は、割と人口移動の少ない地域だ。小中学校の友人や顔を知っているだけの同窓生は、町を歩いていても出会うことが多い。

七夕の写真を整理していて、一番いいアングルの光も生きている写真が二枚あった。(今年の地元コンテストの応募はこれにしよう)と思って、大きくしてじっくりと見ると、真ん中にお店の人と話している人の姿がある。二枚ともある。

私はこの人を知っている。小学校の時校庭で見たことがある。おかっぱでキリッとした顔をしていた。事故か病気か身体には特徴があった。多分下級生だったと思う。良く「はんとう棒」の側で見た記憶がある。私は身が軽くはんとう棒は得意だった。

その後もこの土地で、何度かは見ているはずだ。恰幅が良くなり元気そうだ。

写真は一度きりの出会いだ。もう切り取った時間は戻ることはない。買い物車を押している年寄りの姿は町の象徴だ。それともまた意味が違う。今度印刷して、会ったときに渡そう。


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by zoofox | 2018-07-10 22:11 | 子供時代 | Comments(0)

日光写真

「日光写真」御存知の方は少なくなっただろうな。昭和二十年代、三十年代に幼児期から小学生時代を過ごした。みんなが貧乏で物が少ない時代だった。でも今考えると、子供も大人も色々な工夫をして生活を楽しんでいた。当時の駄菓子屋は、「子供のデパート」だったし、紙芝居は、「子供の映画館」だった。駄菓子屋は菓子だけではなく、細々とした「おもちゃ」も売っていた。単価は覚えていないが、もう硬貨はないが実質的に「銭」が生きていた時代だった。「アメが2個で1円、3個で1円」という売り方をしていた。

日光写真はトランプほどの大きさの箱に、ネガと印画紙が入っていた。印画紙の上にネガをピタリと乗せ、廊下の柱などに太陽に向けて置いておく。5分か10分待つと、マンガの主人公などが印画紙の上に浮き出る。「定着液」というのが付いていたような気もするが、今となっては定かではない。白黒が逆になると画像が出てくる。子供には不思議な世界だった。

家には虫眼鏡があった。しゃれた象牙もどきの折りたたみケースに入る小判型のルーペだ。多分、母か祖母が使っていたのもかも知れない。お日様と小さな庭とこのルーペがあると、何時間も遊んでいた。黒っぽい紙に焦点を結んで火を熾す。花や虫を鼻を近づけて観察する。時には黒い蟻を「小さな太陽」で追いかけて、焼き殺す。古い家の廊下には、点々と焦げた跡があった。

今の時代でも多分子供は、「遊びを作って」遊んでいると思う。子供は、ない物を工夫する訓練には良い時期だ。既成のおもちゃを買って与えるだけではいけない。一緒に違う遊び方も考えるべきだな。

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by zoofox | 2018-06-23 09:02 | 子供時代 | Comments(0)

遠近法

時々忘れていたことをふっと思い出す。私のブログはメインテーマがないから、この「ふっと」がサブテーマなのかな。

小学校の高学年か中学生の時かはっきり覚えていない。図画の時間に好きなテーマで絵を描いていた。先生が覗き込んで、「おっ、望遠効果だな」と言われた。絵を描くのが好きだから、大体風景を描く時は、中央や左右に点を決めて、そこに向けて風景が収斂していく描き方をしていた。自然に知った遠近法なのだろう。でも同じ描き方には飽きる。

父親に浅草松屋に連れていって貰って、屋上の望遠鏡(双眼鏡)を見るのが好きだった。多分一回10円だったのだろう。二分間か三分間の楽しみだ。望遠鏡の「書き割りが張り付いたような」画像に驚いたことを忘れていない。(なんでこんな風に見えるのだろう)という不思議があった。幼児から児童の頃の記憶は心に焼き付く。

遠くへ行くほど小さく見えるのは当然だが、望遠鏡の圧縮画像では近くも遠くも一緒に見える。二階の図工室から見える遠景をどう書いたか覚えていないが、遠くのビルも煙突も公団アパートも、間の空間を無視して描いてみた。出来たものは不思議な絵だった。

