独りの戯言


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人を呪わば・・・

どうも最近気分が晴れないな、と思うことがずっとあった。国内ではアベノミクス、海外ではアメリカの横暴に始まって、韓国の執拗さ、中国の図々しさ、ロシアまでデモ隊を使って領土は返すなと言わせる。なるべく政治に対しての発言は避けてきた。何も得ることがなくてストレスばかり残るからだ。「人を呪わば穴二つ」と言うように、恨んだり呪ったりすると同じような災いがやってくる。「目くそ鼻くそ」と同じで、日本人はそんなことに関わらず、超然と構えているべきだと思っていた。

長らく見なかった「大相撲」を昨日ちょっと見た。白鵬が休場再出場の御嶽海になすすべもなく負けた。(そうか)と気が付いた。再三注意されても、エルボーやジャブを止めなかったのは、白鵬は「頭で当たられると弱い」からだった。頭突き一発で完全に戦意を失っていた。事象には必ず「原因と結果」がある。

ささやかれていた、厚生労働省の「統計疑惑」がだんだんはっきりしてきた。随分長い間「統計の恣意的な偽装」が行われてきたという。私の「雇用保険」も偽装の影響を受けていたらしい。韓国や中国を云々する場合ではない、大見得を切ってきた「アベノミクスの成果」が根こそぎ「偽装」と「印象操作」だったとは。史上の記録に迫る好景気も実感がない訳だ。失業率が減ったのに、働く人への還元もない訳だ。景気がいいのに「年金」も減る訳だ。

韓国や中国の挑発に怒ると、政権と同じ意見になる。(何だか嫌だな)と思ってきた。報道のミスリードに踊らされていた訳か。きっと、「省が行ったことで私は関知いたしません」と言うのだろうな。もう切る尻尾がないのに。「砂上の楼閣」という言葉もあったな。

# by zoofox | 2019-01-24 08:25 | 政治 | Comments(2)

診察台の会話

昨日はしばらく通っていた歯医者さんの治療が一段落した。診察して貰って、チェックして貰い、最終工程の歯石の除去を行って貰った。「○○さんは”この年”でこれだけ揃っているのですから、大切にして下さいよ」、歯科衛生士のお嬢さんは色々話しかけてくる。歯の色の話になった。私の歯は少しアイボリーというかベージュがかっている。「この歯、映画俳優さんみたいに白くならないの」と聞く。「真っ白い歯というのは、歯を削って被せる場合があるの」、「大体日本人は骨の色だから、少し色が着いているのね」、(えっ)「年取るとやっぱりね・・・」、(やっぱり何なんだ)。外国人の俳優さんが真っ白い歯をしているのが不思議だったが、整形が当たり前の世界だと、そんなこともしているんだろうな。といい加減なところで納得する。

歯ブラシと磨き方を変えたから、指で触ると「キュッキュッ」と音がする。何度も「これだけ揃っているのだから・・・」と言われると、「今すぐ抜いてくれ」とも言いにくい。先生にじっくり診て貰ったが、「抜くか抜かないか」は私の判断になった。我慢できない程痛くなったら「抜く」という選択があるが、一度抜いたら生えてこない。宙ぶらりんで判断保留というのは私のもっとも嫌う選択だが、「抜かない方がいいですよ」と言われると、(それもそうだ)と思う。同居人に確かめると他の人の歯は時々抜いているらしい。

最後に来月の予約をして、「様子見」で行くことにした。一種の爆弾を抱える訳だが、すぐ近くの歯医者だ。痛くなれば割り込みも出来る。たまには白黒付けない選択もあるのかな。

# by zoofox | 2019-01-24 06:05 | 自分のこと | Comments(0)

懐かしい声

先日「天地総子」さんが亡くなった。(ああ、懐かしいな)と感じた。CMの女王と言われ、たくさんのCMソングを歌っていた。天地さんは、テレビよりラジオを好まれたようで、長寿番組があった。

私の家は家中にラジオが置いてある。トイレ、風呂場、台所、寝室と今でも置いてある。「テレビ爺さん」になる前は何をするにもラジオやラジカセが傍にあった。

今朝は閉店した肉屋の姐さんが、「正月のお雑煮用に」と配達してくれた「鶏肉」を前に思案していた。私は子供のころ庭でニワトリを飼っていて、その世話をしていた。ある年の梅雨のころ餌を切らして二、三日ずるけていたら、鳥小屋の上の段に丸まって固くなっていた。その時から本格的に酒を飲みだす年齢になっても、暫らくは「焼き鳥」が食べられなかった。私の育ってきた過程に鶏肉はほとんど関与していない。私の家の雑煮は基本は「大根・小松菜・醤油」で鳥は入れない。だから冷凍庫で鶏肉は眠っていた。酒と醤油、カキ油、ニンニク、塩コショウ、カレーパウダーをほんの少量ずつ揉みこんで、長ネギの細切りをごま油で炒めた中に加える。七味を加えるとなかなか創作料理にしてはいい味だった。

そんなことしながら、小さなラジオを点けていると、まず「生島ヒロシ」が英語をしゃべっている。(おうおう、若い声だな)、その次は「森本毅郎」と「遠藤泰子」さんが掛け合いで番組を始めた。テレビは顔が見えるから(随分年取ったな)と感じるが、ラジオは昔のままタイムスリップしているように感じる。



