独りの戯言


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カテゴリ:子供時代( 15 )

貸本屋さん

町並みを見ていると、50年も60年も同じ所に住んでいるから、子供の時の「町」と目の前の「町」を比べてしまう。道が狭く建物が小さく感じる。同じ長屋がまだ同じ位置にある所もある。道路沿いに「糊屋さん」があり、その裏に「貸本屋」があったな、と思っても今は普通の民家しかない。

中学校になって、授業中に表紙がぼろぼろの本が回ってくる。さっと見てすぐ次に回さないといけない。そんな本の中に「水木しげる」さんのマンガがあった。後の鬼太郎のネズミ男の原型に思える死神が主人公で、マンガに免疫のない私は(こんな面白い本はない)と思った。放課後に友人に聞いてみると、通学路沿いの目立たないところに「貸本屋」があった。お金を持ち歩かない中学生は多分「立ち読み」をしたのだろう。

5円だったのか10円だったのか、一泊二日か二泊三日で数冊借りられたと思う。私は読むのが早いし、(マンガにお金を遣うことは良くない)と変に道徳的だったから、友人の借りた本をさらっと見せて貰っていた。誰かにお金を借りてハードカバーを借りて読んだ記憶がある。自宅にあった「全集もの」とは傾向の違うものだったと思う。残念ながら「何を借りて読んだか」を覚えていない。

貸本屋に出入りしたのは覚えているが、短期間だったのか長期間か、店がなくなったのかは憶えていない。新しい図書館ができ、学校の図書室に本は沢山あったから、貧乏人には「お金を払って本を借りる」という習慣は意味がなかったのかもしれない。貸本屋の記憶は薄れたが、本屋とは違った、店の日向臭い乾いた匂いと夕日の中だったことは憶えている。

後年、水木しげるさんの復刻版を見たが、(これだったのか)と懐かしかった。子供の頃のことは良く憶えているが、貸本屋の記憶はぷつんと切れて曖昧だ。何か霧に包まれている。ある日突然、店がなくなったような気もする。転校した友人の記憶と似ている。

by zoofox | 2019-02-17 06:02 | 子供時代 | Comments(0)

寄留

玄関で郵便ポストを覗いた時に記憶が蘇る。そういえば最近、(○○様方)という書かれた宛名書きの郵便物は来ないな、と思った。そうだ、まだ「米穀通帳」のあった時代だ。「配給」という言葉が生きていた。

親戚中で都内に住んでいるのは私の家だけだった。所在地の確認や身分証明の代わりに米穀通帳は使われた。千葉県や埼玉県から都内の学校に通うときは、私の家の住所が「寄留先」として使われたらしい。お米屋さんに米穀通帳を持って米を買いに行ったことは記憶しているが、米穀通帳の記載については記憶がない。まだ漢字が読めない年頃だったのかもしれない。

「誰々さんの家には寄留している人がいる」と、口語では聞いたことがあるが、それがなんだかは知らなかった。子供としては誰だか知らない人の名前が書かれた郵便物が来るのは不思議だったが、不思議なことはたくさんある時代だった。ただ、本物の「寄留」と書類上の「寄留」とがあることは何となく知っていた。叔父が戦争から戻り、田舎には帰らずにしばらく家にいた。これが本物の寄留だった。

言葉はそのものが一種の「暗号」のようにいろいろな記憶を詰め込んでいる。つぶやくだけで時代が浮かんでくる。私は気にしないが同居人はプライバシーに敏感だ、通信販売や懸賞の応募には、架空の名前を使う。宅配や郵便局の人は住所が合っていれば配達してくれる。見知らぬ名で配達物が届くと、思わずにやりとしてしまう。

by zoofox | 2019-01-21 06:02 | 子供時代 | Comments(0)

九ちゃんのズンタッタタ

昨日の午後から、「 ♪ ズンズタッタ ズンズタッタ ズンズタッタズン ♪ 」の歌がずっと耳に付いていた。最近特にどこかで聞いた訳でもない。単なる私の灰色の脳細胞のショートだろう。子供の頃からこの中の「 ♪ きーちゃいけなよ きたことない ♪ 」、というフレーズの意味が分からなかった。口ずさんでいる間に、もしかしたら、「(そんなことは)聞いちゃいけないよ 聞いたことない(パラキン)」というコーラスとの掛け合いなのかな、と思いついた。ネットの世の中、検索するとちゃんと歌詞が出ていた。歌詞は「聞いちゃいけないよ」だけだ。九ちゃんは滑舌のいい歌手ではない。歌詞自体も六八コンビの雰囲気ではない。すると青島かなと思っていた。大当たりだった。

