モアイの帽子
2024-03-12T06:49:27+09:00
zoofox
不思議なこと
Excite Blog
ゴジラ
http://genkailife.exblog.jp/33281062/
2024-03-12T06:49:00+09:00
2024-03-12T06:49:27+09:00
2024-03-12T06:49:27+09:00
zoofox
不思議だなと思うこと
東京大空襲の日
http://genkailife.exblog.jp/33279683/
2024-03-10T13:07:00+09:00
2024-03-10T13:07:15+09:00
2024-03-10T13:07:15+09:00
zoofox
過去と未来
今年は何時もの年と感じが違う。「空爆」とか「火災」とか「避難」とかその後の「難民暮らし」がイメージではなくウクライナやイスラエル・ガザと重なって見える。それにしても都市の空襲や原爆でウクライナやイスラエル・ガザの争いの何倍もの非戦闘員が殺されているのにこの日本人の冷静さはどうしてだろう。黒い歴史がそこにあるのに誰もが気がつかない振りをしている。戦争に負けたら何も言えないと思っていたのだろうか。
日本では学校教育からは隠されてはいるが、何故戦争が起こったかという世界状況や日本の置かれた立場、方針の成功と失敗、そしてその後どうなったか。という「歴史」は隠されていない。調べる気になりそれなりの所を探せば普通人でも知ることが出来る。私達が子供の頃学校の先生はこの数十年前の「歴史」をどう教えて良いのか分からなかったのだと思う。教師と言えども「この国の方針は間違っていた。だからこんな世の中になった」という社会の同調圧力を跳ね返して「わたしはこう考えている」とは言いにくかったのだろうし、それは今でも継続していると思う。
今の時代では何故戦争が起こったのかどんな遠因が積み重なっていたのかを子供に教えることはタブーではないと思える。「あの戦争が何だったのか」という問いを国民全てが考えてみれば、二度と同じ道を歩かないという意志が出来る。歴史と向き合い国民としての精算を行わないと誰かの言いなりにしか動けない日本が続く。
今私は少し前までと違って「戦争反対」、「核武装反対」、「原発反対」と声高に叫ぶことが出来ない。ウクライナやイスラエルの状況を身近に感じると「戦争を封じる軍備」というものが本当にあると感じてしまう。全世界が日本と同じように惨禍を味わい同じような平和に対する希望を持っているとは思えなくなった。そんな情報をさらけ出した上で「さあ、日本としてはどうしますか」という政治からの問いがいつまで経っても出てこない。専制国ではないのだからトップダウンで法律を通し後から丁寧な説明をしますといってそれきりになるようなことはもう続かないと思える。
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ネットの社会に入り込んで・・
http://genkailife.exblog.jp/33278635/
2024-03-09T04:26:00+09:00
2024-03-09T04:28:17+09:00
2024-03-09T04:26:13+09:00
zoofox
不思議だなと思うこと
もう一つは「ハロー効果」ともいうべき心理操作に自分の認知のコンパスが狂わされ、「次、次、次」と同じような知識に惹かれてしまうこともある。SNSを見ていると以前の「掲示板」とか「○チャンネル」という書き込みがより高度になりそれに対する応答が巧妙に粘着的に行われている印象がある。
私は外国に暮らしたことはないが、経験ある人は「ずっと気を張って警戒しなければならないから疲れる」とおっしゃる。同じ事はネット記事を読む側にもある。「警戒しろ、こんな事はみんな嘘だ!」と言えない本当の情報もそこそこあると思う。最終的には「自分を保つこと」が一番大切だが、意見が「信用できる」人を探して決めることも必要だ。ネット世界に自分なりの「錨」を投錨しないと何処まで流されるか分からない。
「情報を共有する」と皆さんは簡単に書かれるが、「共有」とか「拡散」という言葉にふとプロバガンダ臭さを感じてしまう。