# by zoofox | 2019-01-23 08:06 | テレビとラジオ | Comments(0)

朝起きると

朝起きると左を下にしていることがある。私は普段は仰向きか右を下にして就寝する。(おかしいな)とは思っていた。寝返りは記憶しているものとしていないものがある。これは記憶していないものだ。無意識の行動は自分でも説明できない。思い当たることはある。初めて全身麻酔で手術されるとき、担当の若いA医師は、「○○さんは右の鼻の方が真っすぐですから、今度手術されるときはそう言った方がいいですよ」と半ば冗談に言っていた。何もないときは鼻の穴が真っすぐだろうが曲がっていようが、そんなことは意識しない。ゴムのカテーテルが入りやすいか入り難いかは私の知ったことではない。「今度の手術なんか勘弁してくださいよ」といったのは記憶している。慌ただしい手術の前に、医師が私をリラックスさせようとしたのかもしれない。その後鼻の穴の話はすっかり忘れていた。

部屋の空気が冷たくなると、子供の時から布団にもぐって寝ていた。呼気で温かくなるが目などにはいい影響はないらしい。大人になってからは「鼻毛が凍るような」時でも、顔は表に出していた。ここにきて新しい部屋で初めての冬を迎えた。取り壊す以前の部屋よりは確実に暖かいが何となく慣れない。暖房は消して寝る。シックハウスではないようだが、少し風邪気味だと冷たい空気に鼻が詰まることがある。(これだ)と思い当たった。先に右の鼻が詰まる。左を下にすると詰まりは解消される。

医師が間違えるはずはないのだが、「私の右」と「向かって右」が違ったような気がする。

# by zoofox | 2019-01-23 05:52 | 自分のこと | Comments(0)

メッセージ・イン・ア・ボトル

正月に撮りためた映画を見ている。ケビン・コスナー主演の「メッセージ・イン・ア・ボトル」を見た。何度も見た映画だ。アメリカの映画はガサツで暴力とセックスを除くと何もない、とは思っているが時々秀作がある。ケビン・コスナーの出る映画は秀作が多い。エロとグロとこれでもかというほどの戦争映画、その対極に一人の人間の命と心を、これほど大切に思うアメリカ人がいるとは驚きだ。ケビン・コスナーはそんな役が似合う。キレキレのアメリカ人の顔ではない。水で髪が張り付いた姿は、(スティーヴ・マックィーンに少し似ているな)と見える。私はまだ彼の若いころの顔を覚えている。

私の映画鑑賞はいつも同じ結論だ。同じ映画を見ながら、一度目と二度目と三度目で違うところに目が行く。そんな楽しみ方ができる映画は”いい映画”だ。最初は(主人公を殺すなよ)と感じた。その次はポール・ニューマンの親父さんの悲しみと後悔に子を思う親の心を感じた。今回は、女性の側に立って(あの時こうしていれば)という取り返しのつかない気持ちを強く感じた。優れた鑑賞者なら一度に感ずるものを何度にも分けて感じる。私はそんな見方をする。だから何度も見ても飽きない。

女優も男優も、私生活はどうあれスクリーンで夢を見させてくれれば優れた俳優だと思う。鑑賞者は画面の中の主人公と俳優を結びつけて考える。映画の中と私生活が同じならそれは「演技」の力ではない。いい人がいい人の配役をするのは面白くない。別にケビン・コスナーがダメ男というのではない。一般論だ。

いつも同じことを感じる。あの粗野で下品で億面のないアメリカ人の中に、こんなものを作って演じて支持する人がいる。まあ、人口が多いからたくさんの人がいるということかな。一部の報道やまた聞きで物事を判断するのはやめよう。アメリカにだって中国にだって、話の通じる人は沢山いるはずだ。

# by zoofox | 2019-01-22 06:05 | テレビの話 | Comments(0)

寄留

玄関で郵便ポストを覗いた時に記憶が蘇る。そういえば最近、(○○様方)という書かれた宛名書きの郵便物は来ないな、と思った。そうだ、まだ「米穀通帳」のあった時代だ。「配給」という言葉が生きていた。

親戚中で都内に住んでいるのは私の家だけだった。所在地の確認や身分証明の代わりに米穀通帳は使われた。千葉県や埼玉県から都内の学校に通うときは、私の家の住所が「寄留先」として使われたらしい。お米屋さんに米穀通帳を持って米を買いに行ったことは記憶しているが、米穀通帳の記載については記憶がない。まだ漢字が読めない年頃だったのかもしれない。

「誰々さんの家には寄留している人がいる」と、口語では聞いたことがあるが、それがなんだかは知らなかった。子供としては誰だか知らない人の名前が書かれた郵便物が来るのは不思議だったが、不思議なことはたくさんある時代だった。ただ、本物の「寄留」と書類上の「寄留」とがあることは何となく知っていた。叔父が戦争から戻り、田舎には帰らずにしばらく家にいた。これが本物の寄留だった。

