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カテゴリ:子供時代( 29 )

浅草の蛇屋

浅草は子供のころの遊び場の範疇だった。長い商店街も花屋敷や映画館を中心とする「裏口」も思い出深い。年齢ごとに興味の方向が違っている。何がどうということもないのだが一年中お祭りのような場所だった。

土埃の立つ広い一角で私は何度も「蛇屋」を見たことがある。麻袋の中に蛇を入れて、片手には出刃包丁を持っている。「左手をこの包丁で切っても、蛇から作った薬があるから大丈夫」という口上で、何回かは袋から蛇を出して周囲の見物人に見せる。(次にはあの包丁で手を切って薬を付けるんだ)と周囲の見物人はじっとその時を待っている。

何度も何度も同じ光景を見たはずだが、あまり時間が長いので最後にはじれて立ち去ってしまう。そう蛇屋さんが薬を売っている姿も、包丁で手を切る仕草も見たことはない。

未だに形を変えてこの商法は現実世界で、ネットの世界で生きている。あっという間に答えに行きつき、時間の節約を実感していると、つい掴まる。見ている人間の中に、ある種の期待が生まれると容易にはまり込む。考えてみれば気の長い商売だ。何度も何度も期待は裏切られる。だから「蛇屋」は心の中で何時までも整理されずに残っている。

by zoofox | 2019-09-05 10:38 | 子供時代 | Comments(0)

夏の思い出

夏の思い出は小学校の思い出に繋がる。クーラーのない車で、女の子を含んだグループで大洗まで一泊で海水浴に行ったり。御宿にキャンプに行ったり、千駄ヶ谷のプールまで泳ぎに行ったり、各年代ごとに思い出はあるのだが小学生の頃が一番思い出が濃い。小学校の思い出でも「夏」と「夏休み」が多い。当時の宿題はドリル一冊と絵日記と絵か工作ぐらいなものだ。休みが始まると一気に半分ほど仕上げて、放り出して8月の末は大騒ぎになる。

一日中何をしていたのか。多分原っぱで虫取りや魚すくいに夢中だったのだろうが、家の手伝いもよくした。登校日があり、夜、校庭で映画会があり、校庭開放の日もあった。私は便利な子だったらしく先生に用事を言いつけられた。4時まで遊んで、すぐ放送室に入り、「蛍の光」のレコードを回してマイクに向かう。何をしゃべっていたのか記憶にないが、「もうすぐ終了の時間です。校門を締めますから、周りの整理をして帰りましょう」とでも言っていたのだろうか。当番の先生が一人か二人、小遣いさんが一人、広いがらんとした校舎にはまだ誰かいたような気もする。夏休みだったのか単に夏の日だったのか。

サッカーがまだ盛んでない時だし、野球は人数がそろわないとできない。三角ベースや変形ドッチボールでもしていたかな。ともかく校庭の隅にある水道まで飛んでいき、蛇口の下から水を飲むとき、何時も空が青かった記憶がある。当然校庭は舗装されていなかった。

二年生のころ、鉄棒に初めて触れ「前回り」が出来なかった。放課後に二番目に低い鉄棒で何度も前回りを練習した。後頭部から落ちた時、本当に目から火花が出た(ような気がした)。腕を引き寄せればお腹が鉄棒に近寄る、鉄棒に腹を着けくるりと同じ位置に戻れば成功だ。一度できれば、三角回りも逆上がりも要領は同じだ。もう少し高学年は鉄棒の上に立ち、両手で股の間から鉄棒を掴みながら下回りで回転して前に飛び出す、「飛行機」が盛んだった。私たちの時代には禁止されていた。

そんなこともあったな。ほとんどの記憶は夏だ。冬は冬で石炭ストーブのエピソードもある。目を凝らせばミニチュアのような「小学校時代」はすぐ見えてくる。ともかく今時の子供たちのように塾も習い事もなく「遊び呆ける」時間があった。集中と弛緩が適度なリズになっていたような気がする。

by zoofox | 2019-08-24 08:58 | 子供時代 | Comments(0)

天気雨

今日は蒸して涼しかった。六本木には虹が出たという。何か子供のころは天気に敏感だったし、色々な身の回りの事ごとに対する語彙も豊富だった気がする。虹と聞いて、太陽の周りに円形の虹が出たのを見た記憶がある。あれは小学校の校庭だった。雨上がりには当たり前に見えていた虹が珍しいものになった。

東の空は青いのにパラパラと雨が降っている。(あっ、天気雨だ)とふと心の中で呟く。そうだ、子供は戸外で遊んでいることが多いから、天気の事や雲の動きや台風の風を身体で知っていた。台風の風は大体潮の匂いがする。天気雨の反対は「風花」になるのか「ダイヤモンド・ダスト」になるのかな。こちらは大人になってから体験した。夏の「かなとこ雲」は「かなとこ」の意味を知らないうちに覚えた。