テレビでは最近めっきり見なくなった「論客」や「解説者」がネットの社会には生き残っていた。私は何人かのそんな人を見つけて時々「意見や解説」を見ている。この世界をうろうろしていると「若い人」の中にもきちんとした意見を持つ人が育っているという発見に驚く。テレビや新聞のタブーや偏りがどうしても見えてしまう。
中間の結論としては『日本もなかなかやるじゃないか』と感じるところにぶつかる。「低賃金だ、物価が高すぎる、政治家は政治をしろ」等々マスコミの批判は半分は当たっているが、政治と同じで「何故そうなるか」、「どうしたら良いのか」という視点が欠けている。「日本は貧乏になった」とか総理の言う「日本は差別の多い国だ」という意見がどれほど的外れか合点がいく。そんな国なら株はこんなに高くならない。今凍結された三十年分を取り返しているだけに見える。ネットの情報はこの部分が細切れに乱雑に積み重なっているように思える。その代わり鋭さはマスコミの比ではない。
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自分床屋
http://genkailife.exblog.jp/33269433/
2024-02-26T07:13:00+09:00
2024-02-26T07:13:14+09:00
2024-02-26T07:13:14+09:00
zoofox
年寄り生活
朝風呂に入って髭を剃り歯を念入りに磨く。2月の暖かい日に(自分で刈ろう)と決心した。虎刈りがあっても自分では見えない、他人の目を気にする程でもない。父が存命の頃は私がリクエストに応じて手動バリカンで頭を刈っていた。父親に風呂場から「おーい、頭を刈ってくれ」と声をかけられた。そのバリカンも落として歯を欠いて捨ててしまった。電動バリカンは三種類ある。プロ仕様から子供の頭刈りまで揃えている。風呂場で刈るには電線を持たない充電式が手軽だ。今更感電したくない。
物置からナショナルの充電式を取りだしてきた。軽いが3mmが一番短い。床屋では坊さんと同じ「1mm刈り」を頼んでいた。スキンヘッドというのは割と目立つ。しかし一度やったら気持ちがいいものだ。3mmというのは刈ってから1週間か10日ぐらい経った時の感じだ。今度は一月ではなく20日毎ぐらいで刈ることになるだろう。禿げの白髪も真っ白なら何となく格好が付くが私はごま塩だから伸ばし放しは気持ちが悪い。
寒いときには本当に頭から風邪を引く、暫く毛糸の帽子は手放せない。
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梅の花
http://genkailife.exblog.jp/33261723/
2024-02-16T19:48:00+09:00
2024-02-16T19:48:54+09:00
2024-02-16T19:48:54+09:00
zoofox
身の回りのこと
毎年同じ場所で同じ梅を撮っても少し違う発見があります。ピントが甘いのは失礼します。小枝の切り詰め方などにはっとすることもあります。
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情報の値段
http://genkailife.exblog.jp/33258183/
2024-02-12T19:24:00+09:00
2024-02-12T19:24:36+09:00
2024-02-12T19:24:36+09:00
zoofox
考えること
テレビを見ている頃は地上波の破廉恥さに恐れをなして、BSとCSを主に見ていた。何と言っても地上波テレビの古いドラマの再放送が多い。ギャラはどうなっているのか知らないが、何年も何十年も以前に制作した番組を何度も流す。CMが入らないものもあるがほとんどは今風の通販CMがうるさい。でも(これは無料だ)と思うから腹も立たない。CMは見なければ見ないでも済む。ネットもYouTubeなどはCMの有無を選択できるがそこには料金が生じる。
パソコン通信の時からネットを利用していたが当時はCMで遮られた記憶はない。最初はNiftyだったと思う。癌に罹って必死でネットで検索した。医師とは話が通じたが情報は「質の悪い癌」だと伝えていた。メーリングリストに参加して再発転移に備えた時期があった。その頃にyahooの掲示板に参加した。当時の掲示板はお行儀がよくて「アラシ」は皆で無視すると去って行った。そして再発転移の恐れが薄まりやがてネット生活から離れた。その頃のお友達とは未だに繋がっている方もいる。