言葉はそのものが一種の「暗号」のようにいろいろな記憶を詰め込んでいる。つぶやくだけで時代が浮かんでくる。私は気にしないが同居人はプライバシーに敏感だ、通信販売や懸賞の応募には、架空の名前を使う。宅配や郵便局の人は住所が合っていれば配達してくれる。見知らぬ名で配達物が届くと、思わずにやりとしてしまう。

# by zoofox | 2019-01-21 06:02 | 子供時代 | Comments(0)

人生の楽園

この番組を見るたびに、「いいなあ、俺もこんな生活がしたいなあ」と言う人がいる(私ではない)。番組は毎週、概ね60歳を超えた夫婦が南の国や山の中で、農業をしたり「蕎麦屋さん」とか「パン屋さん」、「喫茶店」、「レストラン」などを開業して成功し、地元の人とも新しいコミュニケーションをとりながら暮らしている。そんな”成功譚”ばかりだ。私は流れで見ているが(こんなことできないな)と思う。毎週毎週テレビで紹介するほど、定年後の第二の人生を謳歌している人は多いのだろうか。

そういう人の方が、家族に囲まれ経済的にも私よりかなり恵まれて、私から見ると(人生充実して羨ましい)と思えるのだが、どうも本心は違うところにあるらしい。

私は、50歳のころ(田舎暮らしをしよう)と半ば本気で思っていたこともある。挫折の理由は、大きな手術と看護・介護で老後の計画は大きな影響を受けた。

狭い庭での「土壌改良」や木や草を育てることには抵抗がない。子供の頃はこの庭でも母が葉物野菜を作っていたし、手伝っていた。「少年回帰」とでも言おうか、土いじりは抵抗がない。しかし、度々農業が主力である母の田舎に帰ると、「農業生活をする体」は一朝一夕には出来ないなと承知している。40代とか50代から少しずつ始めていないと難しいなと思う。

今は、「人生の楽園」に出てくる人の暮らし方を(いいな)とは思うが、(私もしたいな)とは思わない。親戚を訪ねるようにふらりと遊びに行くにはいいだろうが、毎日、毎年を暮らせる自信がない。自然を相手にしながら地域コミュニティに参加するとなると、いい加減や手抜きの暮し方は許してくれないだろう。

番組の夫婦は、介護する親もなく何より二人が健康だ。こんなことは余程幸運でなければあり得ない。動機として「どうしてもこの仕事は嫌だ」とか「絶対にこれをやりたい」という強い意志と、計画的な貯金と準備がないと成功しない。やっと店を開いたら連れ合いが病気になった、そんなことも想定しないと計画は躓く。

どこで何をしようが「理想の生活」や「幸せだな」と感じるような生活は、いい意味であらゆることに「鈍感」にならないと出来ないと思う。表の顔だけ見て他人の生活を羨ましがるのはどうかな。裏の本音の部分は出てこない。私は自分勝手だし、拘りの多い気ままな今の暮らしが結局好きなんだろうな。「無い物ねだり」よりも、あるものを大切にすべきなんだろうな。

とはいえ、「自然に囲まれた暮らし」への憧れはずっとある。田舎にあるのは結構”忙しい”暮らしだ。 かといってお客さん面して二重生活できる程豊かでもないし。

# by zoofox | 2019-01-20 06:01 | 身の回りのこと | Comments(0)

可哀想は惚れたってこと

昨日は一日中4台のノートパソコンと格闘していました。ハードディスクをSSDに入れ替えて、アクチべーションをしてソフトも入れる・・・そのほかにドライバの設定と、パソコンの内部引っ越しは面倒な仕事です。(そう言えばしょっちゆうこんなことをしていたな)と思い出すが、回りの風景はついてこない。(何かに夢中になるのは、日常の何かを忘れるためだったのか)と思い当たる。ノートパソコンの性能や動きは覚えているが、どこで買ったか、何に使ったかは漠然としている。

手元で作業をしている時は、頭の中は変なことに引っかかる。レッツノートのハードディスクを引っ張り出して、SSDを入れ戻すのに試行錯誤していた、(もう壊してもいい)と思ってしまった。サイズが微妙に違うのだ。頭の中では「可哀想たあ惚れたってことよ」というフレーズがリフレインしている。人でも物でも、この世に生を受けた以上その能力を発揮できずに終わるのは可哀想だ、と思います。稀勢の里のことでも考えていたのかな。

この言葉、小じゃれた言葉です。昔から馴染みがある。青島幸夫や永六輔が言いそうな言葉だな、でも違う。何かの場面でかなり若い時に、聞いたか見たかした言葉だ。昔から知っている言葉なのに思い出せないともどかしい。ふいに袴に角帽の青年の姿が浮かぶ・・・そうだ三四郎だ。同時に「何とか is pity」だったかなとそこまでは思い出した。

色々経験を積んで言葉に自分自身の意味が加わってくると、若い時に読んだ言葉が別の言葉に見える。有島武郎の「愛は惜しみなく奪う」も目にした時は本当の意味が分からなかったが、今なら分かる気がする。

さあ、パソコンももういいかな。私的な感想では、「コア2にSSDで今でも十分通用する」と納得しております。人間だって機械だって「古けりゃ時代遅れ」と思うのは間違いだ。使い方次第で蘇ることもある。

