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先駆者

自治体の横断幕を下げたトラックが通る直前に、道路わきの資源ごみの置き場を物色して、アルミ缶を回収している人たちがいる。自転車に幾つものビニール袋を括りつけていく人もいれば、トラックで来る人もいる。いつの間にか「まちの風物」になっている。ここでは彼らの活動する時間は小学生が集団登校する時間帯だ。色とりどりの子供たちと、積み上げられた信じられないほど大きなビニール包みが同時に存在し、交通安全の父兄は訝しげに見ている。

「資源ごみ」の制度が始まったころは、町会や子供会の収入にするために新聞とともに然るべき団体が管理していたように思える。それがいつの間にかぐずぐずになって、ゴミ出し日が変わっただけで、普通のごみ化した。

いらなくなったものが、ホームレスの人やそれを生業とする人たちの「資源」として役立つなら、資源の再利用として「ご苦労様」と一声かけたいくらいだ。でも、何となく人の見る目は冷たい。(これ、何なんだろうな)とふと疑問を感じる。

もともと「人が捨てたもの」や「価値のつけられないもの」に値段をつけることに違和感があるのかな。空中を飛び交う「電波」に値段を付けて強制的に金を取る法律がある。当面関係のないことに「相互扶助」という名前を付けて金を取る。必要となったら大金をはたいても手に入れたいが、そうでない時は空気のようなものに金を払わせられることと何か似ていないかな。

今ではいらないものをゴミに出すのにお金がかかる。反対に必要のないものを強制的に買わされる。そうか相反関係だったのか。地道なものづくりが行きつくと次には「価値のないもの」に価値を付ける段階に入るんだな。その点彼らは先駆者というべきなのかな。

# by zoofox | 2019-06-24 08:54 | 身の回りのこと | Comments(0)

言い訳

ブログではおしゃべりな私だが、実生活ではある時から言い訳をしなくなった。(あれ、いつ頃だろう)と自分を探ってみる。三十歳の頃、車で東京へ帰る道すがら、約束を忘れていたことを思い出した。Uターンして甲府の郊外まで約一時間、運転中に鼻血が出てきた。チリ紙を鼻の穴に詰めて訪問した。何のことはないサービスエリアから電話一本入れれば済むことだった。この地区は新しく、まだ「お見合い」の時期だった。この頃の私の選択肢は一つしかない。身体を使って誠意を見せることだ。それを少し勘違いしていたようだ。店主は「何したん」と聞いた。(忘れていました済みません)と正直に言えばそれだけだったのに、何か言い訳したらしい。どんな運びだったのか、私は自分の都合の悪いことはあまり覚えていない。夕食をご馳走になって店を出たのは午後9時過ぎだった。あの時、気心のまだ知れていない店主に気に入られようと、色々なことをしゃべったはずだ。その帰りに中央道を走りながら、(こんなことはもう嫌だ)と考え続けていた。肝心な「こんなこと」ははっきりしない。何かいい条件を提示したのだろう。多分この頃から、会社でも仕事先でもいい加減な言い訳をしなくなった。

「嘘」と「言い訳」は似ているが違う。他人と話す時に多少の誇張はあっても、嘘も言い訳も意識して止めると気が楽になった。返答に困れば「それは分かりません」、「その内容は言えません」とはっきり言えるようになった。何処かで「自分を大きく見せなくてもいいんだ」と気が付いたらしい。私はだんだん仲間内で「口が堅い」と思われるようになった。別に口が堅いのではない。思考を整理して「ここで言えないことは、どこでも言わない」、「ここで言えることは、どこでも言う」と決めただけだ。上司の悪口が話題になる時に(当人を前にして私が言えること)だけを私の意見とした。

私たちの商売は商品の前に「自分を売り込むこと」だった。自分を売り込むのに余計な修飾はいらない。地道な反復だけが財産だった。「約束を守る」というのも基本だった。しかし、約束が守れなかった時に、いい加減な言い訳をしないことが大切だった。

こんな事もあったんだっけ。そこに若い自分が居る。


※追記「言い訳をしない」と書いてしまった。その後少し考えている。「言い訳」の反対表現は何だろう。当然「言い訳をしない」が反対語になるのだが、それでは話が終わってしまう。もう一つは言葉にしなくても、裏に「言い訳をしないことが善だ」という響きを感じる。そうなると私の意図とは少し違ってくる。政治家が自分の言ったことを守らなくても、状況証拠で悪事を追及されても、言い訳もせず今の言葉で「スルー」し続ける(だんまりを決め込む)ことも同じだと思われては困る。言い訳をしないということは案外「狡いこと」ではないのかと気が付いてはっとする。私が「そんな意味じゃありません」と言ったら即、言い訳になる。そうなると反対語は「率直な説明」とでも言えるのかな。類義語に「誤解を恐れない」というのもありそうだな。やれやれ日本語は難しいな。自分の経験をもとに言葉に触れても、捕まえきれずに独り歩きする。「言葉」を職業の道具にする方々は心して使ってほしいな。