難しい言葉やカタカナ語が増えて、身近な言葉は使わないと忘れている。

by zoofox | 2019-08-23 19:17 | 子供時代 | Comments(0)

夏の子

7月になる。もう夏だ。

10才位までの記憶はほとんどが夏だ。心を凝らせば、正月や凧揚げと泥あんか、祖母が灰を掻きまわしていた火鉢、火鉢に鉄板を渡して焼いてもらったうどん粉の「亀」、などが浮かんでくる。それぞれに楽しいのだが、私の記憶は「夏」に集中している。春や秋は印象が薄い。

米軍の空爆は正確で、川を挟んだ工場地帯は爆弾、こちら側の市街地は焼夷弾(ナパーム)と分けて攻撃したらしい。まちは平らで浅草の松屋や川岸の工場などの、コンクリートの建物が「縁側」から見えていた。夜には小名木川の貨物列車の音が聞こえていた。

工場地帯は当時は「廃墟」だった。工場が戻ってくるのはもう少し後になる。夏になると見渡す限りの「原っぱ」が広がる。何キロも遮るものがないという視界は、私の原点の一つになっている。毎年駄菓子屋で竹の棒に網が付いた「虫取り」を買った。もう少し年上の子は「竿竹」に鳥もちを着けて虫取りをした。草の生い茂る原っぱの所々にレンガ造りの塀が残っていたり、建物の土台があった。

圧巻は二つ三つあった池(爆弾の痕)だ。子供はここで戦争があり、爆弾が落とされたことなど知らない。こんな情景に疑問を挟んだ記憶はない。戦後10年以内だろうが爆弾の痕は立派な池になり、小魚が泳ぎカエルが繁殖しザリガニが這い、水の中にはミジンコが漂って立派な生態系を形作っていた。「アメンボ」は不思議な生き物で腰を下ろして(何で浮くんだろう)とずっと見ていた。「何で魚がいるの」と尋ねた記憶がある。「卵が風に乗って飛んでくるんだよ」と言われて納得した。

原っぱは昆虫の宝庫だった。子供たちは一つ一つに名前を付けて区別していた。頭のとがった草色のバッタは、大きなものから小さなものまで沢山いた。子供の分類ではイナゴはやや高級なバッタだった。トンボも糸トンボから、シオカラトンボ、など小中型は子供でも採れた。バッタの王様が「オオト(大型のイナゴ)」ならトンボの王様は「オニヤンマ」だった。大きくて立派で、高いところを毎日同じ時間に同じ通路で一直線に飛ぶ。大きな子や大人は大型の網で、待ち構えている。それで捕まる。石を投げると着いてくる。(あまり頭良くないな)と思っていた。

池で子供がおぼれて死んだという話はほとんど聞かない。「危ないから行っちゃだめだよ」と言われていたが「自己責任」で遊んでいたらしい。

沢山の虫を観察し、飼い、放し、じっくりと観察していた。(この小さなものにある「命」とは何だろう)と、子供は子供なりに毎日「不思議」を体験していた。草も木も昆虫も蜘蛛も、最初に実物を知り後から名前を聞いた。この体験による学び方がいつまでも残る。

用水路は下水道管が埋められ、道路の工事が始まり少しずつ工場が帰ってきた。あの空白の10年間ほどの間、子供たちの記憶に「緑の草原」が束の間生まれて消えた。私の夏の思い出はあの草原の思い出だ。

by zoofox | 2019-06-30 09:25 | 子供時代 | Comments(0)

12月も押し詰まると色々な年中行事があった。祖母は私が物心ついてからずっと傍らに「暦」を置いていた。今のものより厚くて祖母にとっては一種の「教科書」だったのかもしれない。私が社務所で求めたこともあるし、本屋さんで買った記憶もある。家の誰かが時期になると暦を買って祖母に渡した。私も「自分の星」を知っていたし、一年の運勢を見るのが楽しみだった。暦は隅から隅まで目を通すと面白い本だった。今でもペラペラの暦をどこかで貰うことがある。ざっと目を通して「今年の運勢」を確かめ仏壇に供える。

割と暦に従う家だった。6月1日は「衣替え」だ。中学校の時はワイシャツを長そでから半そでに替えた。違和感のある時だけは覚えている。友達を誘いながら学校に通う道で、(随分寒いな)と感じたことがある。雨が降って一日違ったら急に半そでは寒いと感じた。通学の記憶しかないから学校に着いてしまえば気にならなかったのだろう。