# by zoofox | 2019-01-19 06:01 | 自分のこと | Comments(0)

ザ・サークル

エマ・ワトソンとトム・ハンクスが主演するアメリカの映画を観た。(ハーマイオニーも大きくなったな)と思いながら見ていると、出だしは(これはカルトの話かな)と思った。SFに分類されるかスリラーか際どいところだ。粗筋をここでなぞっても仕方ない。どうも「サークル」が、インターネット、SNSが暴走した場合の先行きを示しているらしい。何もかも晒してネットで拡散して「情報を知ることが平等とも違う」という批判にも取れるし、その逆の「情報をもっとクリヤーにすることが民主的だ」とも取れる。情報社会の負の部分を映像化している。

映画を観て考え込みはしないが、思い当たることが多い。隠しテーマは「プライバシーの侵害と尊重」もあるかなと思った。

日頃から、グーグルにしても、アマゾン、ヤフーにしても、事前に幾ら断り書きがあると言っても、人のプライバシーに踏み込みすぎだなと感じている。一度閲覧すると、次からいきなりポップアップの広告が出るのはやり過ぎだ。(使いたくないな)とは思いながら、つい無精してネット通販を利用する。個人のプライバシーはどんどん流れて、どこかに貯められていく。インターネットではもう匿名に隠れることはできない時代だ。そんなことが嫌なら、パソコンはネットに繋がず「ワープロ」や「計算機」として使えばいい、と言われているようだ。

こんな映画が気になったのは、先週から久しぶりにパソコンをいじっているからだ。まずセキュリティソフトを買った。「レッツノート」の中古を1台買った。「12.1インチ i5 Windows10とOffice2016 SSDの500GB RAM8GB」でまあ値頃だった。注文してから、60GBSSD付と5400回転HDD付の「ThinkPad X60」が2台出てきた。SSDの方は未だに充分使える速さだ。よく在庫確認をしないで注文して失敗したが、X60は大きめのSSDに入れ替えることにした。500GBと120GBのSSDを2台ずつ買った。(そら、始まった)。

Windows10は発売に先駆けて無料でダウンロードしたことがあるが、あまりに個人情報を聞きたがるのでずっと敬遠していた。使い慣れたWindows7がじきにサポートをやめるというので仕方なしだ。こんな商売を許しているから、パソコン業界はソフト販売がとんでもない儲かり方をする。だから中国も「オレにもやらせろ」と参入する。

届いたノートは値段なりだ。期待するのが間違いだ。スピードは速い(特別な負化をかけないから当然か)、私の手持ちの方が余程綺麗だ。これもSSDに入れ替えよう。必要な人に分けても1台余る。

こんなことをしていたから、「ザ・サークル」が気になった。「情報の共有」、「人と繋がる」、「個人情報の集積」、「グローバル」、「ファミリー」等々、色々のテーマとキーワードがあるが、1時間半の映画では描ききれない。何となく「やり過ぎはいかん」で終わってしまった。トム・ハンクスが出ているのに掘り下げが浅い。アメリカ映画ではスマホを使う場面でも殆どが電話とテレビ電話だ。日本人とは遣い方が違うようだな。

何事も突き詰めて議論せず、環境を整えずに、「仮想通貨」、「電子決済」、「ポイント還元」という方法が実生活に食い込んでくるのは嫌だな。しかも「電子決済だけに恩典を与える」と言うのは、アニメや映画の世界と同じだ。「下手な考え休むに似たり」ではなくて「下手な考えは日本を危なくする」と思うけれどな。スマホやWEBで拡散されて、日本の良いところがどんどん外国人に食い荒らされたり、今まで見向きもしなかった「盆栽」が高額だと知ると、ごっそり盗む奴がいる。情報の扱いを誤る予兆がもう出ている。「知らせればいい」が間違いだと実生活が教えている。恐い世の中になったな。

# by zoofox | 2019-01-18 06:06 | 考えること | Comments(0)

山茶花に水

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写真を囓った人は「日の丸構図」といって馬鹿にするが、私は真ん中に大きく撮るのが好きだ。玄関の花で元気なのはこれだけだ。椿は2本相次いで枯れてしまった。母は花が好きで父は花のつく木が好きだった。椿も山茶花も車の上に縛り付けて、父と「植木市」で買ってきたものだ。道を挟んで隣に賃貸マンションができてから、地下水の流れが変わったのか我が家の植木が相次いで「頓死」する。草木もペットと同じで世話をすると、なついてくる。それが枯れるのはつらい。
# by zoofox | 2019-01-17 10:25 | 身の回りのこと | Comments(0)

何かが違う

初めは(自分が年取ったせいかな)と漠然と思っていた。JOCの会長が贈賄容疑でフランスから調べを受けているという。随分前の話題だ。「申し訳ない。確かに金を渡してオリンピックを買いました」と認めているのだから、準備中の物事も含めて日本は二回目の「オリンピック辞退」を表明すればいい。IOCも今更そうですかとは言えないだろう。オリンピック自体に金もかかるが、その準備のために私の想像ができないほどのお金が動いている。民間の建築ラッシュ、マンションラッシュも消費税増税とオリンピックでなんとなく、雰囲気で動いている。こんないい加減な見込みで世の中が動いていいのだろうか。