もう一度今度は”受け手専門”としてネットに戻ってきた。無料番組とは言ってもネットは地上波とは違う切り口の鋭さがある。以前とはネットの位置が違うようにも感じる。テレビ局が取材を怠り、楽屋落ちの芸能人の話題や笑えないお笑い番組にうつつを抜かしている内に独自の進化をしたように見える。マスコミとミニコミを読み比べてみると気がつかなかった違いが見えてくる。一つの出来事を全く違った捕らえ方をする場合もある。どうでもいいことを針小棒大に騒ぐこともある。最後の判断は自分に委ねられている。信じるのも瞞されるのも自分次第というのは私のような疑り深い人間には清々しくも感じる。
私の見に行くネットの情報は殆どが無料である。”浅草の蛇屋”でもあるまいし、「もっといい情報が有料で見られますよ」と誘われても見に行く気にはなれない。人間が生きていくのに必要なインフラは水道でも電気でも高速道路でも本来無料であるべきだと思う。インフラ整備に必要な金は税金として取れば良い。普通に生きるための情報もこのインフラに含まれると思っている。無料でも自分と違う視点でものを見る人がいることを知ることが出来ることは大きい。ネットより細かい情報は今では売れなくなった「本」にある。
ネットの情報は速くて切れがあるが目が粗い気がする。私のように古い人間は最後は何度も活字を読み返さないと頭に入らない。
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”寄り添う”という言葉のいかがわしさ
http://genkailife.exblog.jp/33256842/
2024-02-11T08:42:00+09:00
2024-02-11T08:42:14+09:00
2024-02-11T08:42:14+09:00
zoofox
言葉
技術も力もない私に出来ることは「見つめる」ことだ。そして「忘れない」ことだ。最近「実行」という言葉が眩しく見える。私にはもう悲嘆に暮れる人達を慰める術がない。体力も財力もない私が何を”実行”出来るのか。ずっと考えている。昔々のドラマに「同情するなら金をくれ!」という有名な台詞があった。人の思いや心配が「金」でしか形にならないというのは悲しいことだが案外この言葉は本質を突いている。しかし、この心のこもったお金が反対勢力の元に集まり悲惨を増幅させているという話もあった。せめてきちんと求める場所の求める人に届くような「募金」を選ぶしかない。で、それも出来ない人はどうすればいいか。結論は出ない、今のところ考え続け見つめ続け忘れないことしかできない。
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早く春が来ないかな
http://genkailife.exblog.jp/33256827/
2024-02-11T08:25:00+09:00
2024-02-11T08:25:03+09:00
2024-02-11T08:25:03+09:00
zoofox
年寄り生活
ウクライナも誰がどんな利益を求めて戦争しているのか日本では分かりにくい。パレスチナでは国連の組織がそっくりテロ組織として機能していた。先進各国はここに競って援助を与えていた。ネットの情報とテレビ新聞の情報のあまりの乖離に(何が起こっているのだろう)と自分なりに心を痛めていた。
世界は「虐め合い」と「差別」の連続である。そしてそんなことに疎い日本は色々な国の餌食になっていた。私達が知らない間に日本の富が喰い荒らされ日本の土地が買われている。この30年日本はこんな外国に門戸を開いて国民の生活を蔑ろにしてきた。
昨年思い立って自分の心の精算をした。結果「アメリカが日本を自由にしない」という一つの結論を得た。しかし、そんなアメリカを始めとする日本に対するソフトな侵略を「そんなことは駄目だよ」という政治家が一人もいないという現実にも気がついた。
地元では昔からの商店街の裏の密集地区に民泊が増えて、商店街を闊歩して外国人が歩く。インバウンドどころではない。私達の大切にしてきた地域社会にずかずかと入り込む者がいる。「共生社会」などと声高にしゃべる人はきっと身の回りに外国人が普通にうろうろとしている生活を知らないだろう。