1963年の歌とある。守屋浩や坂本九は私の兄の年代だ。一二の三でテレビが普及したから、私も覚えていたのだろう。

子供の頃からの不思議は、いい加減にすっ飛ばしている。思いついた長年の疑問が解けるのは何となくすっきりする。まだ沢山あるはずだ。それがどんな疑問なのかは、思い出してみないと分からない。

by zoofox | 2018-11-18 06:20 | 子供時代 | Comments(0)

雨の日

雨の日だ。雨傘の持ち方にもいろいろ人による差がある。私は普通に「柄」を握ってこうもり傘を差す。背広を着た若い人が、柄を握らずに、こうもり傘の軸の真ん中のちょっと下を持って歩いていた。(なんか変だな)とは思うが、個性というものなのだろう。

高校は雨が降っても雪が降っても、自転車で傘を差して国道を走った。こうもり傘を持って歩いた記憶があるのは中学校までだ。私の家は学区の外れにあり、学校まで順番に友達の家を覗いて誘っていく。一人目はチビのM君、その向かいにでっかいN君、細い路地を抜けていくとK君、この順番は卒業まで続いた。いずれも小学校の同期生だ。何しろ小学校は5クラス、中学はJかK組まで10クラス以上あったと思う、あまり同じクラスになった記憶はない。

毎日歩いて通うから、たまには雨の日もある。私は10数分の通学路で必ずズボンの裾の前か後ろが濡れた。K君は傘の扱いが上手くて、ほとんど濡れた姿を見たことがない。彼は「傘屋さん」の息子だった。植木等がテレビで宣伝をするずっと前から、黒い「ジャンプ傘」を持っていた。(面白い傘を持っているな)とは思っていたが、他人の道具には特に関心はなかった。後年気が付くのだが、傘を差す角度や高さがきちんとしていたのだろう。

私はバスで通勤するときも、お酒が入ると必ずのように傘を忘れた。何時の間にか「傘を持たない」のが習慣になった。

by zoofox | 2018-11-09 08:53 | 子供時代 | Comments(0)

洗い張り

二番煎じだが、産まれた子供のお宮参りに我が家に残る「おかけ(呉服屋さんではそう言うらしい)」、(先日ご紹介したもの)をどうかと姪に見せたら、意外に喜んでくれた。そうと決まれば早速、同居人が懇意にしている呉服屋さんに持っていった。「洗い張り」をして貰うためだ。何しろ時代物だから、洗っても綺麗になることはない。長年の埃を落として、使えるものかどうか相談しに行った。お世辞かどうか、「今時こんなものはありませんよ」、と言われたという。私の理解の範囲では、シルクスクリーンのように、何十工程かの手間をかけて色を乗せたものだろう。私にはよく分からない世界だ。

洗い張りと言うからには、ばらばらにほどいてからの仕事だろう。生地が保つかどうか心配なところもある。母は、年中洗い張りをしていた。張り板が二枚あって季節の変わり目には、祖母と自分の着物を洗っていた。乾いた生地を剥がすときの、パリパリという音も記憶にある。祖母が元気な頃は、年中着物を縫っていた。綿を打ち直して新しい布団を作るときは、最後に「真綿」を薄くのばして、綿をくるむように覆う。その間、首の周りに巻いて作業していた。当然子供は手伝わされる。こんな記憶がまるで映画を観ているように思い出される。

着物(おかけ)は出来上がるまでに半月程かかるらしい。
そうだ、祖母は真夏以外はずっと着物だった。母も洋装に代わったのは昭和三〇年以降だろう。五十数年前までは、着物が普段着で、下駄がサンダル代わりだった。寝間着といえば浴衣のことだった。一つのことを思い出すと、ズルズルと記憶が繋がってくる。海馬の底から引っ張り出されるんだろうな。

by zoofox | 2018-11-01 19:31 | 子供時代 | Comments(0)

お月見

昨夜は姉弟で話をしていた。一人一人の気持ちは「同じ時間を生きていて」も、かなり異なるものだ。同じ姉弟でも、祖母、父母を見ていた距離が違うのは当然だろう。

年齢差があるから見つめていたものや、付き合っていた人達が少しずつ違う。私の基準は昭和30年だ。昭和30年と39年、私の子供時代のエポックになる。保育園にも、もちろん幼稚園にも行く子供の方が少なかった時代だ。(あれが戦後10年目の町の姿か)と改めて、私の知らない10年前を今なら感じることができる気がする。11m道路はまだ土道だった。家々は全部燃えた後にできたのだから、新築の筈だがそんな雰囲気はなかった。ほとんどの戸建ての家は小さな玄関と4畳半が二つに流し、トイレという構成で、長屋はトイレが別棟で、水道は共同だった。風呂はなかったから銭湯通いで、私が記憶しているのは5円か10円で、後に12円になった。