韓国と中国に目が行って、俄か愛国者が増えている。私も日本の領海が侵されれば、面白くはない。アメリカとの関係や沖縄の米軍基地問題も、米国が望んでいないと言っているのにおかしな話だ。どっちを向いても(なんか変だな)と思うことばかりだ。前もって期日がきまっての元号変更も「力技」に感じる。

地球温暖化はどこまで本当のことだろう。アメリカの原油採掘量はとうとうベールを脱いだ。ロシアの軍事力は何であんなに強いのか。日本の首相は外国で何を言っているのか国内では聞こえない。ヨーロッパもまとまったかと思うとイギリスが騒いで連合から脱退する。何が正しくて何が正しくないのか、不思議な現象だ。日本だけじゃないというところが怖い。

生活インフラが日本はとても弱体化しているように見える。給料や年金の額だけではない、「生活のゆとりと豊かさ」がすっかり鳴りをひそめてしまった。外国の観光映画を見るときに人々の生活にフォーカスすれば(やっぱりな)と感じることが多い。あえて誰が悪いとか、何がいけないという問題でもなさそうだ。世界中がばらばらになっている気がする。何事もなければいいが。

# by zoofox | 2019-01-17 06:08 | 気になること | Comments(0)

コンビニ

人間の生活習慣はあっという間に変わるもんだな、ふと気がついた(最近コンビに行っていないな)。あるとき昔からの酒屋さんが店を畳んでコンビニになった。近いし商品構成は以前と似たようなものだし、切手も買える。かなりの期間重宝していた。第一相手をする店の人が変わらないのは利点だった。そんなコンビにも店主が交代するころ貸店舗になった。子供の代は「商売」が好きではないらしい。一度便利を感じたものがなくなると突然不便になる。スーパーに行くようになってそれもようやく慣れたころ、スーパーがなくなり、ほとんど同時期、私の家のすぐそばにコンビニができた。続いて別の大きなスーパーができた。ことほど左様に世の中の動きは目まぐるしい。日常の買い物をする人は翻弄されてしまう。

「ずっと同じ店で買い物をする」という昔からの行為ができにくくなっている。今度のコンビには店員さんにも外国人が多い。コンビニの当初は「酒屋さん」、「パン屋さん」の延長で店を開くケースが目に付いた。個店の時と同じ顔がレジにあれば声をかけたり世間話もしやすい。サービスが多様になっても、近くても初めての顔が入れ替わると、あまり愛着は感じない。

私のなじみのコンビニは、会社の裏にあった「パン屋さん」が改装をして変わったものだ。契約は知らないが、当初は自前のパンや弁当が店頭においてあったと思う。だんだん「コンビニメニュー」になった。それでもレジの近くに置く小さな品物は「大福」であったり「肉まん」だったり昔の面影を残していた。

毎日のことだから昼飯は困る。同じところに何年も何十年も勤めると、昼食に通う店も限られてくる。だから、時々浮気をする。駅前の「立ち食いそば」だったり、このコンビニの「おにぎりとヌードル」だったりする。今考えると(体に悪いものを食べていたな)と気がつくが、その当時は早く食べてゲームをするか昼寝するか、ともかく「食事は早ければいい」という時期もあった。しかし、濃い味はすぐに飽きる。あるときから弁当持参に変わり、定年まで続いた。(そうか、あの時コンビニと切れたのか)とやっと気がつく。

何故コンビニが増え、テナントの外食産業が増えてくるのか。身近な現象だがそんなに歴史がある訳ではない。「社会の要求であり、人間の暮らし方が多様になったからだ」と、考えもせずに結論を出したがるが、私は「人間の生活の多様性」に合わせたのではなく、「人件費や商品の歩止まり」を考えて「一番儲かるシステム」にしたんだな、と感じている。フランチャイズ・オーナー制、長時間労働、商品の一括管理、イメージ宣伝による客への動機付け等、個店では出来ない方法を個店と同じ規模の売り場で展開している。値引きしないで売れる方法を確立してきた個性のない店作り。商品の陳列がノウハウになり、客が物を探す。新しいコンビニでも違和感を与えない。

何かコンビニには現代の商売ノウハウが詰まっている。けして「買いやすい」とは思わないが。のべ単のサービス提供は味気ない素人の仕事だ。そこに魅力を感じる向きも多い。人と触れあいたくない人にはオアシスだろうな。

# by zoofox | 2019-01-16 05:37 | 身の回りのこと | Comments(0)

自分が嫌いになる日

何か調子が出ないな、と思うことがある。抽象的というか個人的というか、「個人の感覚」に類する部分で、一番表しにくい部分でもある。腹が痛い、寒気がする、足が痛いというような他人に説明しやすい物事と違って容易に共感を生まない種類の感覚だ。(なんでかな)という原因については二つばかり思い当たる。精神的なものと物理的なものだ。こんなことに関わり合って、少ない残りの人生をグダグダと過ごすのは厭なんだが、何故かそうなる。

私には「好きな私」と「嫌いな私」がある。別に精神が分割されている訳ではない。自分からみていると、(今どちらの私なのか)というのは判別しづらい。後になって(あの時はこうだったな)と気がつく。