# by zoofox | 2019-06-24 06:02 | 自分のこと | Comments(0)

おさぼり

昨日の明け方からずっと不調だった。細かいことは書けないが、汗をかいて今乾燥機で布団を乾燥している。一日損をした気がする。不調の原因がはっきりすれば、それなりの対処があるが、何だかわからず結果だけが症状として表れると慌てる。
# by zoofox | 2019-06-23 05:55 | 自分のこと | Comments(2)

いい顔

ドキュメンタリー番組などで、「いい顔だな」と思う人に時々出会う。美男子・美人という基準ではない。特に風雨にさらされた戸外作業の漁師さんや農業の方に多い。痩せた爺さんが海辺で或いは小さな漁船の上で、遠くを眺める横顔に(いいな)と思うことがある。山里に一人残っているお婆さんが畑の作業中に声をかけられて、ふっと上げた顔が妙に印象に残る。顔に刻まれた人生が透けて見えるような顔と表情だ。見ているだけでとてつもない安心感を覚える。

父親の実家に遊びに行くと、父とどこか雰囲気の通った親戚の顔が集まった。母親の実家に帰ると、やはりどこか懐かしい顔に沢山であった。日に焼けて深い皺の刻まれた顔、顔、顔。特に働きつくした年寄りの顔は何とも言えずいい。他人の視線に馴れた笑顔とは大違いだ。「こんな顔写さないで」と遮る口元には前歯が欠けている。あとはカメラを意識しない淡々とした作業。(そうだ以前はこんな人が沢山いた)、そんなことに気が付く。

イタリア山間部で農業と羊を飼っているおじさん、中国の山奥で昼間残って戸口で外を見ているお爺さん。古い生活を守っているマサイ族の青年。至る所目を凝らすと「いい顔」はある。

余計な説明は必要ない。一目見た時に(ああ、いいな)と感じるだけだ。親戚の年寄りの写真も沢山撮ったが、レンズを意識しない普段の顔が一番いい。とっくの昔に亡くなった人を後から(いい顔していたな)と感じることもある。

自分はどうかとは考えない。都会で楽な仕事をしてきた人間は、何もない搾りかすのような顔をしている。

# by zoofox | 2019-06-22 06:02 | 気になること | Comments(0)

「イズム」が欲しい

今になって考えると、若い時は頭の構造が少し違うようだ。ある言葉に今とは違う意味を自分勝手に当て嵌めている。そして、その上に話を展開するから、他人は解りづらい。高校生の頃だろうか友人への手紙に「僕はイズムが欲しい」と書いた記憶がある。当時は、思想信条とか主義主張の基になる考えを私は「イズム」と名付けていたらしい。この年頃になるといっぱしに社会に対する批判が芽生えてくる。新興宗教に夢中になる奴もいた。共産党の党員になる者もいた。もう少し先の学生運動の時代の予感を感じていたのかもしれない。

私は勉強そっちのけで、クラシックギター、フォークギターに夢中だった。舟木一夫や西郷輝彦からカントリーとフォークに興味が移っていった頃だ。クラスの集まりでは、バーブ佐竹の「女心の歌」がおはこだった。私が歌うと何故この歌がうけるのか、何故リクエストされるのか当時は分からなかった。多分親父譲りの低音だったからだと思う。今はもう低音も高音も枯れてしまった。

ともかくそんな外から見れば「遊んでいる」時代に、フラフラとする自分に対して忸怩たる思いがあったのだろう。「オレは、イズムが欲しいんだよな」と語っていた記憶もある。それは形を変えてつい最近までずっと私の人生に付きまとっていた劣等感の一つだ。学生運動にも、労働運動にも、新興カルト宗教にものめりこめなかった。私が夢中になったのは皮肉なことに「仕事」だった。ある時期「仕事が趣味」という時代があった。その中で今の自分を支える「信条」は出来上がっていったらしい。他人事のように自分を振り返るとそう思う。

何処かに「神」はいると思う。この世という舞台にどんな形にせよ登場したもの全て、人も、動物も昆虫も鳥も魚も草も木も、命のあるなしに関わらず、生まれてきた意味があると思う。その意味を果たせないで舞台を去るのはとてつもなく淋しい。宗教は「意味なく去るのも神の計画だ」というかもしれないが、私の神は「気配」だけでいい。人は弱い弱いから頼る頼るから自分が見えなくなる、見えなくなるから気を遣う自分を律する。そんな連環を認めたうえで、誰でもが「ああいい人生だったな」、「意味があったな」と言える形で舞台を交代していって貰いたい。私の信条はそんな演技者の邪魔をしないことかな。

