独りの戯言


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カテゴリ:子供時代( 13 )

九ちゃんのズンタッタタ

昨日の午後から、「 ♪ ズンズタッタ ズンズタッタ ズンズタッタズン ♪ 」の歌がずっと耳に付いていた。最近特にどこかで聞いた訳でもない。単なる私の灰色の脳細胞のショートだろう。子供の頃からこの中の「 ♪ きーちゃいけなよ きたことない ♪ 」、というフレーズの意味が分からなかった。口ずさんでいる間に、もしかしたら、「(そんなことは)聞いちゃいけないよ 聞いたことない(パラキン)」というコーラスとの掛け合いなのかな、と思いついた。ネットの世の中、検索するとちゃんと歌詞が出ていた。歌詞は「聞いちゃいけないよ」だけだ。九ちゃんは滑舌のいい歌手ではない。歌詞自体も六八コンビの雰囲気ではない。すると青島かなと思っていた。大当たりだった。

1963年の歌とある。守屋浩や坂本九は私の兄の年代だ。一二の三でテレビが普及したから、私も覚えていたのだろう。

子供の頃からの不思議は、いい加減にすっ飛ばしている。思いついた長年の疑問が解けるのは何となくすっきりする。まだ沢山あるはずだ。それがどんな疑問なのかは、思い出してみないと分からない。

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by zoofox | 2018-11-18 06:20 | 子供時代 | Comments(0)

雨の日

雨の日だ。雨傘の持ち方にもいろいろ人による差がある。私は普通に「柄」を握ってこうもり傘を差す。背広を着た若い人が、柄を握らずに、こうもり傘の軸の真ん中のちょっと下を持って歩いていた。(なんか変だな)とは思うが、個性というものなのだろう。

高校は雨が降っても雪が降っても、自転車で傘を差して国道を走った。こうもり傘を持って歩いた記憶があるのは中学校までだ。私の家は学区の外れにあり、学校まで順番に友達の家を覗いて誘っていく。一人目はチビのM君、その向かいにでっかいN君、細い路地を抜けていくとK君、この順番は卒業まで続いた。いずれも小学校の同期生だ。何しろ小学校は5クラス、中学はJかK組まで10クラス以上あったと思う、あまり同じクラスになった記憶はない。

毎日歩いて通うから、たまには雨の日もある。私は10数分の通学路で必ずズボンの裾の前か後ろが濡れた。K君は傘の扱いが上手くて、ほとんど濡れた姿を見たことがない。彼は「傘屋さん」の息子だった。植木等がテレビで宣伝をするずっと前から、黒い「ジャンプ傘」を持っていた。(面白い傘を持っているな)とは思っていたが、他人の道具には特に関心はなかった。後年気が付くのだが、傘を差す角度や高さがきちんとしていたのだろう。

私はバスで通勤するときも、お酒が入ると必ずのように傘を忘れた。何時の間にか「傘を持たない」のが習慣になった。

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by zoofox | 2018-11-09 08:53 | 子供時代 | Comments(0)

洗い張り

二番煎じだが、産まれた子供のお宮参りに我が家に残る「おかけ(呉服屋さんではそう言うらしい)」、(先日ご紹介したもの)をどうかと姪に見せたら、意外に喜んでくれた。そうと決まれば早速、同居人が懇意にしている呉服屋さんに持っていった。「洗い張り」をして貰うためだ。何しろ時代物だから、洗っても綺麗になることはない。長年の埃を落として、使えるものかどうか相談しに行った。お世辞かどうか、「今時こんなものはありませんよ」、と言われたという。私の理解の範囲では、シルクスクリーンのように、何十工程かの手間をかけて色を乗せたものだろう。私にはよく分からない世界だ。

洗い張りと言うからには、ばらばらにほどいてからの仕事だろう。生地が保つかどうか心配なところもある。母は、年中洗い張りをしていた。張り板が二枚あって季節の変わり目には、祖母と自分の着物を洗っていた。乾いた生地を剥がすときの、パリパリという音も記憶にある。祖母が元気な頃は、年中着物を縫っていた。綿を打ち直して新しい布団を作るときは、最後に「真綿」を薄くのばして、綿をくるむように覆う。その間、首の周りに巻いて作業していた。当然子供は手伝わされる。こんな記憶がまるで映画を観ているように思い出される。

着物(おかけ)は出来上がるまでに半月程かかるらしい。
そうだ、祖母は真夏以外はずっと着物だった。母も洋装に代わったのは昭和三〇年以降だろう。五十数年前までは、着物が普段着で、下駄がサンダル代わりだった。寝間着といえば浴衣のことだった。一つのことを思い出すと、ズルズルと記憶が繋がってくる。海馬の底から引っ張り出されるんだろうな。