何か去年あたりから世界がおかしい気がする。今年に入ってから「ポリコレ」という言葉を覚えた。あらゆる差別を排除するとは良い理念だが、行きすぎると全てがガタガタになる。日頃から「多数決」を唯一の決定手段としてきた人々が俄に「少数者の意見も大切にしなければならない」と言い出す。本気でポリコレを尊重するのは良いが置いて行かれる我々「沈黙の大多数」はどうしたら良いのかな。
為政者というものは些末な事務は部下に任せて、「どうしたらこの国を守れるかどうしたら国民が幸せに暮らせるか」だけを日夜考えて欲しいものだ。
私は戦後の日本を駄目にしたのは私達の世代だと本気で考えて、若い世代に申し訳ないと常々感じていた。政界の不祥事が今明らかになり始めるとこの三十年間の体たらくは「私達の世代が悪いのではなく、利権まみれの政治が悪かったのだ」と胸を撫で下ろしている。「安い労働力、コスパ、赤字事業の切り捨て」など物事の道理の前に経済界の利益が優先されてきた。
私は理解できない不条理に出会うと「これで誰が一番得をする?」と考えてきた。不勉強な私にはなかなか分かりにくいが、政治家や企業の後ろに彼等を操る者達の影が見え隠れする。
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ソフト保守
http://genkailife.exblog.jp/33235971/
2024-01-27T20:24:00+09:00
2024-01-27T20:24:18+09:00
2024-01-27T20:24:18+09:00
zoofox
考えること
日本の家庭に伝わる「伝統行事」をなくしてはいけないなと思う。伝統を失うのは歴史を失うことだ。東京では新築マンションの価格が「億」を超えたという。どのクラウスのマンションのことを言っているのか報道は曖昧だが都心のタワーマンションならそうだろうなと思う。私は日曜日の都心のガランとした静けさを知っている。休日出勤をしたときには食事をする場所にも困る。不便なものだ。そんなところに住みたいと思う人がいるのが不思議だ。私の住む地区でも昔に建設された中層のマンションが狭くなり老朽化して建て替えるのも難しいという話を聞く。
もうこの国には百年先、二百年先を考えて国造りやひとづくりをする人はいなくなってしまったのかなと思う。殺伐とした戦国時代、封建政治の江戸時代、革命の時期だった明治の時代、そんな時でも私達は先祖の言い伝えを守り伝統文化を育ててきた。そんなものが目先の金のために次々と潰される。世界の動きに付和雷同して大切なものを失おうとしている。能登半島の地震の復興が遅れていると言われているが、インフラの整備の手を抜いて、道路整備に金を遣わず、乗る人が少ないからと電車を止め、国の一番の仕事である国民を守ることを忘れてきた。この夏にもまた河川の氾濫があるだろう。危ないところは人命が失われる前に国が整備するべきだ。デジタル化など大臣が旗を振る必要はない。必要なら自然にそうなる。
最近はテレビは殆ど見ないし、新聞もお義理に読むだけだ。外国風の顔ばかりがテレビに映る。パソコンとスマホで事足りることが多い。その代わりに久しぶりで読書が復活した。私はずっとリベラルだと思っていたが気がついたら正真正銘の保守だった。私の保守はこの国と国民を大切にしたいと思うだけだ。それ以上の難しいことは考えにない。
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混乱
http://genkailife.exblog.jp/33212414/
2024-01-07T07:41:00+09:00
2024-01-07T07:41:38+09:00
2024-01-07T07:41:38+09:00
zoofox
未分類
結局そんな計画も定期的な医者通いに阻まれた。出来ない理由と出来る理由は出来ない理由の方が大きく見える。(この年になっても結局命が惜しいのだな)と自分の心を覗いて驚くことがある。50才を少し過ぎて癌に罹り臓器を一つ取った。このときはせめてあと五年、いや十年生きられれば悔いは残らないと本気で思った。もう二十年はとっくに過ぎた。