自分は演技者としてどうか、まだ結論は出ていない。


# by zoofox | 2019-06-21 10:11 | 自分のこと | Comments(0)

水掻き

両手を軽く握って指の爪をこすり合わせている人がいた。ニヤッと笑いながら「○○さ~ん、こうしていると免疫力がアップするんですよ」、H君だ。私より十歳近く年下の仲間だった。スポーツが好きで「○○さん、運動しなくちゃだめですよ」と言うのが口癖だった。五十歳を過ぎて頭が薄くなりかけの頃、ガンに罹ってあっという間に亡くなってしまった。良い人は早く逝く。

ボーっとしている時、右手の親指と人差し指で左手の指の間をまさぐっていることがある。この感覚、これは何だっけな。昔、犬か猫か鶏か身近にいるものの指の間をまさぐって(あっ、水掻きがある)と驚いたことがある。小学校の頃ビニールの手袋で指の間に水掻きがあるおもちゃがあった。学校にプールがなかったころだ。臨海学校に行く時かもっと別の機会か、一度使って(役に立たないな)と思ったことがある。

説明のつかないことが面白い。私がSF小説に触れたのは小学校の図書室だった。子供向けの全集があった。題名は覚えている「両生人間第一号」という本だった。そういえば、ケビン・コスナーの「ウォーター・ワールド」という映画があった、設定は違うが結果は似ている。両生人間は海の側の研究所で、実験のために作られた存在だった。水に入るとエラが開き、手の指の間に水掻きがある。エピソードはもう忘れたが「両生類」や「肺呼吸・エラ呼吸」などという言葉をそこで覚えた。

変なことばかり覚えているな。

# by zoofox | 2019-06-21 06:06 | 思い出 | Comments(0)

歯が捻挫

胡麻煎餅を齧ったためか、歯間ブラシを使いすぎたためか、それとも昨夜の暖かさに布団をはだけたためなのか、夕方から歯が痛くなった。どうにも我慢できなくなるまで何となく我慢してしまうのだが、明日は歯医者は休みだし、今月の予約は来週だ。(痛み止めでも貰っておこうか)と午後5時過ぎに歯医者に行った。予約なしは少し待たされる。受付のお姉さんに事情を話して順番を待った。

(今日の今日では抜歯はあるまい)と思っていた。医師は「どうしました」と聞く。すぐレントゲンを撮る。どうも私が思っていたほど深刻でもないらしい。薬を付けてあとは来週の診察日ということになった。帰り際に「まあ、歯が捻挫したようなものですよ」と言った。(うまいことを言うな)と感じた。予想しない言葉の組み合わせは、少しユーモラスに感じる。

# by zoofox | 2019-06-20 06:00 | 自分のこと | Comments(2)

実行されない国連の勧告

今月の5日に、国連のデービット・ケイ特別報告者が、「日本では現在もメディアの独立性に懸念が残る」という報告書をまとめ、6月24日の国連人権理事会に提出するという記事があった。16年に訪日し17年に報告書をまとめて日本政府に11項目の勧告を行ったが、履行されていないという。今度は続報として再度の勧告になるらしい。

私は問題提起をして議論を始める立場ではないので、興味のある方は「国連の勧告」で検索されれば、詳しい勧告内容の記事も経緯も出ている。日本はこのほかにも「人権問題」、「子供の人勧」等々幾つかの勧告を受けている。国連の株主である日本が痛いところを指摘・勧告されて罰則規定がないとはいえ、何の対応もしないというのは何故だ。日本らしくない。

何でこんなことを今頃かというと、確かに報道された記憶はあるのに、その後新聞もテレビも一斉に沈黙してしまった気がする。自分たちの死活問題に自分たちで口を閉ざしている。おかしいな。

私はませた小学生だった。今でも、ガリ版刷りの「聞けわだつみの声」を読んだときに感じた自分の気持ちを大切にしている。大人の影響を受ける前に自分で感じたことだ。(そんなに嫌な戦争なら、何で皆で反対しなかったのか、何で死にたくないのに特攻を志願したのか)、子供は単純にそう思う。大人の知恵では戦時中の「カルト集団としての雰囲気のある」日本で、父や母の世代が一人で反対することはできないだろうなと妙に物分かり良くなる。

デービット・ケイ氏は言論の自由が侵されていると、日本に調査に来て結論を得た。外国人の意見は、日本人らしい見得や忖度を入れないから、単に他の諸国と比べて「これはおかしいよ」と言っている。だから概ね正しいと思える。論語の「過ちては改むるに憚ること勿れ」は長い間、日本の紳士教育の基本にある言葉だ。こんなことも忘れている(いや、知らないのかな)。今政治を行う人々は大多数が私より年下になった。その点では十分な幼少年期教育が行われていないように感じる。日本の舵取りたちが外国から指摘されたことを吟味もせずに「無視」してしまう、というのは私には考えられない。