金持ちも貧乏人も、朝鮮人も中国人もいた。同年代の子供は国籍に関係なく同年代で遊ぶ。江戸と戦前と戦後の風習がまだ入り交じって残っていた。祖母の年代の人のいる家は、昔からの風習を大切にしていた。十五夜には、すすきと団子(新香団子だったのだろう)を飾る。私の家の縁側からも月が見えた。はしっこい子供がいて、五寸クギを笹竹の前に括り付け、「団子を取りに行こうよ」と言いだした。話だけだったのか、実際に他人の家の団子を襲撃したのかはよく覚えていない。もし取りに行っても、怒るような家はなかっただろう。(子供が団子を盗むのは想定内だった気がする)、暗闇で団子を食べた記憶はある。固くなった団子はあまり美味しくはなかった。僅か数才の違いで、兄も姉もそんな遊びは知らなかった。翌日団子は醤油と砂糖にとろみを付けて、大人と子供のおやつになった。

十五夜というと、月だけ光る真っ暗な夜と、すすきの穂を思い出す。でも、あれは、午後6時か7時ぐらいの話だろう。当時の子供はそんなに起きていられなかった。

by zoofox | 2018-09-24 09:56 | 子供時代 | Comments(0)

高瀬舟

日曜の朝、食事の後ズルズルとテレビを点けていた。45分ほどの短編、「高瀬舟」だ。出演は若い若い前田吟が、下手人を大阪まで送る役人役だ。

小学校の教育に政府の意志が入り込んでくる、ずっと前に私は小学生だった。受験教育ではないし、カリキュラムも教師が選んでいた印象がある。昭和30年代はまだ戦争の余韻があり、教師の自由度も今よりずっと大きかった。4年生の時、図書室とは別に教師が自腹で「学級文庫」を作ってくれた。その中で、私が最初に読んだのは、小ぶりの茶色いハードカバーで12冊組の「産業革命史」という題名の本だったと思う。何冊か読んでいると、教師が言った「どんな感想だ」、そう聞かれても歴史の下地がない子供にまともな答えができるはずがない。ただ丁寧に書かれた挿絵と、当時周囲にあった工場がどうして生まれてきたか、微かに関連づけができたと思う。普通の本を与えられると、何か大人扱いされているような気持もした。

この教師だけが型破りではない。各教師が自分の得意分野を生かして、子供達を教育していた。ある授業で、森鴎外の「高瀬舟」がテキストになった。「安楽死」という言葉を始めて知った。この主人公には「罪」があるのかないのか。外で野球やドッヂボールをするのが好きな子供達を、いきなり難しい議論に巻き込む。今映画で観ると「安楽死」ではなくて「自殺幇助」だろう。本と映画が同じ物なのか、手元に原本がない。

色々な意見が出た。私は「安楽死は罪ではない」という意見だった。「人を殺したことには間違いない」という意見もあるし、「死ぬまで見ていることは残酷だ」、子供でも自分で考えさせると色々な意見が出た。教師は口を出さない。「物事を決める」のではなくて、「考えて発言する」ことと、「異なる意見にも耳を傾ける」ことを教えていたのだろう。

疑問を持ちながら自分で考えて結論を出すのと、過去の問題集の答えに縛られるのと、教育は色々な面を持っている。藤井7段の例を出すまでもなく、小学校高学年や中学生は、大袈裟に言えば「無限の可能性」をもっている。その可能性を引き出してやれる「教育」が、今行われているだろうか。


by zoofox | 2018-08-05 10:46 | 子供時代 | Comments(0)

隅田川の花火

子供の記憶はいつ頃からあるのだろうか。私は「立ち歩き」ができて、箪笥の下でおむつをしていた。箪笥の引き出しに、ゴム引きのおしめカバーが入っていて、箪笥を見上げながら、(あれは嫌だな)と思ったのが、一番古い記憶だ。産婆さんが来て、奥の四畳半で妹が生まれる前後の記憶は、はっきりしている、三歳半ぐらいだろうか。その夜は、それまで母親と寝ていたのが、場所を奪われ、祖母の布団に入り、最後は父親の布団で寝た、嬉しさと淋しさを覚えている。