自分の命はこれほど大切なのに、ウクライナでもロシアでもガザでもイスラエルでも、私の知らない世界の各地で理不尽な死はきっと横行している。この二十五年近く私が自分のことだけにかまけている間に、日本はどうしたのだろう。なんでこんなにぐずぐずの国になったのか不思議で堪らない。他国からこんなに食い物にされて「世界のATM」と陰口をたたかれる。国民は貧乏でも国と大きな会社はものすごい景気である。株価も内部保留も天井を知らない。
こんな気の良い人の良い国を未だに先の戦争を引きずり、国内の子供達に捻じ曲げた歴史を教えて日本への反感を煽っている国がある。子供に取って「自国の歴史」と「自国の言葉」は、いの一番の覚えるべきことだし、それには国の主義主張というバイヤスが掛かっていてはいけない。自分たちの言葉で正しい歴史を教えれば、子供はだんだん大きくなって自分で考えるだろう。それが出来ない国は「不自由な国」ということかな。
偽孫達もパッドを抱えてYouTubeのアニメを見ている。耳から聞いて英語の歌も歌うようになった。いろはがるたで文字と言葉を覚える時期なのに。漢字がだんだん簡単になりやがてはローマ字になるかも知れない。近隣の途上国が失敗してきた歴史をこの国が真似する必要はないと思う。
私は「令和」という元号が何となく嫌いだ。冷たい響きが残る。天災がありそれに伴う飛行機事故が元旦から続く。天変地異があるときはあえて元号を変えるということも必要かも知れない。皆がもう一度西暦ではなく元号に親しみを持つべきだと思う。「人のいい少し警戒心のかけた国」というイメージが定着したのだからそろそろ所々で「毅然たる」姿を見せて自己主張をしてもいいと思うのだが。
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ご挨拶
http://genkailife.exblog.jp/33210093/
2024-01-04T04:31:00+09:00
2024-01-04T04:31:10+09:00
2024-01-04T04:31:10+09:00
zoofox
言葉
新年に年賀状を出そうと準備していたら地震に影響のある地区の人に出せなくなった。(刷り直すのもどうだか)と考えていたら、二日には日航機の事故があった。どうもこれは地震に繋がる事故のようだ。結局いい案が出ず今年の年賀状はまだ出せないでいる。
年ごとに年賀状が少なくなる。「年賀状は止めよう」と申し合わせた人もいる。勿論亡くなってしまった人も多い。途中から急に途切れた人の場合は別の心配がある。私も仕事をしているときは(面倒だな)と思いながらも毎年書いていた。この面倒が相手と自分を繋ぐ唯一の手段だったから定型文でも気持ちは通じた。
はがきを書くのが面倒だからメールにしようとは思わない。私にとっては「元旦にお世話になった人、気になる人にはがきを書く」ということが一つの行事なのだ。どうも年賀欠礼のはがきを戴いてから縁が切れる人が多い。これは今では「家と家」のご挨拶ではなく「個人から個人」へのご機嫌伺いなのだから「欠礼」ではなく「祝辞」を使わなければ良いのではないかと思うのだが、年の早い時期に戴いた欠礼状は忘れてしまうことが多い。
昨日はSさんから電話が入った。「あんた誰だ」と言われたらどうしようと思っていたと語る。さすがの私もそこまではぼけてはいない。私より一つ若いがまだ働いている。同年のKさんの物故は知らなくて驚いていた。息子さんがラーメン店を経営して支店がいくつかで来たと聞く。私のデータベースも更新しておかなければ来年馬鹿にされるかな。近所のYさんからはこの時期に年賀が届く。私と同じように「新しい年に書く」という習慣らしい。去年は裏だけ刷って表を代書して貰ったら「字がかけなくなったのか」と幾つも問い合わせがあった。義務のように年賀状を出すがそこから読み取れるものもある。今年の表書きはペンで書くことにしよう。
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敏感すぎる人々
http://genkailife.exblog.jp/33205103/
2023-12-29T07:03:00+09:00
2023-12-29T07:03:13+09:00