油絵の具は無いから、水彩絵の具で小さな点を集めて絵にしたこともある。後のカメラ好きは単なる「子供帰り」だったのかも知れない。兄が借りてきた望遠レンズ(多分200mmか300mmぐらいだろう)で、撮った兄のポートレートがある。道路に立つ何気ない表情を撮っている。何だか絞り込み測光でやたらと面倒だったことは覚えている。手順を教えられて撮った何枚かの中に、背景がとんでバストショットだけが浮かび上がっているものがあった。そんな写真は見たことがなかった。

そんな感覚の新鮮さが宝物だ。今では誰でも撮れる何でもない写真だ。音楽でも、料理でも、薪割りでも、大人扱いされて任された時のことは心に残る。小学生の時の初めての卵焼きは、油を入れたが同時に卵を入れて卵焼きにならなかった。一度失敗すれば、「フライパンと油を熱する」ことを覚える。昔の大人は案外無茶をしていたな。

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by zoofox | 2018-06-10 09:00 | 子供時代 | Comments(0)

スイカ

今では年が変わると、店頭に小さなスイカが並んでいる。夏、私が子供の時は大きなスイカをもっと頻繁に気軽に食べていた気がする。スイカにまつわる思い出は多い。私だったか他の人か、大きなスイカを落として、拾い集めて食べたこともある。私の子供の頃はテレビなどないから、遊び疲れて、夕食が終わるとすぐ寝てしまった。一寝入りして起きると大人達が、茶の間でわいわいとスイカを食べている。そんな光景は何度もあった。

八百屋の店頭で叩いて買うのも一種の習慣だった。あんな重い物をどうやって運んだんだろう。目の荒い網に入れて、右手に持ち左手に持ち替えて家まで持ってきたのは記憶している。乳歯の頃私の前歯は大きくて、「お前はスイカが食べやすくて良い」と言っていたのは誰だったかな。

紅いスイカと黄色いスイカがあった。味は同じだ。

歳を取って、だんだん瓜系の食べ物が苦手になって来た。メロン、瓜、スイカもそうだ。これは理由をうまく説明できない。父親も同じだった。かぶりついて、口の周りが痒くなる感覚、もう忘れていたなあ。母は死ぬまで大好物だった。おかしいな。もうすぐ夏だ。店頭にはメロンのようなスイカが沢山出ている。スイカは夏の味だ。

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by zoofox | 2018-05-30 08:14 | 子供時代 | Comments(0)

子供時代 物置

私の家族は「物置」が好きなようだ。それでいて整理はあまり上手くない。子供の頃、小さな庭に面して6畳と4畳半の部屋が並んでいた。その前に一間の廊下がある。廊下の突き当たりは半畳ほどの物置になっていた。子供と言っても小学校に上がる前か低学年の頃だろう。物置は子供にとって博物館のような特殊な場所だった。祖父が使っていたたばこ盆や日常の手帳など(カフスや印籠などは祖母が別に管理していた)。そして雑多な本。私は博物誌とでも言うべき戦前の動物図鑑が好きだった。そこには動物園にいるような動物も出ていたが、「魚類図鑑」がお気に入りだった。魚など普段食べるものしか知らない。写真ではなく緻密なイラストで描かれていた。今でも鮮明に覚えているのはクラゲ類だ。その中でも「カツオノエボシ」はページ一杯に描かれて(なんだこりゃ)と思いながらその不思議な形に目が離せなかった。

物置は上段と下段に分かれていて、上段には細々としたもの、下段には大工道具や釘箱、墨付けの道具などが置かれていたような気がする。体が小さくて身軽だったから、上の段に登ってそんな本を見ていた気がする。

ある時父親が庭の隅に二畳ほどの小屋を建てた。ガラス戸を入れ、大工道具や大きな鉞、炭や豆炭、練炭などが置かれた。古材もいろいろな寸法のものがあり、「本箱作ってよ」と言うと気軽に休みの日に縁側で作ってくれた。私は隣でのこぎりで左の人差し指の爪の下辺りを切った。血がなかなか止まらない。今だったら大騒ぎだろう。「舐めときな」と言われてしばらく舐めて血が止まった頃包帯を巻いてくれた。今でも微かに傷跡が残っている。

外で転べば、擦り傷が出来る。小石や砂が入っている。当時の治療はまず水道で水洗いをして異物を取り除く。その後はオキシフルや赤チンを塗ってお終いだ。傷はかさぶたになり、包帯や絆創膏を使うと「治るのが遅くなる」、「風に当てときゃ早く治る」と言われていた。よく当時の大人は子供に刃物や装具を使わせた。鉛筆を削るにしても、彫刻刀を使うにしても、「刃の前に手を出すんじゃないよ」と言われた。一度痛い思いをすると刃物は別に危険な道具ではなかった。