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by zoofox | 2018-11-01 19:31 | 子供時代 | Comments(0)

お月見

昨夜は姉弟で話をしていた。一人一人の気持ちは「同じ時間を生きていて」も、かなり異なるものだ。同じ姉弟でも、祖母、父母を見ていた距離が違うのは当然だろう。

年齢差があるから見つめていたものや、付き合っていた人達が少しずつ違う。私の基準は昭和30年だ。昭和30年と39年、私の子供時代のエポックになる。保育園にも、もちろん幼稚園にも行く子供の方が少なかった時代だ。(あれが戦後10年目の町の姿か)と改めて、私の知らない10年前を今なら感じることができる気がする。11m道路はまだ土道だった。家々は全部燃えた後にできたのだから、新築の筈だがそんな雰囲気はなかった。ほとんどの戸建ての家は小さな玄関と4畳半が二つに流し、トイレという構成で、長屋はトイレが別棟で、水道は共同だった。風呂はなかったから銭湯通いで、私が記憶しているのは5円か10円で、後に12円になった。

金持ちも貧乏人も、朝鮮人も中国人もいた。同年代の子供は国籍に関係なく同年代で遊ぶ。江戸と戦前と戦後の風習がまだ入り交じって残っていた。祖母の年代の人のいる家は、昔からの風習を大切にしていた。十五夜には、すすきと団子(新香団子だったのだろう)を飾る。私の家の縁側からも月が見えた。はしっこい子供がいて、五寸クギを笹竹の前に括り付け、「団子を取りに行こうよ」と言いだした。話だけだったのか、実際に他人の家の団子を襲撃したのかはよく覚えていない。もし取りに行っても、怒るような家はなかっただろう。(子供が団子を盗むのは想定内だった気がする)、暗闇で団子を食べた記憶はある。固くなった団子はあまり美味しくはなかった。僅か数才の違いで、兄も姉もそんな遊びは知らなかった。翌日団子は醤油と砂糖にとろみを付けて、大人と子供のおやつになった。

十五夜というと、月だけ光る真っ暗な夜と、すすきの穂を思い出す。でも、あれは、午後6時か7時ぐらいの話だろう。当時の子供はそんなに起きていられなかった。

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by zoofox | 2018-09-24 09:56 | 子供時代 | Comments(0)

高瀬舟

日曜の朝、食事の後ズルズルとテレビを点けていた。45分ほどの短編、「高瀬舟」だ。出演は若い若い前田吟が、下手人を大阪まで送る役人役だ。

小学校の教育に政府の意志が入り込んでくる、ずっと前に私は小学生だった。受験教育ではないし、カリキュラムも教師が選んでいた印象がある。昭和30年代はまだ戦争の余韻があり、教師の自由度も今よりずっと大きかった。4年生の時、図書室とは別に教師が自腹で「学級文庫」を作ってくれた。その中で、私が最初に読んだのは、小ぶりの茶色いハードカバーで12冊組の「産業革命史」という題名の本だったと思う。何冊か読んでいると、教師が言った「どんな感想だ」、そう聞かれても歴史の下地がない子供にまともな答えができるはずがない。ただ丁寧に書かれた挿絵と、当時周囲にあった工場がどうして生まれてきたか、微かに関連づけができたと思う。普通の本を与えられると、何か大人扱いされているような気持もした。

この教師だけが型破りではない。各教師が自分の得意分野を生かして、子供達を教育していた。ある授業で、森鴎外の「高瀬舟」がテキストになった。「安楽死」という言葉を始めて知った。この主人公には「罪」があるのかないのか。外で野球やドッヂボールをするのが好きな子供達を、いきなり難しい議論に巻き込む。今映画で観ると「安楽死」ではなくて「自殺幇助」だろう。本と映画が同じ物なのか、手元に原本がない。

色々な意見が出た。私は「安楽死は罪ではない」という意見だった。「人を殺したことには間違いない」という意見もあるし、「死ぬまで見ていることは残酷だ」、子供でも自分で考えさせると色々な意見が出た。教師は口を出さない。「物事を決める」のではなくて、「考えて発言する」ことと、「異なる意見にも耳を傾ける」ことを教えていたのだろう。

疑問を持ちながら自分で考えて結論を出すのと、過去の問題集の答えに縛られるのと、教育は色々な面を持っている。藤井7段の例を出すまでもなく、小学校高学年や中学生は、大袈裟に言えば「無限の可能性」をもっている。その可能性を引き出してやれる「教育」が、今行われているだろうか。