2023-12-29T07:03:13+09:00
zoofox
年寄り生活
(テレビに真実や報道としての決意)というようなものを求めるのは酷だなと同情する。中学生の頃から「社説」や「コラム」というものは新聞社の中でも選りすぐりの人がまるで”小説や評論”を書くように推考して書いているという錯覚があった。確かに当時の社説は時折入試問題に出る程格調が高いところがあった。最近の新聞は全てがある種の”機関誌”のような印象が強い。真実を伝える報道の内容が各社で違うのはいいが、何処かで「公平」というものを忘れている。
そんなことに気がついた頃からテレビを見ながら文句を言っていた。(こりゃボケてきた証拠かな)と心配した。NHKの番組作りや報道には昔から違和感があったが、コロナとジャニーズの一件以来全てのテレビ局が(何となくどちらかに曲がっている)と感じるようになった。
昔からアラシの巣としての有名な「2チャンネル(5チャンネル)」は時々覗いている。99%は信じるに足りないものだがたまにキラリと光る切り口がある。速報性も高い。残念ながらこれらには昔の掲示板のような「論客」がいない。今のネットの常として他のURLへ引き込む手口も見える。XもTikTokも時々は見るが(これはオレの”文化”とは違う)と感じる。特にXは何処でどう繋がるのか理解不能なところがある。
一つ気がついたのは新聞テレビ及びネットにしても「少数意見が多数意見を圧迫している」ような気持ちの悪さを感じる。声の大きな少数意見がマスコミを引っ張り政治に介入する。民主主義の「少数意見の尊重」がまるで悪用されているように感じる。そして行く先には何らかの利権が見えるようだ。利権などというものに関係のない老人としては老い先長い壮健な人達が何故目の色を変えて目先の「金」を求めるのか理解できない。勿論資本主義社会というものは前期より売り上げを落とすことは即”破滅”に繋がることは承知しているが、それにしても度が過ぎないだろうか。
『善には聡く悪には疎く』という言葉が聖書にある。言い換えれば「善には敏感で悪には鈍感であれ」と言っているように聞こえる。この「善」と「悪」の定義自体が今の時代はひん曲がって見える。前に「自分(達)にとって」という極めて個人主義的な定冠詞が付く。つまり「気に入るものは善で気に食わない者は悪だ」となる。こうなるとキリスト様の言葉を伝えたと言われる言葉も全く反対の意味を持つ。自分にとって都合の良いことばかりを集める敏感な人が多いということなのかな。
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嫌だなと思うとき
http://genkailife.exblog.jp/33201715/
2023-12-25T06:05:00+09:00
2023-12-25T06:05:37+09:00
2023-12-24T21:59:37+09:00
zoofox
爺の戯れ言
この違和感をもう少し考えていれば日本という国がもっと早く理解できたと思う。アメリカを始めとした欧米諸国が持つ「民主主義」、「個人の権利と自由」、「グローバリズム」等々ということが先進的と考えていた。それが今は単なる”自由という我が儘”に見える。受忍限度という言葉があるが、この言葉の持つ意味と範囲が西欧と日本では違うと思える。「自由と我が儘」がその国の中だけで収まっている間は良いが、世界中を同じ考えで満たそうとすると無理がある。
漠然と考えていた私達の性格というものの一部がコロナの騒動ではっきり分かった。受動的でなかなか行動を起こさない、我慢できるところまでは個人の責任で我慢する、国が危ないと思ったら整然と行動する、など美徳というかおっとりというか尻に火が点くまでに時間のかかる民族であるらしい。コロナに対する各種の制限で外国ではデモや暴動が起こっているのに、私達は家に籠もって静かに待った。
「悪」が悪として断罪されるのに時間がかかるというのだろうか。このぬるま湯のような国民感情は先の「自由という我が儘」とは相容れない。この”ぬるま湯状態”が良いとは言わないが、私達の生活の最後の部分でギスギスとした争いを和らげていたと思える。そんな振る舞いは外国からは「謎」に見えるらしい。グローバルやデジタルというカタカナ語をこの国に当てはめるには工夫と咀嚼力がいる。
