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カテゴリ:子供時代( 21 )

得手・不得手

「得手・不得手(えて・ふえて)」、こんな言葉まだ生きているのかな。今では「得意・不得意」でそっくり置き換わってしまう。私は自分では使った記憶はない。この言葉は祖母や母を思い出す。友人が家に遊びに来ると最初の挨拶の時、「何の科目が得手なの」という具合に、どちらかが使っていた。聞かれた相手も私も、自分の言葉ではないが意味は知っていた。

方言と訛りに紛れて、こんな「時代の言葉」がある。思い出そうとしているがすぐには浮かんでこない。小津安二郎の映画の中にはそんな言葉やニュアンスが沢山隠れている。私の年齢だと、裕次郎映画にも、田宮二郎や市川雷蔵が画面の中でしゃべる言葉にも「時代のニュアンス」を感じる。何気ないところから少しずつ「言葉」は変化していくんだろうな。

by zoofox | 2019-05-04 06:13 | 子供時代 | Comments(0)

アセチレンランプ

私の記憶はみな映像として残っている。この記憶はカーバイトの匂いを伴っていた。昭和30年以前だと思う。多分父親が会社から持ってきたのだろう。庭先で「明るいだろう」とアセチレンランプに火を点けたのを覚えている。物心ついたときには家には電気が引かれ裸電球があった。電気は度々停電したし、ヒューズが焼き切れた。鉛の安全なヒューズがない時は、荷札の細い針金で代用していた。これが原因で火事があったり感電事故があったらしい。ブレーカーが普及するのかなり後になる。アセチレンランプの明るさは電球の明るさの何倍もあった。幼児の時の記憶は夏が多い。真っ暗闇を懐中電灯で照らしながら歩いた。行き先は神社の境内の「縁日」だ。縁日は毎月「5の日」とか「9の日」とか地区で違うが、月に二、三回開かれていた。縁日の屋台はアセチレンランプが焚かれ、カーバイトのケミカル臭が漂っていた。その異空間の明るさが心に残っている。

アセチレンランプの記憶は縁日の記憶につながる。夏の子供は浴衣を着ていた。浴衣と三尺の感触も覚えている。身の回りからすっかりアセチレンランプが消えてから、ずっと大人になった時「亀戸駅前」の縁日の屋台でアセチレンランプを見かけ(懐かしいな)と思った。多分この時はもう働いていて仕事帰りのはずだ。

何時も見ているテレビでアメリカの骨董屋さんの番組がある。ガラクタの中に私の記憶のポータブル型のものとは違う、街燈に使ったという大きなアセチレンランプがあった。何時頃のものかは知らないが、「ガス灯」以外に「アセチレン灯」があったとは知らなかった。言葉に反応して記憶がよみがえる。当時遊んでいた友達や場所の思い出もある。DVDの早送りのように感じる。こんな記憶どこに残っていたのだろう。

by zoofox | 2019-04-13 05:38 | 子供時代 | Comments(0)

花火

布団の中でぐずぐずとしながらラジオを点けた。ダイヤルはFM-TBSに固定して、ぜんまい式のタイマーでオンオフを調整する。(これがやりたかったんだよなー)と自分の隠れていた欲望にやっと気が付いた。ラジオのニュースは丁寧だ。アナウンサーに余計な感情がない。昨夜は10時に目を閉じた。やはり6時間以上は寝たい。

「爆発物を作った高校生が送検された」というニュースがある。何日か前からのニュースで大学生が丁寧に教えていたらしい。ちょっと前まではこうした事件事故のニュースに、(何やってんだ)とか(馬鹿なこと)と即座に答えを出して、自分なりに分類していた。しかし、最近は(これは一体いことなのか悪いことなのか)と自分なりに判断するまで時間がかかる。時間をかけないと情報が限られている場合が多すぎる。

私が中学生の頃にも「ロケット遊び」が流行った。当時はまだ空き地や原っぱが沢山あった。花火もいろいろな種類が安く売られて、夏の夕暮れに道を歩くと、あちらこちらの庭先で、道路で「線香花火」のオレンジや手持ち花火のキラキラが見えた。それだけ夜が暗かったのだろう、花火をほぐして、アルミの長めの鉛筆キャップやボルトにふさがれた細い鉄パイプに詰めて、火を点ける。私は「BB弾(紙巻の音のする花火)」を10本ずつ買ってきて、マッチで擦って投げる遊びが好きだった。