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by zoofox | 2018-08-05 10:46 | 子供時代 | Comments(0)

隅田川の花火

子供の記憶はいつ頃からあるのだろうか。私は「立ち歩き」ができて、箪笥の下でおむつをしていた。箪笥の引き出しに、ゴム引きのおしめカバーが入っていて、箪笥を見上げながら、(あれは嫌だな)と思ったのが、一番古い記憶だ。産婆さんが来て、奥の四畳半で妹が生まれる前後の記憶は、はっきりしている、三歳半ぐらいだろうか。その夜は、それまで母親と寝ていたのが、場所を奪われ、祖母の布団に入り、最後は父親の布団で寝た、嬉しさと淋しさを覚えている。

隅田川の花火はいつ始まったのかあまりはっきり覚えていない。隅田公園は桜を見に連れて行かれた。子供の足では大層遠い気がした。母親が妹をおぶい私の手を引いて歩いて行ったのだから、上の姉兄は学校に行っていたのだろう。急な雨に降られて、言問橋の下で雨宿りをしたのを覚えている。その後護岸工事で、桜は抜かれ、随分経ってからもう一度植えられた。その頃は花火大会はまだなかった。

多分何かを記念して、花火大会が始まった。当初は古い家の縁側から両国方面に上がる花火が見えた。花火が見えてからしばらくして音が追いつく。家が建て込んで、今は屋上の塔屋の上に登らないと見えない。今の花火は当時に比べて小さくなった。黒玉(花火の燃えかす)が浅草やこちらにも飛んで、三寸玉に制限されたはずだ。近くで見るとそれなりに大きいが、千曲川や長岡とは、大きさも高さも腹に響く音も比べものにならない。「花火を見に行くと首が痛くなる」のが普通だったが、今はそんなことはない。

隅田川沿いにマンションがあったから、そのベランダで毎年花火を撮った。三脚を据え、バルブを長いレリーズで留め、黒い下敷きでレンズを開けたり閉めたり、三つ四つの花火を一画面に入れた。「無限遠のF8だよ」写真屋の社長が教えてくれた。花火写真は三年で飽きた。最後の年は、望遠レンズで手持ちで撮った。望遠で撮ると花火はまた違った顔を見せた。手持ちで手がぶれたり、開いた瞬間にズームをかけると、思いもしない効果が出た。「これどうして撮ったんだよ」と、仲間に聞かれたこともある。そのネガを一生懸命探したが見付からない。引っ越しの時見た記憶があるのだが。

一日遅れの花火大会は、色々なことを思い出させる。

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by zoofox | 2018-07-29 22:26 | 子供時代 | Comments(0)

写真中の人

私達の地域は、割と人口移動の少ない地域だ。小中学校の友人や顔を知っているだけの同窓生は、町を歩いていても出会うことが多い。

七夕の写真を整理していて、一番いいアングルの光も生きている写真が二枚あった。(今年の地元コンテストの応募はこれにしよう)と思って、大きくしてじっくりと見ると、真ん中にお店の人と話している人の姿がある。二枚ともある。

私はこの人を知っている。小学校の時校庭で見たことがある。おかっぱでキリッとした顔をしていた。事故か病気か身体には特徴があった。多分下級生だったと思う。良く「はんとう棒」の側で見た記憶がある。私は身が軽くはんとう棒は得意だった。

その後もこの土地で、何度かは見ているはずだ。恰幅が良くなり元気そうだ。

写真は一度きりの出会いだ。もう切り取った時間は戻ることはない。買い物車を押している年寄りの姿は町の象徴だ。それともまた意味が違う。今度印刷して、会ったときに渡そう。


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by zoofox | 2018-07-10 22:11 | 子供時代 | Comments(0)

日光写真

「日光写真」御存知の方は少なくなっただろうな。昭和二十年代、三十年代に幼児期から小学生時代を過ごした。みんなが貧乏で物が少ない時代だった。でも今考えると、子供も大人も色々な工夫をして生活を楽しんでいた。当時の駄菓子屋は、「子供のデパート」だったし、紙芝居は、「子供の映画館」だった。駄菓子屋は菓子だけではなく、細々とした「おもちゃ」も売っていた。単価は覚えていないが、もう硬貨はないが実質的に「銭」が生きていた時代だった。「アメが2個で1円、3個で1円」という売り方をしていた。

日光写真はトランプほどの大きさの箱に、ネガと印画紙が入っていた。印画紙の上にネガをピタリと乗せ、廊下の柱などに太陽に向けて置いておく。5分か10分待つと、マンガの主人公などが印画紙の上に浮き出る。「定着液」というのが付いていたような気もするが、今となっては定かではない。白黒が逆になると画像が出てくる。子供には不思議な世界だった。