昨年暮れから一月の初めにかけて、なんとなく「弱い私がいたな」と気がつく。今でもその余韻があるが、詳しいことはさすがに書けない。理由が言えない弁明というのは難しいな。今の私からすると(あんまり自分を嫌うなよ)と声をかけてやりたい。自分を嫌いすぎると自暴自棄になる。回りが見えなくなる。思考が奥へ奥へと進む傾向がある。若いころなら「集中力」という言葉で簡単に説明がついたが、今は特に集中をしなければならないことも理由もない。適当な言葉がないから「思考」というが、筋道が立っている思考とは違う。自分のことを考えすぎるということかな。

自己愛、自己憐憫・・・そんなもんじゃないな。そんな大層なことじゃない。こんな「非生産的なこと」を考え続けるのが、「私の嫌いな私」の特徴だ。だんだん自分でも面倒になってきた。簡単に言えば副次的なものを含めて「死が怖い」時期に入った。自分の死を考える泥沼は避けて通れない。辛抱してじっと衝動が去るのを待つしかない。考え続ければすぐに消える。


今日は何度目かの歯医者に行って来た。奥歯はレントゲンを撮って「温存療法」だそうだ。「○○さんは歯が丈夫だったんでしょう。急いで抜くことはありません」と言われた。痛みが激しくなければ、様子見が続く。私はせっかちだから「インプラントは出来るの」と最初に尋ねたが、医者はあまり肯定的ではなかった。ここは待合室に時間通りに、きちんとした身なりの高齢者が多い。何となく安心できる歯医者というのがあるんだな。

# by zoofox | 2019-01-15 15:47 | 自分のこと | Comments(0)

ハンク・スノー

私は「ハンク・スノー」の音楽が好きだ。同様に「ブラザース・フォー」も好きだ。
好きだと言っても「体感的に」好きなだけで、アメリカが好きなわけではない。カントリー・ミュージックは非常に簡単で、単純なだけに心に残る。カントリー&ウエスタン、西部劇、インデアンの虐殺、差別などは私の中では同じジャンルだ。ついでに何故か「アーミッシュ」の人たちの姿も思い浮かぶ。彼らや歴史について何を知っているのかと問われれば困る。私はアウト・プットとしてのカントリー&エウスタンしか知らない。

西部開拓史というのはアメリカが他国から触って欲しくない歴史ではないのかな、と思う。アメリカの恥部だ。このような歌を歌い、ハーモニカとバンジョーが出てくる。夕方の牧場、仲間内の息抜き。しかし、そこにはよそ者を排除する「差別の冷たい目」も感じる。まあ、日本でいえば昔の宴会ソング、♪一つ出たホイの~ヤサホイのホイ♪と同じようなものじゃないのかな。

日本でも妙に日本語の上手な外人が増え、私たちの土着の文化にも土足で入ってくる。単に聞くのが好きだ、というのは害がないが、ウエスタンスタイルをしてテンガロンハットを被り、下手な英語で歌われたら「そりゃあ違うよ」と白い目を向けるかもしれない。カントリー&ウエスタンは好きだが日本人の入れない垣根をいつも感じる。

# by zoofox | 2019-01-15 06:01 | 自分のこと | Comments(0)

何のために働くのか

今年は「自分の整理」を目標の一つにしたい。ぼつぼつと思い当たったものから順に記録していこう。でも、これは目録というか索引のようなもので、ほんの20分や30分考えたところで綺麗さっぱり整理は出来ない。

あまりに当たり前すぎて、自分は「何のために働く(いた)のか」ということは今まで考えたこともない。このように私には迂闊なことは幾つもある。「働くこと」、「仕事をすること」、「人生を生きること」、完成度はともかくこの世に生を受けた誰もが淡々と行っていることだ。改めてこんな問いを発するのは、きっと私が「何かを確認したい」からだろう。古い言葉で言えば「おまんまを食べるため」と言ってしまえば明快な結論だがそれではあまりにあっけない。

「働くことが好きだ」というのは、いろいろな人がいろいろな所で言っている。私もそう思ってきた。しかし、いざ働き終わってみると(本当にそうかな)という疑問は残る。少しのごまかしと見栄がありはしないか。働くことは面倒でしんどい、その苦行を自分が悠々と乗り越えていけるという幻想を包み隠す言葉ではないのか。私達の時代は誰もが渋々定年まで勤めて、何となくアルバイトをしてやがて年金生活に入る。そんな筋道が当たり前だった。そんな社会では「働かない」という選択肢は隠されて悪いことのような「印象」があった。

私達が「異端」と考えていた「働かない選択」が近年は個人の都合や意志だけではなく、適応障害や親の介護、何となくドロップアウト、仕事そのものの変化という中で、「働けないから働かない」という条件が新たに生まれてきた。もうこうなると私の想定外だ。思わず(大変だな)と思うが、判断中止で立ち止まってしまう。あまりに当たり前で考えもしなかった事項が、実は重大な社会の欠陥を示している、こんなことは沢山ある。今まで考えもしなかったことをちょっと考えてみると、すぐに突き当たる。

専業主婦や自営業という職業がだんだん狭められている。奥さん方は今や誰でも何かしら働いている。単に収入を増やすということだけでもなさそうだ。会社の働き方もいつの間にか「派遣」という言葉が当たり前になっている。代わりに「臨時職(工)員」という言葉が消えた。同時に「季節労働者」もなくなった。社会の階層に「派遣会社」や「アルバイト社員のみの会社」も当たり前になっている。「失業率は落ちている」確かにそうらしいが、恒常的に人手が必要なら、一時的な人手の募集では収まらない筈なのに収めている。多くの人が就業しても個人の満足は遠いものになった。