ロケット遊びで爆発して大けがをした子供がいた。それで収まったかというとそうでもない。子供は「知りたい」、「やりたい」という興味と欲望の塊だ。注意喚起が反対に(そう作るのか)という情報提供になる。何人もが怪我をした。

ふと、そんなことを思い出す。(取り締まるだけじゃ難しいな)と感じる。専門の先生が実験をさせて「何が危険で反社会的なのか」を身をもって教えないと、同様の事件は起きるだろうな。興味を持った子供にはある程度の結論を与えてやらないと、子供は次に進めないと思う。

それをどんなシステムで行うかは、難しいことだな。

by zoofox | 2019-04-09 05:54 | 子供時代 | Comments(0)

名前

私は地元っ子なので小学校中学校の同級生が何人も地元にいる。(ああ、いるな)とか(老けたな)と見かけると感じるが、声を掛け合って「最近はどうなんだ」などということはしない。(あいつは何という名前だったっけ)と考えてみると、当時の名前は結構珍しい姓があり、影の薄かった友達が立派な名前だったりする。

人でもペットでも物でも名前を付けられると、名前が独り歩きする。そんな意味で子供の名前など、いくら考えても考えすぎにはならない。私の家では、私より上の世代は「占い師さん」、「姓名判断」、「親戚の物知り」などが名前を付けている。私は疎開先の親戚の先生だった。小学校6年生になってから「○○です」と言ったら、とても喜んでくれた。私以降は家中で話し合って決めた。難しい名前やあて字というのはどうかな、子供は親の持ち物じゃないから、名前が付くと一生背負っていくことになる。難しい漢字やとても読めないあて字は、子供が苦労する。私の名前の一字目は簡単だが旧字と新字がある。習字で名前を書くとき形が取れず苦労した記憶がある。

私は歴史好きだから、日本人の「姓」と「名」には案外いろいろな意味が含まれていることに気が付く。「悪」という字の入った姓を持つ人がいた。子供はからかいのもとにしたが、とんでもないことだった。由緒正しい正統な日本の名前だ。知らないと日本の長い伝統に参加できない。そんな名前が最近は少ない。

by zoofox | 2019-03-28 05:47 | 子供時代 | Comments(0)

タンクローリー

東京に出てきて働いていた従兄弟が石油会社に勤め、大きなタンクローリーに乗って昼飯休憩に寄ることがあった。自動車も殆ど通っていない時代のことだ。従兄弟と言っても親子ほども年が違う。正月に雪深い田舎に帰らずに私の家に逗留していた。「おい、乗せてやろうか」と言われるのが何とも嬉しかった。大きな車をゆっくりと動かして一街区か二街区乗せてくれた。(絶対にトラックの運転手になる)と7、8歳の子供は思っていた。

何しろ、今のように「普通の人が車を持つ」ということは思いもよらなかった。家の前の道路は赤土で土埃が立つ道だった。舗装される前には私はそこで野球をしていた。遠くから土煙が見えると両端に避けて車を見送った。この道を通る車は殆どが三輪のトラックだった。そんな時代、タンクローリーやダンプカーや消防車は特別な車だった。子供はみんな「働く車」が好きだ。後年絵本でこの言葉を聞いた時、(上手いこと言うな)と感心していた。

今でもタンクローリーは好きな車だ。第一「危険物」を積んでいるというのが、何とも言えなくワクワクする。この道路が工事される時にたくさんのダンプカーが行き来した。飽きもせずにダンプの荷台が上がり、最後の土や石ころが転がり落ちてくる動きを見ていた。(ダンプカーの運転手になる)とも思った。

地味な事務の仕事をするより、日本中を長距離トラックで走り回る仕事も選べたのにと思う。日本も第一次産業や、車の運転手や職工さんが胸を張って豊かに生きられる社会ならいいな、と思う。みんなが”いい会社”を目指して”いい学校”に入ろうとするから社会が歪む。そんなことを思うな。家の前の四つ角を大きなステンレスのタンクローリーが曲がっていく。未だに好きだな。ワクワクする。

by zoofox | 2019-03-02 06:01 | 子供時代 | Comments(0)