家には虫眼鏡があった。しゃれた象牙もどきの折りたたみケースに入る小判型のルーペだ。多分、母か祖母が使っていたのもかも知れない。お日様と小さな庭とこのルーペがあると、何時間も遊んでいた。黒っぽい紙に焦点を結んで火を熾す。花や虫を鼻を近づけて観察する。時には黒い蟻を「小さな太陽」で追いかけて、焼き殺す。古い家の廊下には、点々と焦げた跡があった。

今の時代でも多分子供は、「遊びを作って」遊んでいると思う。子供は、ない物を工夫する訓練には良い時期だ。既成のおもちゃを買って与えるだけではいけない。一緒に違う遊び方も考えるべきだな。

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by zoofox | 2018-06-23 09:02 | 子供時代 | Comments(0)

遠近法

時々忘れていたことをふっと思い出す。私のブログはメインテーマがないから、この「ふっと」がサブテーマなのかな。

小学校の高学年か中学生の時かはっきり覚えていない。図画の時間に好きなテーマで絵を描いていた。先生が覗き込んで、「おっ、望遠効果だな」と言われた。絵を描くのが好きだから、大体風景を描く時は、中央や左右に点を決めて、そこに向けて風景が収斂していく描き方をしていた。自然に知った遠近法なのだろう。でも同じ描き方には飽きる。

父親に浅草松屋に連れていって貰って、屋上の望遠鏡(双眼鏡)を見るのが好きだった。多分一回10円だったのだろう。二分間か三分間の楽しみだ。望遠鏡の「書き割りが張り付いたような」画像に驚いたことを忘れていない。(なんでこんな風に見えるのだろう)という不思議があった。幼児から児童の頃の記憶は心に焼き付く。

遠くへ行くほど小さく見えるのは当然だが、望遠鏡の圧縮画像では近くも遠くも一緒に見える。二階の図工室から見える遠景をどう書いたか覚えていないが、遠くのビルも煙突も公団アパートも、間の空間を無視して描いてみた。出来たものは不思議な絵だった。

油絵の具は無いから、水彩絵の具で小さな点を集めて絵にしたこともある。後のカメラ好きは単なる「子供帰り」だったのかも知れない。兄が借りてきた望遠レンズ(多分200mmか300mmぐらいだろう)で、撮った兄のポートレートがある。道路に立つ何気ない表情を撮っている。何だか絞り込み測光でやたらと面倒だったことは覚えている。手順を教えられて撮った何枚かの中に、背景がとんでバストショットだけが浮かび上がっているものがあった。そんな写真は見たことがなかった。

そんな感覚の新鮮さが宝物だ。今では誰でも撮れる何でもない写真だ。音楽でも、料理でも、薪割りでも、大人扱いされて任された時のことは心に残る。小学生の時の初めての卵焼きは、油を入れたが同時に卵を入れて卵焼きにならなかった。一度失敗すれば、「フライパンと油を熱する」ことを覚える。昔の大人は案外無茶をしていたな。

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by zoofox | 2018-06-10 09:00 | 子供時代 | Comments(0)

スイカ

今では年が変わると、店頭に小さなスイカが並んでいる。夏、私が子供の時は大きなスイカをもっと頻繁に気軽に食べていた気がする。スイカにまつわる思い出は多い。私だったか他の人か、大きなスイカを落として、拾い集めて食べたこともある。私の子供の頃はテレビなどないから、遊び疲れて、夕食が終わるとすぐ寝てしまった。一寝入りして起きると大人達が、茶の間でわいわいとスイカを食べている。そんな光景は何度もあった。

八百屋の店頭で叩いて買うのも一種の習慣だった。あんな重い物をどうやって運んだんだろう。目の荒い網に入れて、右手に持ち左手に持ち替えて家まで持ってきたのは記憶している。乳歯の頃私の前歯は大きくて、「お前はスイカが食べやすくて良い」と言っていたのは誰だったかな。

紅いスイカと黄色いスイカがあった。味は同じだ。

歳を取って、だんだん瓜系の食べ物が苦手になって来た。メロン、瓜、スイカもそうだ。これは理由をうまく説明できない。父親も同じだった。かぶりついて、口の周りが痒くなる感覚、もう忘れていたなあ。母は死ぬまで大好物だった。おかしいな。もうすぐ夏だ。店頭にはメロンのようなスイカが沢山出ている。スイカは夏の味だ。

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by zoofox | 2018-05-30 08:14 | 子供時代 | Comments(0)