形は変わってもまた「わだつみの声」が生まれるような世の中では困る。メディアが身を賭しても、戦前に戻ろうとする意識を監視して非難の声を上げるべきだ。別に私は韓国や中国に肩入れする気持ちはない。彼らも国内でメディアに対し日本と同じくらいひどことをしているだろう。求心力が弱くなると、手っ取り早くメディアの批判を封じて手駒に使おうとする。何を言われても「私たちは正しい」という信念があれば姑息なことをせずに、腰を据えた話し合いを常日頃から行い、相手の言葉をじっくり聞いて説得することもできるはずだ。共産主義ではないのだからメディアを恫喝して情報を隠してはいけないだろう。

楽しみにしていた「党首討論会」少し見た。この催しを企画したのは誰だ。「討論会」などと恥ずかしくもなくよく言えると思う。マスコミからは「野党は2000万円問題しか追求しない」と批判が出ている。野党同士も話し合って追及点を分担しなければ「呪いの言葉」の壁は破れない。2000万円問題は象徴的だがそれだけでは奥が浅くなる。時間が短すぎる、国の大方針が何も見えない。そんなものなのかな。

# by zoofox | 2019-06-19 23:25 | 考えること | Comments(0)

撓(たわ)められた心

個人の経験を一般論に広げるのは無理がある。それを知っているくせに「俺の若い時は・・・」と言いたがる。私はそれも良し、と考える。最初から万人の心の動きにぴったり合うような「定理」が頭に浮かべば、その人は天才だ。作家や学者に近い。唯我独尊だけでは困るが、自分の「基本」は押さえておきたい。ブログは日記だから主語は「私は」だ、時々それは省くことがある。

事件があり、事故があり、不正があり、思惑の絡み合った不可解なことがある。全部の人の営みに共感していたらそれは「嘘」になる。全部が解るといったらそれも嘘になる。人間の理解の幅は意外に狭い。自分の経験の幅を如何に広げるか、若い時から苦労している。人間は生きていくうえで仕方がないから「他」を理解しようと考える。同時に自分を顕示しようと思えば「交流」が生まれる。打算のない交流はほとんどが本能に基づくものだ。「動物への愛情」、「子供への愛情」、「恋愛」、そして「大きなるものへ」・・・結局、「打算と保身」が大人として世の中を波風立てずに歩く秘訣かも知れない。

人間には育っていく過程で「反抗期」がある。心理学者ではないからどんな意味を持つのかは知らないが、反抗期があった人と殆どなかった人とは、他人に対する愛情の交換表現が違うかなと思える。回り回って最終的に反抗したものに戻る。反抗しなかったら戻るものがない。自分の人格形成期はまあ、人並だ。反抗期があり、社会に出て行ききれない中途半端な時期があった。この「反抗期」や「モラトリアム」のもどかしさを、感じたか感じなかったかで、その後の「社会や他人に対する優しさ」が変わってくるような気がする。

科学的には言えないから自分の経験が下敷きになる。この時期に「撓められた心」は社会に出てから迷いが一つ少ない。毎日の事件で人を殺したり傷つけたり騙したりする人の心は、自分で撓めてそれを解放した経験がないように思える。若い時代に通過した「出口の見つからない不安の塊のような日々」が、今の私の「経験的楽観主義」を支えているかもしれない。


この手のことは考えても答えが出ない。自分を埒外において答えを出そうとする。私が社会や他人に対して優しいか否かは自分では分からないことだ。

# by zoofox | 2019-06-19 06:10 | 考えること | Comments(0)

今度は3000万円

朝日の中で朝刊を読む。最近は空が明るくなって、裸眼でも目を凝らせば新聞が読める。近視は少しずつ進んでいるようだが、老眼はゆっくり足踏みしている。

金融庁の「老後2,000万円」という報告書がずっと論議を呼び、衆参同一選挙までなくなった。麻生大臣のトンデモ発言も出てきた。香港のデモもあったし、イランのタンカー襲撃(?)事件もあった。(そろそろ終わりかな)と思っていたら、当の金融庁が4月12日にワーキンググループに対して「30年間で1,500万円から3,000万円必要」という資料提示をしていたという。ワーキンググループは忖度して「2,000万円」と書いたらしい。