(そんなに社会は複雑になったのかな)と思うが、そんな兆候はない。誰かがどこかで「今までの方法は効率が悪い」と判断して社会を引っ張っている。ここまで考えると「働く」という言葉が虚しく感じる。私の持論は「働くことで人間は成長する」だったが、これも虚しく感じる。人を成長させられない仕事は本物の仕事でないような気がする。・・・もうこんな考えが通用しない世の中になってしまった。

# by zoofox | 2019-01-14 06:05 | 考えること | Comments(0)

お食い初め

本日は姪の子供の「お食い初め」で、夫と妻の両親が孫を囲んで会食するという。私の所に「唐揚げつくって」というリクエストがあり、朝から作っていた。唐揚げは赤ちゃんが食べられるでもなし、姪の好物だ。わざわざ遠くまで持ってきてくれという感覚が分からない。近所でも買えるだろうに。姪は卵アレルギーがあって、随分食べ物には苦労した。卵や鳥が食べられたのは20才を過ぎてからだろう。

ところでこの「お食い初め」って変な言葉だな。「お」がついて「食う」を修飾している。「食う」というのは言葉自体がお祝いには似つかわしくないと思うのだが。一才の誕生日には「一升餅」を背負わせてこの姪も祖母の前を這っていた。

月日の経つのは早い。小さな赤ちゃんはあっという間に、ぷくぷくの赤ちゃんに変身した。

この子が大きくなる頃は住みやすい国だといいな。

# by zoofox | 2019-01-13 09:45 | 身の回りのこと | Comments(2)

父さんの帽子

父は短軀の人だった。町道場のエースで草相撲の花形だったそうだ。背は低くても胸板は厚く腕は太かった。襟を閉めるのが嫌いで真冬でもシャツをはだけて、胸毛がはみ出していた。何時もにこにことした好々爺の思い出しかない。その父は私がもの心ついた頃には何時も野球帽をかぶっていた。阿弥陀にかぶった野球帽の下でにこにこと笑っている写真がある。晩年は黒い毛糸の帽子を好んで被っていた。妹が就職してから毛糸で自分で編んだものだ。私の記憶では代が変わっただろうが20年くらいは被っていた気がする。

私も父と同じような頭になって、仕事を辞めてからは面倒で丸坊主にしている。私はゴルフ好きで、夏物冬物とキャップを沢山持っていたが、丸坊主にしてみると気持ちはいいがキャップでは寒い。何年か前から毛糸の帽子を赤、黒、茶、緑と各色揃えて、外出の時は上着に合わせて被っていた。父と違うのは、何時もにこにことしてた顔ではいられない性分だろう。

(きっと冬は頭が寒かったんだろうな)と今頃気がつく。外から見て「寒い」というのと実際に「寒い」は少し違う。私は一日中家の中でも毛糸の帽子だ。体の中でも頭は、一番先に汗をかくし、一番先に寒さを感じる。勤めている時は「スポーツ刈り」だった。ほんの数センチの長さが寒さを避けているものだな。


# by zoofox | 2019-01-12 06:16 | 思い出 | Comments(0)

パソコン発掘 ThinkPad X60

今年は年頭から「パソコンの写真」ばかりになりました。身辺整理の第二弾です。奥にあるのは「バーサプロ」の三台目か四台目、手前は「ThinkPadX60」です。セキュリティの問題でこの次の「X61」という機種は「指紋認証」などが追加され、何となく扱いづらいところがありますが、先行のX60は単純で素直な機種です。中国へ移籍直前か移籍第一号の製品です。コア2の1.6か1.66で、新品で買いました。当時は小さすぎてあまり使っていません。まだキーは未使用に見えます。忘れていましたが、これ自分でSSDに載せ変えました。HDDをSSDの60GBにしてあります。windows7とofficeの2007、これだけでディスクの半分近くが埋まります。まあ「字を書くだけ」という割り切りではこれでも充分です。

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押し入れから発掘して、(使わなくて申し訳ない)という感じがします。使わないうちに古くなってしまった。バーサプロの1.06に比べればサクサクと動きます。当時は、今流行のSSDも40GBと60GBが値頃でそれ以上はとんでもない値段がしました。出来上がったら(これで良し)と一安心してしまい込んだ。そんな経過でしょう。レノボになると「プラスティックの質感」がしっとりからザラザラに代わります。ThinkPadのいいところは他のノートに比べて、交換できる部品が案外安いところかな。分解もしやすいように思います。悪いところは「燃費」と重量かな。

何時買ったんでしょうかね。手術で入院する時は、シャープのメビウスを持って行こうかと電気屋さんの店頭で悩んだ記憶があります。(死んじゃうかも知れないから贅沢してもいいかな)と考えていたのですが、結局買わなかった。その随分後になります。でも12,3年以上は私の身辺にあったはずです。今触ってみると、小さすぎずX40、X41という名機の伝統を感じます。まあ、見ないで捨てないで良かった。