ニュートンのゆりかご

東京都は10月1日が「都民の日」で、清水崑さんの河童のバッジを学校でも前売りした。それを着けていると、都バスや都電や博物館や美術館が無料だった気がする。小学校高学年か一緒に行った友達の顔を思い出すと中学生だったのかもしれない。私も友達も「野放し放牧状態」で学校生活を過ごしたので、都電に乗れば神田の本屋街、都バスなら上野、浅草は遊びの範囲内だった。上野公園の科学博物館が出来て、後から西洋美術館、音楽堂ができたと思う。中でも「科学博物館」は何度も通った記憶がある。催し物があるたびに学校で無料の入場券をくれた。高校生になると「新宿御苑」や「代々木の屋内プール」が遠征先になった。それよりずっと前の話だ。

科学博物館は飛行機の形をしている。吹き抜けの一階には大きな振り子がゆっくりと動いていた。地球の自転に従って方向が変わると書いてあったような気がする。地下は恐竜や動物の立体模型や骨の展示、二階からホールを見下ろす手すり際に、ミイラがあった。最初は怖くて見ることができなかった。中廊下を進むと電気や機械の展示や体験場所もあった気がする。子供の目にはまるで一種の遊園地のように思えた。

喫茶店など入ったこともないころ、食堂は小綺麗な喫茶店に見えた。何を食べたのだろうか。

直接関係はないのだが、同じ年齢の頃の記憶だと思う。会社の応接間の机の上に置物があった。重い木組みの枠の中に細い針金で銀色の鉄球が五つ吊るされてあり、一つを持ち上げて離すと間の三つは動かずに一番端の球が弾かれる。そのきちんとした動きに子供は驚く。後に外国映画で、パソコンが机の上を占領する前は時々置かれているのを見かけた。あの無機質なカチカチという音は妙に耳に残っている。あれっ、このおもちゃ科学博物館にもあったのかな。

by zoofox | 2019-02-22 06:00 | 子供時代 | Comments(0)

貸本屋さん

町並みを見ていると、50年も60年も同じ所に住んでいるから、子供の時の「町」と目の前の「町」を比べてしまう。道が狭く建物が小さく感じる。同じ長屋がまだ同じ位置にある所もある。道路沿いに「糊屋さん」があり、その裏に「貸本屋」があったな、と思っても今は普通の民家しかない。

中学校になって、授業中に表紙がぼろぼろの本が回ってくる。さっと見てすぐ次に回さないといけない。そんな本の中に「水木しげる」さんのマンガがあった。後の鬼太郎のネズミ男の原型に思える死神が主人公で、マンガに免疫のない私は(こんな面白い本はない)と思った。放課後に友人に聞いてみると、通学路沿いの目立たないところに「貸本屋」があった。お金を持ち歩かない中学生は多分「立ち読み」をしたのだろう。

5円だったのか10円だったのか、一泊二日か二泊三日で数冊借りられたと思う。私は読むのが早いし、(マンガにお金を遣うことは良くない)と変に道徳的だったから、友人の借りた本をさらっと見せて貰っていた。誰かにお金を借りてハードカバーを借りて読んだ記憶がある。自宅にあった「全集もの」とは傾向の違うものだったと思う。残念ながら「何を借りて読んだか」を覚えていない。

貸本屋に出入りしたのは覚えているが、短期間だったのか長期間か、店がなくなったのかは憶えていない。新しい図書館ができ、学校の図書室に本は沢山あったから、貧乏人には「お金を払って本を借りる」という習慣は意味がなかったのかもしれない。貸本屋の記憶は薄れたが、本屋とは違った、店の日向臭い乾いた匂いと夕日の中だったことは憶えている。

後年、水木しげるさんの復刻版を見たが、(これだったのか)と懐かしかった。子供の頃のことは良く憶えているが、貸本屋の記憶はぷつんと切れて曖昧だ。何か霧に包まれている。ある日突然、店がなくなったような気もする。転校した友人の記憶と似ている。

by zoofox | 2019-02-17 06:02 | 子供時代 | Comments(0)

寄留

玄関で郵便ポストを覗いた時に記憶が蘇る。そういえば最近、(○○様方)という書かれた宛名書きの郵便物は来ないな、と思った。そうだ、まだ「米穀通帳」のあった時代だ。「配給」という言葉が生きていた。