朝食を摂りながら同居人がぼそりと言った。「あんた、この二人で月221,000円というの多くない?」、確かに多い。我々の懐よりはずっと多い。毎月不足額を追加しなくてもこの金額なら。きちんと貯金ができるだろう。私もいい年まで厚生年金を払った。雇用保険は途中でなくったが厚生年金は最後までだ。それでも控除が一切なくこの金額よりずっと少ない。配偶者や扶養とは縁がないからかな。

「消えた年金問題」はずっと燻ぶっていたんだな。日本では珍しくデモになった。世論調査でもさすがに隠せなくなってきたようだ。工夫のない消費税増税は延べ単に2%の減収になる。さあ、どうするんだ。戦闘機返品かな。

# by zoofox | 2019-06-18 07:59 | ニュース | Comments(0)

久しぶりの運転

三月にリコールがあってその後ずっと車の運転をしていなかった。あの車好きがどうしたことだろう。自分では分かっている。首が痛いのと最初からこの車はドアミラーの場所がほんの少し後ろだ。この二つが重なると(面倒くさいな)と思ってしまう。セールスにはフェンダーミラーはないのかと聞いたり、実際に補助ミラーを二つ買ってみた。結局取り付けると塗装に傷がつきそうで頓挫した。それ以来だから最初からだ。私が億劫になったのと、だんだん車がいらなくなった時期がたまたま同じだった。もう車に合わせる柔軟性が擦り切れている。

前の通りの交通量が増えた。信号が少ないから表通りのバイパスになっている。たまに来る赤ちゃんはバスが好きだ。通る車を見せていると何となく機嫌がいい。私もぼーっと車を見ているのが好きだ。本当はカメラを構えていて気になる車の姿を写したい。丁度信号で止まる。古いミニが時折通る。小さいミニと大きくなったミニも通る。(修理工場の試運転だな)と思う。

エンジンをかけほんの近くまで行って帰ってきた。放っておいたのにアイドリングストップはちゃんとしている(この機能はいらないな)と思う。リズムが壊れて却って危ない気がする。歩行者保護のブレーキは危なくて試せない。便利な機能がみんないらない機能だ。毎日乗っていた時はオートマは便利だとも思っていたが、運転時間が極端に少なくなると(マニュアルがいい)と思う。もうラインナップにマニュアルが無くなった。「便利」と「運転した」という満足感は違う。1時間2時間なら面倒でもいい。長距離は楽な方がいいだろうな。

本当にブレーキの踏み間違いはあるのかなと、自分を点検しながら走っていた。テレビでしつこく報道するように踏み間違いが「高齢者の特性」なら気を付けなければいけない。普通の状態で踏み間違いは起こらないという結論だ。事故は車か運転者に問題がある。リコールされたエンジンは何だかザラザラする、まあこれは私の感覚なのだが。(車いらないな)と思い始めている。この車はいい車なのだが出会いの時期が悪かった。今は「走ればいい」とは思えない。

新たな免許制度とか、限定免許とか、せっかく大金をかけて取得した免許の返納とか、事故に合わせるように「制度改正」の声が高くなる。幼児虐待やストーカーのように、「制度」を変えたり作ればいいというのは短絡的だ。違う解決方法があるはずだ。何か社会全体が「ネット化」しているようで気持ちが悪い。「ネットの意見」は野次馬だ。きちんと専門家が検証して意見を出すべきだろうな。意見を出しても最近は気に入らないと断られるけれど。

# by zoofox | 2019-06-18 06:05 | 自分のこと | Comments(0)

父の日プレゼント

昨日は妹から「父の日プレゼント」を貰った。「誕生日と一緒だよ」と言われても誕生日はまだ先だ。「忘れちゃうぞ」と言うと「私が忘れないからいいでしょ」と言われた。

小学校低学年まで、誕生日は巻き寿司と決まっていた。平凡な生活の中で干し椎茸を戻すところから始まって、酢飯づくりでは大きな浅い寿司桶の中の炊き立ての米に甘酢を合わせて、しゃもじで切るように混ぜる。子供は団扇で扇ぐ係だ。家中に甘酸っぱい匂いが広がる。子供は太巻きを巻いている傍に引っ着いて、切れ端を貰う。

お客さんが来ても、田舎の親戚が泊りに来てもこの太巻きは良いご馳走だった。さらに布巾をかけて近所の二、三軒にも配ったと思う。母はかなり高齢になるまで、太巻きを作っていた。父は何種類かの魚を下ろして握り寿司にした。こちらは私が受け継いだ。

「米が敵(かたき)」、「砂糖が敵、塩が敵」という食生活では太巻き寿司もままならない。出汁も干し椎茸も母と同じ味は出せない。お稲荷さんも作る気にならない。お稲荷さんの油揚げは子供が買いに行かされた。今の店ではコンプレッサーで「プシュッ」と空気を入れて中を開ける。昔は子供が剥がさせられた。