隅田川の花火はいつ始まったのかあまりはっきり覚えていない。隅田公園は桜を見に連れて行かれた。子供の足では大層遠い気がした。母親が妹をおぶい私の手を引いて歩いて行ったのだから、上の姉兄は学校に行っていたのだろう。急な雨に降られて、言問橋の下で雨宿りをしたのを覚えている。その後護岸工事で、桜は抜かれ、随分経ってからもう一度植えられた。その頃は花火大会はまだなかった。

多分何かを記念して、花火大会が始まった。当初は古い家の縁側から両国方面に上がる花火が見えた。花火が見えてからしばらくして音が追いつく。家が建て込んで、今は屋上の塔屋の上に登らないと見えない。今の花火は当時に比べて小さくなった。黒玉(花火の燃えかす)が浅草やこちらにも飛んで、三寸玉に制限されたはずだ。近くで見るとそれなりに大きいが、千曲川や長岡とは、大きさも高さも腹に響く音も比べものにならない。「花火を見に行くと首が痛くなる」のが普通だったが、今はそんなことはない。

隅田川沿いにマンションがあったから、そのベランダで毎年花火を撮った。三脚を据え、バルブを長いレリーズで留め、黒い下敷きでレンズを開けたり閉めたり、三つ四つの花火を一画面に入れた。「無限遠のF8だよ」写真屋の社長が教えてくれた。花火写真は三年で飽きた。最後の年は、望遠レンズで手持ちで撮った。望遠で撮ると花火はまた違った顔を見せた。手持ちで手がぶれたり、開いた瞬間にズームをかけると、思いもしない効果が出た。「これどうして撮ったんだよ」と、仲間に聞かれたこともある。そのネガを一生懸命探したが見付からない。引っ越しの時見た記憶があるのだが。

一日遅れの花火大会は、色々なことを思い出させる。

by zoofox | 2018-07-29 22:26 | 子供時代 | Comments(0)

写真中の人

私達の地域は、割と人口移動の少ない地域だ。小中学校の友人や顔を知っているだけの同窓生は、町を歩いていても出会うことが多い。

七夕の写真を整理していて、一番いいアングルの光も生きている写真が二枚あった。(今年の地元コンテストの応募はこれにしよう)と思って、大きくしてじっくりと見ると、真ん中にお店の人と話している人の姿がある。二枚ともある。

私はこの人を知っている。小学校の時校庭で見たことがある。おかっぱでキリッとした顔をしていた。事故か病気か身体には特徴があった。多分下級生だったと思う。良く「はんとう棒」の側で見た記憶がある。私は身が軽くはんとう棒は得意だった。

その後もこの土地で、何度かは見ているはずだ。恰幅が良くなり元気そうだ。

写真は一度きりの出会いだ。もう切り取った時間は戻ることはない。買い物車を押している年寄りの姿は町の象徴だ。それともまた意味が違う。今度印刷して、会ったときに渡そう。


by zoofox | 2018-07-10 22:11 | 子供時代 | Comments(0)

日光写真

「日光写真」御存知の方は少なくなっただろうな。昭和二十年代、三十年代に幼児期から小学生時代を過ごした。みんなが貧乏で物が少ない時代だった。でも今考えると、子供も大人も色々な工夫をして生活を楽しんでいた。当時の駄菓子屋は、「子供のデパート」だったし、紙芝居は、「子供の映画館」だった。駄菓子屋は菓子だけではなく、細々とした「おもちゃ」も売っていた。単価は覚えていないが、もう硬貨はないが実質的に「銭」が生きていた時代だった。「アメが2個で1円、3個で1円」という売り方をしていた。

日光写真はトランプほどの大きさの箱に、ネガと印画紙が入っていた。印画紙の上にネガをピタリと乗せ、廊下の柱などに太陽に向けて置いておく。5分か10分待つと、マンガの主人公などが印画紙の上に浮き出る。「定着液」というのが付いていたような気もするが、今となっては定かではない。白黒が逆になると画像が出てくる。子供には不思議な世界だった。

家には虫眼鏡があった。しゃれた象牙もどきの折りたたみケースに入る小判型のルーペだ。多分、母か祖母が使っていたのもかも知れない。お日様と小さな庭とこのルーペがあると、何時間も遊んでいた。黒っぽい紙に焦点を結んで火を熾す。花や虫を鼻を近づけて観察する。時には黒い蟻を「小さな太陽」で追いかけて、焼き殺す。古い家の廊下には、点々と焦げた跡があった。

今の時代でも多分子供は、「遊びを作って」遊んでいると思う。子供は、ない物を工夫する訓練には良い時期だ。既成のおもちゃを買って与えるだけではいけない。一緒に違う遊び方も考えるべきだな。

by zoofox | 2018-06-23 09:02 | 子供時代 | Comments(0)