高校の時は、重い学生服を脱いで「長そでシャツ」の期間が長かった。この辺りになるときっちり衣替えは意識していなかったようだ。最近は「クールビズ」がどこでも盛んだ。55才以降は行事の場以外は「色シャツに明るいネクタイ」が多かったから、アロハシャツ姿に文句は言えない。

by zoofox | 2019-06-11 06:17 | 子供時代 | Comments(0)

父親

妹が生まれた時の事だけは、はっきり覚えている。産婆さんが呼ばれて、4畳半の寝室が産室になった。母親が大きなお腹をしていた記憶はないが、生まれた日から私の寝る場所が無くなった。祖母の布団、兄の布団とうろうろして最後は父親の布団で落ち着いた。赤ちゃんが生まれたワクワク感と、自分の居所が無くなった喪失感ははっきり覚えている。みんなはそんな私を見て笑っていた気がする。4っつになったばかりだった。

夜中のトイレが怖かった。どうして怖いかと言われても説明ができない。怖いものは心底怖いのだ。子供に時間は分からない。夜中の2時ごろに私を起こしてトイレに連れて行くのは父親だった。それが和式のぼっとん便所だったのか朝顔だったのか、記憶は混ざっている。2蜀(20W)の電球の暖色の明かりと外で待っている父親の声は記憶にある。台所を横切ってトイレまで行く道のりは遠く遠く感じた。

私が東京にいない生活をしている時、何も要求したことのない父親が「○○ちゃん、家を建てようよ」と言った。古い家を取り壊して新築した。父親は昔の家の間取りと同じ間取りにした。北側のトイレは玄関横に移動したが、1階の間取りは殆ど以前と同じだった。その頃私は(後、20年は東京に帰れないだろうな)と覚悟していた。

祖母は新しい家ができる前に亡くなった。病院のベットでおむつをしてた。朦朧とした意識の中でトイレに行こうと、壁に向かってベットを降りる仕草をした。その方角は自分の寝ていたところからトイレに向かう方角だ。「ここは病院だから、そのままでいいんだよ」と言っても分からなかった。父親が亡くなってから、何故同じ間取りにしたのか、分かる気がした。年寄りには新しい間取りは良くないな、と今でも思っている。

by zoofox | 2019-06-10 06:05 | 子供時代 | Comments(0)

釘拾い

小学校に上がる直前から低学年の時の思い出は次から次へ何かのきっかけで浮かんでくる。「釘拾い」というのがあったな。と思い出す。何しろ鉄くずが高い時代だ。戦争中に供出させてみんな戦争で浪費してしまった。製造も輸入も金のない日本ではままならない。それで「屑屋さん」が、天分秤と大きな籠を背負って定期的に各家庭を回っていた。「くず~い、おはらい」という声は懐かしい。

友達には大きな磁石をずるずる引きずって「釘」や「鉄片」を集めている子がいた。自転車がダメになると発電機を手に入れて分解する。ここに永久磁石が入っている。順番で私も手に入れて持っていた。当時は焼けた家が沢山あり建築も盛んだった。道路には古い釘が良く落ちていた。足にも刺さるし自転車もパンクした。何日か引っ張ると木の一合桝一つぐらい溜まる。これが屑屋さんに持って行くと何十円かになった。

日本人の子供も朝鮮人の子供も仲良しで、情報を交換し合った。名前が多少違っても子供に国境はない。朝鮮の子供は屑鉄が沢山採れる場所を知っていた。まあ、子供も働いていたのかな。

夏休みには学校と町会で「蠅取りコンクール」があった。マッチ箱に一つ集めると、5円か10円かそれとも何か景品があったのか、天井にへばりつく蠅を「蠅取り棒」で捕まえる。蠅取り棒は金物屋で売っていた。大人を対象に「ネズミ駆除月間」というのもあった。ネズミの尻尾を「交番」に持って行くと換金してくれたはずだ。これはやったことがない。

こんな話を思い出すとまるで夢のようだ。私はずっとこの場所に住んでいるから、行動の記憶と場所の記憶が一致する。玄関前の自転車を見ていて、そろそろお終いかなと考えた時に、父親の自転車を屑屋さんに出したら二千円したなと思い出した。そこから始まった。こんな話を始めるときりがない。

by zoofox | 2019-06-09 05:45 | 子供時代 | Comments(0)

車掌さん

ちょっと前の話だが「自動運転」の電車が逆走した。「Ai」、「自動運転」は今後の新しいトレンドだ。日本はずっとこの分野に人手を割いてきた。人手を省くことがいい方向だとはけして思えないのだが。