こうして一家の中で家族がバラバラになるに従って、その家族の伝統というか習慣が消えていくんだな。舅姑がいない兄妹の家では「今様」の祝い方をする。赤ちゃんの一家は休みごとに出かけて外食だ。まあ、形は違っても子供の心には普通でなかった出来事は記憶に残る。「家族ごとの記憶」でいいんじゃないかな。

# by zoofox | 2019-06-17 05:55 | 身の回りのこと | Comments(0)

気になる言葉

今、気になる言葉が二つある。今朝の新聞に広告が出ていた。上西充子という方が書かれている「呪いの言葉の解き方」という本だ。しばらく前から注目している。こんな発想が以前からあるのか私は知らなかった。内容については読んでいないからまだ書けないが、疑問に思っていたことに(ああ、そうか)と一つの答えを与えてくれそうだ。

もう一つは、6月14日の参議院での「警告決議」だ。私は全会一致で採択と聞いてビックリしたのだが、この内閣に対する警告は度々あるようだ。新聞もテレビもWebでさえほとんどスルーしている。これも、(私の感覚がズレているのかな)と思ってしまうところだ。

# by zoofox | 2019-06-16 07:34 | 気になること | Comments(0)

はがき

昔の職場の先輩からハガキが届いた。表書き半分にプライバシー保護の黒い紙が貼ってある。(あ、こんなはがきがあるんだ)、裏は水彩調の絵葉書。私より少し前に会社を辞めたと思う。それとも私の方が先だったか、あの時期は沢山の仲間が会社を辞めた。経営不振の勧奨退職が始まる少し前に私は見切りをつけた。(いつもタイミングが悪いな)と思う。先輩は故郷に帰って、家を建て失業保険が切れる前に仕事を見つけた。定年まで勤めて、定年後も暫らく同じ会社にいた。地震の時は住んでいる一帯がテレビに映り連絡が取れずに心配した。

なんだかんだ、40年のお付き合いだ。時々研修で東京出張があり、友人たちとお酒をのんだ。ご夫婦で退職記念に相撲見物に見えた。私はホテルを予約しておいたが行き違いで会えなかった。年賀はがきと電話の挨拶は続いている。黒い剥離紙の下には「終活第一弾として固定電話を解約しました」と書いてあった。

あの頃は中途退社をしても、ジタバタすれば仕事は見つかった。先輩も私も定年まで勤めてその後も勤めた。今の若い人たちの仕事環境には心が痛む。給料が安くても終身雇用制にはいいところがあった。これからは個人も「金」だけが頼りの生活になるのかな。変な国になったな、それとも私たちが「戦後の幻の時代」に生きていたのかな。

# by zoofox | 2019-06-15 06:01 | 身の回りのこと | Comments(0)

けがの功名

安倍総理がイランを訪問している時に、ホルムズ海峡で「日本関係」のタンカーが攻撃を受けた。「そら見たことか、余計なことをするからだ」とは言わない。そんな気持ちもあるが、是々非々だから今回のイラン訪問は、どんな目論見があるにせよ肯定的に受け止める。余計なお金をばらまいていない(今の所の報道)、英国やフランス、ドイツでもできない「トランプとの橋渡し」をした。引導を渡しに行ったのか説得しに行ったのか本当の所は知らないが、表面的にはただ話してくるだけでも「何処の国もできないことをやった」と言うべきだろう。これを「外交手腕」とは思わない。

問題はアメリカとの関係を「国内の問題」よりも重要視して優先していることだ。国内で火だるまになって委員会で切れて見せても誰も納得しない。モリカケ問題のほかにも、沖縄の無理押し、イ-ジズアショアの配備、景気・年金問題、と説明を求める課題は山積みだ。何時になったら「丁寧な説明」をしてくれるのか。首を長くして待っている。その意味では親分の喧嘩相手に仁義を切っている場合じゃないと思うのだが。

# by zoofox | 2019-06-14 10:21 | ニュース | Comments(0)

村田英雄

何日か前に三時ごろ目が覚めた、そのまま寝られないのでラジオを点けた。こんな時だけNHKの第一放送を聴く。「村田英雄」の歌を4~5曲流していた。三橋、三波、村田の三人は長い間歌謡曲の世界を引っ張っていた。少し先輩の春日八郎が朗々と歌うのに比べて、民謡や浪曲を土台とする三人の歌は独特の世界を作っていた。

村田英雄という歌手は何となく反社会的なイメージが強くて好きではなかった。三波の高音に比べてドスの利いた村田の低音は懐かしいが積極的に聞きたい歌手ではなかった。うとうと心が無防備にしている時、素直に耳に入ってきた村田英雄は違う人に聞こえた。(これは凄い)と初めて思った。語尾の震えや歌詞の隅々まで神経が行き届いた声のコントロール、もう歌謡曲のジャンルではないと思えた。一曲が浪曲であり短い舞台劇だ。