実際に使ってみると、キーは打ちやすい部類に入ると思えます。右下にある矢印の上段にある「ウェブ移動キー」は、ワープロならば実害はないが、このブログを書きながらうっかり小指で触ると、前のページや次のページに飛んで「打ちかけ」はあっさり消えてしまう。今更「キーカスタマイズ」も面倒だし困ったな。パソコンはメーカー出しの時に、本体機能とは直接関係のない色々なソフトやマシン独特の機能を盛り込んでいるが、そんなものが後から面倒になる事もある。長らく放って置いたのにバッテリーは2時間近く保つ。何となく可愛いですね。

久しぶりにAC電源に繋ぐと、まあ7の更新の多いこと。最後の最後なんでしょうね。



# by zoofox | 2019-01-11 20:01 | 身の回りのこと | Comments(0)

エッジの立った肉

朝、「大根汁」を作っていた。コタツの上で鍋を作る習慣が何時の間にかなくなった。要するに食べる人数が二人では鍋は美味しくない。小さめの寸胴で二日分程の鍋を作っておく。鍋と言うより「野菜スープ」に近い。味噌を減らしていく内に、「塩味ちゃんこ」が定番になった。三食この野菜沢山のスープは欠かせない。肩ロースを酒に漬けて細かく切り出汁にしていた。そんな手順の中で、(最近エッジの立った肉を食っていないな・・・)と気が付く。

エッジの立った肉とは何のことはない「ステーキ」だ。元々野菜食の家だが、だんだん肉を食べるようになった。鯨肉→豚肉→牛肉→鶏肉の順序だっただろう。この「肉に対する特別な思い」が、今の私の成人病の原因だ。ニワトリは飼っていたが、あくまで卵を取るためだった。

出張外食の時代は、昼、夜と「焼肉定食」というのは珍しくなかった。時折ホテルのフルコースでステーキは食べていたが、特段の思いはなかった。ステーキが美味しいなと思い始めたのは、大阪に住みついてからだ。安月給のサラリーマンでも、週に何日かは「ステーキ定食」が食べられた。チェーン店での千円以下のメニューで、自分の好みのグラム数で注文する。ご飯と味噌汁にステーキを醤油と辛子で食べる。この組み合わせが珍しく、美味しかった。(大阪は食べ物が安くて美味いな)と感じていた。

今考えると肉食文化は、テレビに出る「柔らかいですね~、とろけますねえ~」と、コメンテーターが異口同音に言う「柔らかい」とは別の次元だ。牛肉は多少歯ごたえがあって、噛みしめると肉の味が広がる方が好みに合う。日本産か外国産かは知らないが、大阪では手軽に安価にステーキが楽しめた。

後年、事務所の隣が外食レストランだったので、時々若者や娘達を連れて肉を食べさせた。この頃はもう固いアメリカ牛だった気がする。美味しいとは思わないが「肉を食った」という感じは与えてくれる。沖縄でも東京でも「庶民の行く店」では、「エッジの立った肉」は食べた記憶はない。最近肉屋が減少気味だし、店頭に「国産ステーキ肉」が出ていない。カレー用の肉もあまり見ない。国民の需要が少ないのか、値段が高すぎて買わないから置かないのか分からない。

私にとっては元々後から来た文化だから、肉はなくても支障はない。しかし、たまに、「ステーキ食べたいな」と思うことがある。もちろん手のこんだソースは要らない。醤油と辛子でいい。

# by zoofox | 2019-01-11 08:55 | 身の回りのこと | Comments(0)

兼高かおるさん

兼高さんが90歳で亡くなられた(合掌)。一つの番組で時代を創った人だった。日曜の朝10半か11時から一時間、世界の国々を回ってレポートする「兼高かおる世界の旅」は、同様の企画がない時代に、わくわくとするような楽しさを与えてくれた。庶民が外国に旅行するなど考えられない時代、1ドルが360円に固定されている時代だっただったかな。知らない国へ行って、英語で意思疎通する姿は溌剌として見えた。その後○大卒とか○○大学に留学という人は沢山見るが、当時の兼高さんのように、自由に意思疎通をしていた人を見たことがない。おまけに美貌だし、運動神経もいい。芥川隆行アナウンサーとの掛け合いは、テレビにおける「上品言葉」の代表格だった気がする。

何しろ飛行機は珍しいし、身の回りで外国へ行ったことのある人など、いない時代だ。

だんだん懐かしい人が亡くなる。仕方ないな。

兼高さんとは関連ないが、同時に「ジョージ・ルイカー」と「ロイ・ジェームス」という外人タレントを思い出した。白人は全てお金持ちのアメリカ人に見えていた時代だ。ジョージ・ルイカーは多少片言、ロイ・ジェームスは達者な日本語だったと思う。どちらかがトルコの人だと思ったが、国籍はともかく、テレビやラジオで外国人が日本を流暢に話すという「外タレブーム」の先駆けだった。今と違って「占領軍」の姿も直接見ない地区では、外人そのものが珍しかった。

結局、自分たちが選んだのか敗戦の結果か、「日本人そのもの」が外国から途絶させられていた時代の「風穴」のような存在だったんだろうな。

# by zoofox | 2019-01-11 05:34 | テレビの話 | Comments(0)