最近の日本の政治は外国の流行を日本向けに当てはめる「咀嚼力」が弱っているなと感じる。大国の命ずるままに虎の子の金を出したり、国の秘密が盗まれるという危機感もない。「気候変動」、「持続可能エネルギー」、「電気自動車」、「マイナカードの紐付け」こんな今後の重大事を真剣に国内で議論し検証した形跡がない。例えフェイクな話題でも外国が行えばすぐ追随する。追随しなかったのは独自の調査を継続した「捕鯨」だけとは情けない。
最近また「西部邁」さんの動画を見ている。今古い動画を見ると当時は分からなかった西部さんの怒りや焦りが少しは分かる。政治に金がかかることを別に揶揄するつもりはない。世界中が同じような状態に見える。金を掴もうと右も左も右往左往する。世界中で「国と国の虐め」が行われる。たまたま何処かが日本は弱っているから虐められるのだろう。弱った姿を見せると寄ってたかって食い物にされる。それが嫌なら自分が強くならないといけないのだろうな。
※先の「二重投稿」をお詫びします。
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父の誕生日
http://genkailife.exblog.jp/33193584/
2023-12-20T22:08:00+09:00
2023-12-20T22:08:42+09:00
2023-12-20T22:08:42+09:00
zoofox
過去と未来
昔父の実家に行くと、仏壇に父と似た青年の写真があった。そこは伯父の寝室でもあった。下の弟を戦争でなくし父がなくなったあと伯父は90才で亡くなった。毎日仏壇に何を語っていたのだろう。父は実家の仏壇の前で弟の写真を見て何を感じたのだろう。父も早くに家を出て働き出していた。弟との接点はどんなものだったか尋ねたことはない。
父は「靖国へ行こうよ」と日曜日の朝早くに靖国神社へ行った。大きな木の扉を通ってお参りする。時折地方からの観光バスがとまっているだけで売店も開いていなかった。ガランとした木のベンチに座って一合の酒を飲んでいた。この神社は父にとっては特別な場所だったのだろうな。
この夏から私は「日本も強くあるべきだ」と思うようになった。米国にも中国にもロシアにも普通の話をするためには強くないといけない。遺骨も帰らなかった叔父の眠る神社を参ることが「戦争賛美」になるはずがない。戦争をしたくないから軍備を整える、というのは皮肉なことだな。
今の戦争は叔父さん達の戦争とは違う。一神教の神同士の宗教戦争に見える。そんな面倒なことに巻き込まれてはいけないと思っている。
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父の誕生日
http://genkailife.exblog.jp/33193585/
2023-12-20T22:08:00+09:00
2023-12-20T22:08:43+09:00
2023-12-20T22:08:43+09:00
zoofox
過去と未来
昔父の実家に行くと、仏壇に父と似た青年の写真があった。そこは伯父の寝室でもあった。下の弟を戦争でなくし父がなくなったあと伯父は90才で亡くなった。毎日仏壇に何を語っていたのだろう。父は実家の仏壇の前で弟の写真を見て何を感じたのだろう。父も早くに家を出て働き出していた。弟との接点はどんなものだったか尋ねたことはない。
父は「靖国へ行こうよ」と日曜日の朝早くに靖国神社へ行った。大きな木の扉を通ってお参りする。時折地方からの観光バスがとまっているだけで売店も開いていなかった。ガランとした木のベンチに座って一合の酒を飲んでいた。この神社は父にとっては特別な場所だったのだろうな。
この夏から私は「日本も強くあるべきだ」と思うようになった。米国にも中国にもロシアにも普通の話をするためには強くないといけない。遺骨も帰らなかった叔父の眠る神社を参ることが「戦争賛美」になるはずがない。戦争をしたくないから軍備を整える、というのは皮肉なことだな。
今の戦争は叔父さん達の戦争とは違う。一神教の神同士の宗教戦争に見える。そんな面倒なことに巻き込まれてはいけないと思っている。
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