ファンが多く、長く聴かれるわけだと納得した。乱暴な歌だと思っていたら、繊細なきっちり完成された「話芸」であり「絵」だった。(もしかしたら美空ひばりよりも上かも知れないな)と感じた。ご本人はずっと前に亡くなっているが「歌」は残って、今も人に影響を与えている。知ってよかったなと思う。本物の演者は自分の声だけで、聴く人を仮想世界に引きずり込む。

# by zoofox | 2019-06-14 09:57 | 気になること | Comments(0)

退行催眠

前世のことを考えるのを「退行催眠」というらしい。精神分析では「はい、あなたは〇才ですよ、何が見えますか?」とその人の過去に色々な問題の原因を探す手法があるらしい。私は起きていても(何才の時は何があったっけ)とある程度の見当は付く。初めてそんなことを考えたのは、30才前後だろう。私は中野から須坂に向かう県道を走っていた。リンゴ畑の間をカローラのライトバンを運転しながら(子供の時の事は一年刻みで覚えているのに、最近は記憶が浅いな)と考えていた。長時間の緊張は精神的な弛緩を生むらしい。私の記憶は、嫌いなおむつカバーから始まる。それ以前はない。4才、5才、小学校に入る前後は飛び飛びだが段階的に記憶がある。小学校は先生や行事ごとに記憶している。中学校は記憶のスパンが甘くなる。高校生はもっとぐずぐずだ。その先は曖昧になって入社する直前から暫らく鮮明になる。会社に入っての記憶は担当や任地ごとに分類されている。

親は「お前の小さい頃は・・」というような話をするタイプではなかった。例外として生まれた時の周囲の様子は何度も聞いた。だから周囲の記憶が私に投影されていた訳でもないらしい。自分では(不思議だな)と感じるだけだ。時間が私の心に刻み込む爪痕の深さが時期によって違う。いつもその記憶に追いかけられるかというとそうでもない。思い出さなければそのままだ。ブログを書きながら自分の時間に目を凝らすとようやく見えてくる。それがだんだんはっきりする。忘れてしまえばまた思い出すまで大人しく待っている。

多分コンピューターの「キャッシュ」のようなものに思える。キャッシュは幽霊のようにすぐ消えたり、とんでもないところに現れる。私の頭の中にランダムに書き込まれたキャッシュが、あるキーワードでまとまって出てくる。その保持能力がだんだん弱くなっているようだ。人間の脳は容量が大きいから、生まれてこの方のことはすべてキャッシュになって漂っているのかもしれないな、と思う。再構成されなければ(何かこれ前に見たことあるな)とか(同じことしたな)とか、第六感や予感のようなものに化けているかもしれない。考えるだけでも面白いな。脳が経年変化で劣化してくると、なかなかキャッシュが残らない。これも分かるな。


# by zoofox | 2019-06-14 05:08 | 考えること | Comments(0)

ラテックスの手袋

玄関の靴箱の上にダンロップの「ラッテックスの手袋」の箱がある。隣には赤ちゃん用のシッカロールの缶もある。ガス台周りの油汚れを掃除しようと久しぶりに手袋を嵌めた。手にぴったりするようにわざわざSサイズにしてある。使い捨てにせず、よく洗って水気を取りシッカロールをはたいてから、裏返して置いておくと何度かは使えた。母の介護の置き土産であり、私の掌蹠膿疱症の思い出でもある。母は「在宅介護」のはしりだ。政府もまだ「在宅介護が望ましい」とは言わなかった。介護保険の事業所が沢山出来、ケアマネは被介護者の様子よりも「家の改造」を優先した。(介護保険などない方が良かった)と今でも思っている。巨大な介護保険は金を求める企業の絶好の草刈り場になった。人よりも「このケースでどれだけ補助が引き出せるか」がケアマネの腕の見せ所だったような気がする。

「人材派遣」が世の中に仕事として認められたように、「介護事業」は公的な福祉事業を追い払ってしまった。両者ともに今の時代に健全に機能しているとは思えない。単に新しいビジネスチャンスでしかなかったのだろう。今の低賃金労働者の生まれる基礎を作り、外国人まで貪欲に取り込もうとしている。政府の方針転換で「介護施設、病室」を作った病院が今喘いでいる。利用者は利用しようと思ったら「自宅介護」だ。公的な施設は相変わらず高い倍率だ。おかしい、変だと声を荒げるのは簡単だが、次に打つ手が見えない。保険金はいやおうなしに年金から天引きして、「介護は自宅で」というのは理屈が通らない。