当時は物置は「いらないものの置き場」ではなかった。貧乏だから「いらないもの」などないのだ。「使用頻度の低いものを置いておく」場所だった。少しずつものが増え、今は「すぐ捨てられないもの」の置き場になっている。私は自分から自分のものを捨てた記憶は殆どない。パンツがいつの間にか雑巾になっているのには出会ったことがある。

今それで悩んでいる。入れるものが多すぎる。

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by zoofox | 2018-03-20 22:15 | 子供時代 | Comments(0)

通学路

朝食後、玄関前で小学生の横断の様子を見守っている。この道はこの時間は交通量が多い。私なりのひっそりとしたボランティアだ。8時になると旗持ちの父兄が帰る。通学はその後もだらだらと続く。8時10分頃小学校一年生だろう(まだランドセルが大きく見える)の女の子が泣いている。それを地味な服を着た男が抱きかかえるようにして、信号の前に立った。左手で肩を抱きかかえるように押さえている。女の子の「やだ~」という声が聞こえてくる。一応男の人相を頭に刻み込む。(父親というよりお爺さんだな)と思う。月曜日の通学は気の進まないものだ。寝坊したり宿題をしていなかったり、からかう子供がいれば、学校に行きたくない気持ちは分かる。行きたくないという子供を爺ちゃんが、学校まで連れて行く様子に見える。(事件じゃないよな)と自分を納得させる。私の前をL字型に曲がって小学校の方向に向かった。

今の子供はひっそりと不登校になる。あれだけ泣いて意思を表すのは不登校とは違う。私の頃は親が子供を連れてくるケースは幾つもあった。今時の風景としては珍しい。

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by zoofox | 2018-03-05 08:46 | 子供時代 | Comments(0)

子供達(1)

私は子供が好きだ。
うるさくて、汚くて、遠慮を知らない小さな子供が好きだ。子供は天性の暴力団だ。つい最近の子供を自分の子供時代と比較してしまう。ランドセルを背負って、黄色い帽子を被り、きちんと列になって歩く彼等は、私の中の子供と繋がらない。

私に子供はいないが、幼児期の小さな魂を育てた手伝いをしたことはある。
社会を意識する前と後では、子供が少し人間になる。親の都合で早くから保育園に入れられ、他人の目を気にしながら育っていく子供を、どこかで可哀想だな、と思ってみている。

親に沢山甘えた子供は、優しさを覚える。集団生活に慣れた子供は、他人の目を意識する。大人になるにつれ、集団の中で、自分をコントロールしながら生きていくのは人間の宿命だが、それがどこから始まるかが、私達の時代と違う。3才ぐらいから10才ぐらいまで、どの子供も天才に見える。言葉を覚え、身のまわりの興味あることに夢中になり、親は誰でも、「この子は天才じゃないだろうか」と思う時期がある。早くからの集団生活は、そんな可能性を早い時期に一律に平均的にしようとしているように思える。

私に子供がいたら、保育園など通わせない。絵でも音楽でもゲームでもスポーツでも、好きなことがあればとことんやらせる。小学校も4年生までは自分で教えてもいいと感じる。5年生というのは一つの分かれ目になると思う。理科系に進むか文系なのか、物を造るのか、人と交流して何かするのか、子供の将来がはっきりしてくる時期だ。

現代は、「家庭での教育」が疎かにされていると思う。もちろん子供を持つ親は、「そんな時間があるものか」と言われるだろう。家庭教育と言っても、一から十まで監視するように育てると言うことではない。子供は疑問を持っている。読み書きそろばんとその疑問に答えるぐらいは出来ると思う。不登校やいじめは、どこかで何かが狂ってきている、と感じる。それが何なのか、折を見て考えて見たい。

※いきなり前置きもなしに「人間の可能性を伸ばす」、「幸せって何だろう」と考えて、子供に行き着きました。何か思いつく度に書いてみようと思います。政治の悪口ばかりだと希望がなくなりますから。

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by zoofox | 2016-09-20 22:58 | 子供時代 | Comments(0)