親戚中で都内に住んでいるのは私の家だけだった。所在地の確認や身分証明の代わりに米穀通帳は使われた。千葉県や埼玉県から都内の学校に通うときは、私の家の住所が「寄留先」として使われたらしい。お米屋さんに米穀通帳を持って米を買いに行ったことは記憶しているが、米穀通帳の記載については記憶がない。まだ漢字が読めない年頃だったのかもしれない。

「誰々さんの家には寄留している人がいる」と、口語では聞いたことがあるが、それがなんだかは知らなかった。子供としては誰だか知らない人の名前が書かれた郵便物が来るのは不思議だったが、不思議なことはたくさんある時代だった。ただ、本物の「寄留」と書類上の「寄留」とがあることは何となく知っていた。叔父が戦争から戻り、田舎には帰らずにしばらく家にいた。これが本物の寄留だった。

言葉はそのものが一種の「暗号」のようにいろいろな記憶を詰め込んでいる。つぶやくだけで時代が浮かんでくる。私は気にしないが同居人はプライバシーに敏感だ、通信販売や懸賞の応募には、架空の名前を使う。宅配や郵便局の人は住所が合っていれば配達してくれる。見知らぬ名で配達物が届くと、思わずにやりとしてしまう。

by zoofox | 2019-01-21 06:02 | 子供時代 | Comments(0)

九ちゃんのズンタッタタ

昨日の午後から、「 ♪ ズンズタッタ ズンズタッタ ズンズタッタズン ♪ 」の歌がずっと耳に付いていた。最近特にどこかで聞いた訳でもない。単なる私の灰色の脳細胞のショートだろう。子供の頃からこの中の「 ♪ きーちゃいけなよ きたことない ♪ 」、というフレーズの意味が分からなかった。口ずさんでいる間に、もしかしたら、「(そんなことは)聞いちゃいけないよ 聞いたことない(パラキン)」というコーラスとの掛け合いなのかな、と思いついた。ネットの世の中、検索するとちゃんと歌詞が出ていた。歌詞は「聞いちゃいけないよ」だけだ。九ちゃんは滑舌のいい歌手ではない。歌詞自体も六八コンビの雰囲気ではない。すると青島かなと思っていた。大当たりだった。

1963年の歌とある。守屋浩や坂本九は私の兄の年代だ。一二の三でテレビが普及したから、私も覚えていたのだろう。

子供の頃からの不思議は、いい加減にすっ飛ばしている。思いついた長年の疑問が解けるのは何となくすっきりする。まだ沢山あるはずだ。それがどんな疑問なのかは、思い出してみないと分からない。

by zoofox | 2018-11-18 06:20 | 子供時代 | Comments(0)

雨の日

雨の日だ。雨傘の持ち方にもいろいろ人による差がある。私は普通に「柄」を握ってこうもり傘を差す。背広を着た若い人が、柄を握らずに、こうもり傘の軸の真ん中のちょっと下を持って歩いていた。(なんか変だな)とは思うが、個性というものなのだろう。

高校は雨が降っても雪が降っても、自転車で傘を差して国道を走った。こうもり傘を持って歩いた記憶があるのは中学校までだ。私の家は学区の外れにあり、学校まで順番に友達の家を覗いて誘っていく。一人目はチビのM君、その向かいにでっかいN君、細い路地を抜けていくとK君、この順番は卒業まで続いた。いずれも小学校の同期生だ。何しろ小学校は5クラス、中学はJかK組まで10クラス以上あったと思う、あまり同じクラスになった記憶はない。

毎日歩いて通うから、たまには雨の日もある。私は10数分の通学路で必ずズボンの裾の前か後ろが濡れた。K君は傘の扱いが上手くて、ほとんど濡れた姿を見たことがない。彼は「傘屋さん」の息子だった。植木等がテレビで宣伝をするずっと前から、黒い「ジャンプ傘」を持っていた。(面白い傘を持っているな)とは思っていたが、他人の道具には特に関心はなかった。後年気が付くのだが、傘を差す角度や高さがきちんとしていたのだろう。

私はバスで通勤するときも、お酒が入ると必ずのように傘を忘れた。何時の間にか「傘を持たない」のが習慣になった。

by zoofox | 2018-11-09 08:53 | 子供時代 | Comments(0)