手袋がこんなことを思い出させる。同時期に私は手の皮、足の皮がむけて毎日(これ本当に治るのかな)と思っていた。仕事場では白い手袋が私のトレードマークになった。そんな時でも食品を触ったり水仕事をする機会はあった。魚をさばくとき手袋がぴちっとしていないと包丁が危ない。最初はMサイズ、後からSサイズを買い求めた記憶がある。

母親の誕生日が過ぎてから、ずっと母親を思い出している。

# by zoofox | 2019-06-13 06:02 | 身の回りのこと | Comments(0)

消えた年金再び

麻生財務大臣が「そんな報告は受け取らない」と受け取り拒否をして終息を図った「100年、老後2000万円問題」は、一向に火の手が消えない。野党が意気込んでいた理由が少しわかった。単なる委員会のワーキンググループの報告ではなかったのだ。マッチポンプを仕掛けたの所に火の粉が戻っただけだった。人口構成の歪が生む年金額の減少に便乗して、私たちの掛け金を「目的外流用」したことや「勝手運用の失敗」も政策的な「金利の低迷」もすべて、年金受給者増が原因だとしたかったらしい。全部が厚生年金に併合されない単独運用の「公務員共済」は僅かずつでも支給増加している。声の少ない大きなものを覆い隠そうとすると、相当な研究と努力が必要だ。考えずにやるとあちこちからボロが出る。

社会保険庁を社会保険機構という名前に変えて切ったはずのトカゲの尻尾は、どっこい簡単に切れる尻尾ではなかったらしい。あの頃は機構から毎月のように手紙が来て、(何でこんなにサービスが良いのだろう)と思ったが、年金額が増えたことは一切なかった。あの騒ぎは何だったんだろう。今になると単に「民営化」のポーズだったんだろうな。

# by zoofox | 2019-06-13 06:00 | 気になること | Comments(0)

32インチ

ちょっと前に背広や洋服を沢山捨てた。それでもまだ沢山残っている。ここ数日「梅雨寒」で20度以下の日が続いている。(そうだあのジーパン捨てていなかったよな)とクロゼットの中を引っ掻き回す。ジーパンやチノパンに紛れてゴワゴワとした肌触りのジーパンがあった。かなり前に買った。何度かはいてすぐはけなくなり、捨てるに捨てられずに残しておいた。本物のジーンズだ。昨年からの減量で85センチのジーパンが入るようになった。今はベルトを締めている。取り出した古いジーパンは今ではもう売っていない、まだ色あせていない。タグが読めないが「32インチ」だったと記憶している。「2.54×32=81.28cm」、これは長い間はけなかったサイズだ。本当ならずいぶん昔になる。男物パンツの79、82、85cmこのサイズの刻みはシビヤだ。85cmも入らない日々が随分長かった。仕事を始めた若いころはずっと「79cm」だった、このサイズの時代が長い。それを超えると短い脚では似合うパンツが少なくなる。32インチはさすがにきついがなんとかはける、ただしベルトは不用だ。

自分で自分の着るものを買うという習慣はあまりなかった。背広が制服になってから何年かに一度、何着かの背広を買えば事足りた。会社で背広、オフの時は下着か寝間着で不便なかった。朝7時半から夜11時までほとんど”制服”で過ごした。その前は仕事着以外の着るものに気を遣う余裕はなかった。すこし手元のお金に余裕ができた頃、この近辺は繊維関係の会社が多かったので、夏と冬のボーナス前には、会社や神社の境内で安売りをした。家族を乗せて買いまわる時、私もついでにシャツやセーターを買った。ちぎったデパートのタグの付いているものも多かった。傷物はもっと安かった。ゴルフ着以外のカジュアル着はスエットの上下で足りていたから、着ないで袋に入ったまま置いてある。整理を生き延びたこんなシャツを今になって幾つか出して着ている。〇木や〇ニクロではお目にかかれない品物だ。着やすいかというとそうでもない。気の利いたシャツはパンツや靴下、靴を選ぶ。何となく窮屈だ、それが面倒だった。その点ジーパンは上に何を着ても、ボタンをしなくても気にならない。

小学生の頃、洋裁の得意な母親は「トレパンいるんだって」という私の願いに、テント地であっという間にズボンを作ってくれた。生成りのちょっとベージュがかった(正にジーパンの肌触りだった)白いズボンを卒業までトレパンにした。先生は「誰が作ってくれたの」と尋ねたが「母です」と答えるとそれ以上は聞かなかった。子供のズボンに継ぎが当たっているのが普通だった。「トレパンが買えない」とは答えたくないし聞けない時代だった。友達からは羨ましがられたが、私は皆と一緒の方が良かった。

# by zoofox | 2019-06-12 06:06 | 身の回りのこと | Comments(0)