小学校に上がる前は「路線バス」が私たちの足だった。「盛り場」に行くのも「帰省」するのも起点はバス停からバス停だった。仕事の暇なとき父親に連れられて、「上野行」のバスに乗った。浅草→上野公園山下→上野松坂屋とバスは走る。この頃、上の子供は学校、下の子供は幼児で私が連れ出しやすかったのかもしれない。デパートには「食堂」と「遊覧施設」が必ずあった。浅草松屋屋上の大きく回る平面の観覧車(名前は知らない)、上野松坂屋では小さな自動車、そんなものにたまに乗せてもらうのが大きな楽しみだった。

この頃、バスで座った記憶がない。何時もバスは混んでいた。小柄なお姉さんが昇降口の前に首から黒い大きながま口カバンを提げて立っていた。紺の制服に白い手袋、車掌さんは子供にはものすごい美人に見えた。安全を確認して、扉を閉めて「発車オーライ」と通る声で運転手に告げる。停留所に近づくと「次は○○でございます、お降りございませんか」と車内に告げる。降りる人は遠くから「次降りまーす」と声をかける。踏切に来るとさっと飛び降りて、笛を吹きながらバスを誘導する。

そんな光景はあっという間に消えた。はさみを手にがま口を開けてお釣りの小銭を確認している姿はどこにもない。初めは「ワンマンバス」というのは特別な存在だった。この頃女性の車掌さんが男性に変わった。ワンマンバスは自動ドアになり(一人で全部やるのだから大変だな)と思っていた。いつか普通の光景になり、この先は「自動運転」が待っている。

ひと手間、ふた手間が社会の潤滑油として、人と人との接点にはあった。テレビが普及し、スマホがまかり通り、キャッシュレス社会になるという。見まわしてみるとこの「人間の手間」が一番大切なのに、効率化と称して一番最初に省かれる。「ありがとうございます」まで機械が言う。「人手」は人件費がかかる。人件費を省いていいところと絶対に省けない所がある筈だ。社会は何時も同じことを繰り返す。

by zoofox | 2019-06-08 08:09 | 子供時代 | Comments(0)

得手・不得手

「得手・不得手(えて・ふえて)」、こんな言葉まだ生きているのかな。今では「得意・不得意」でそっくり置き換わってしまう。私は自分では使った記憶はない。この言葉は祖母や母を思い出す。友人が家に遊びに来ると最初の挨拶の時、「何の科目が得手なの」という具合に、どちらかが使っていた。聞かれた相手も私も、自分の言葉ではないが意味は知っていた。

方言と訛りに紛れて、こんな「時代の言葉」がある。思い出そうとしているがすぐには浮かんでこない。小津安二郎の映画の中にはそんな言葉やニュアンスが沢山隠れている。私の年齢だと、裕次郎映画にも、田宮二郎や市川雷蔵が画面の中でしゃべる言葉にも「時代のニュアンス」を感じる。何気ないところから少しずつ「言葉」は変化していくんだろうな。

by zoofox | 2019-05-04 06:13 | 子供時代 | Comments(0)

アセチレンランプ

私の記憶はみな映像として残っている。この記憶はカーバイトの匂いを伴っていた。昭和30年以前だと思う。多分父親が会社から持ってきたのだろう。庭先で「明るいだろう」とアセチレンランプに火を点けたのを覚えている。物心ついたときには家には電気が引かれ裸電球があった。電気は度々停電したし、ヒューズが焼き切れた。鉛の安全なヒューズがない時は、荷札の細い針金で代用していた。これが原因で火事があったり感電事故があったらしい。ブレーカーが普及するのかなり後になる。アセチレンランプの明るさは電球の明るさの何倍もあった。幼児の時の記憶は夏が多い。真っ暗闇を懐中電灯で照らしながら歩いた。行き先は神社の境内の「縁日」だ。縁日は毎月「5の日」とか「9の日」とか地区で違うが、月に二、三回開かれていた。縁日の屋台はアセチレンランプが焚かれ、カーバイトのケミカル臭が漂っていた。その異空間の明るさが心に残っている。

アセチレンランプの記憶は縁日の記憶につながる。夏の子供は浴衣を着ていた。浴衣と三尺の感触も覚えている。身の回りからすっかりアセチレンランプが消えてから、ずっと大人になった時「亀戸駅前」の縁日の屋台でアセチレンランプを見かけ(懐かしいな)と思った。多分この時はもう働いていて仕事帰りのはずだ。

何時も見ているテレビでアメリカの骨董屋さんの番組がある。ガラクタの中に私の記憶のポータブル型のものとは違う、街燈に使ったという大きなアセチレンランプがあった。何時頃のものかは知らないが、「ガス灯」以外に「アセチレン灯」があったとは知らなかった。言葉に反応して記憶がよみがえる。当時遊んでいた友達や場所の思い出もある。DVDの早送りのように感じる。こんな記憶どこに残っていたのだろう。

by zoofox | 2019-04-13 05:38 | 子供時代 | Comments(0)