独りの戯言


by zoofox

プロフィールを見る
画像一覧

カテゴリ

全体
気になること
政治って
車の話
テレビの話
自分のこと
戦争
映画を見て
思い出
子供について
詩文
若い日
カメラ
未分類

以前の記事

2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月

お気に入りブログ

生きる。撮る。

最新のコメント

> memmonさん ..
by zoofox at 12:46
おはようございます。 ..
by memmon at 10:07
memmon様 お知らせ..
by zoofox at 23:54
memmon様 その話は..
by zoofox at 22:31
先日、2日ほどまえかなぁ..
by memmon at 19:18
> memmonさん、ご..
by zoofox at 16:01
zoofoxさん、おはよ..
by memmon at 09:56
> memmon 様 ..
by zoofox at 16:45
おはようございます。 ..
by memmon at 08:34
> memmonさん ..
by zoofox at 10:07

メモ帳

最新のトラックバック

venuscozy.com
from venuscozy.com
http://while..
from http://whileli..
http://while..
from http://whileli..
http://www.v..
from http://www.val..

ライフログ

検索

その他のジャンル

ブログパーツ

最新の記事

藤真理子さん
at 2018-01-24 13:11
尺度とスパンと価値観
at 2018-01-24 09:21
雪が降った
at 2018-01-23 09:33
今日は雪
at 2018-01-22 16:04
プライマリー・バランス
at 2018-01-22 15:27
西部ゼミナール
at 2018-01-22 09:17
西部邁さん
at 2018-01-22 00:19
ゴムまり娘
at 2018-01-20 09:24
移民の国
at 2018-01-19 10:00
孤独担当相
at 2018-01-18 22:54
フォルダーという引き出し
at 2018-01-18 09:16
阪神大震災の日
at 2018-01-17 22:00
コンテンダー
at 2018-01-16 23:49
山中伸弥教授
at 2018-01-16 16:38
心温まる話
at 2018-01-16 09:24
「80-50」
at 2018-01-15 17:23
角煮再び
at 2018-01-15 09:26
寒さ対策
at 2018-01-14 22:13
ICAN
at 2018-01-14 10:27
ふと思い出す
at 2018-01-13 13:40

外部リンク

ファン

記事ランキング

ブログジャンル

シニアライフ
カメラ

画像一覧

2017年 12月 09日 ( 2 )

残された習慣

父と母と祖母が存命に頃は、我が家は子育ての真っ最中で経済的な余裕もなかった。「お歳暮」は限られた人とだけやりとりしていたように思う。東京にも魚屋とは別に「貝屋さん」という店があって、ハマグリ、あさり、シジミと泥鰌を商っていた。木箱に一つおがくずを詰めてハマグリを、父と一緒に亀戸の駅まで汽車便で出しに行った事を覚えている。母の里には家族中で疎開してお世話になった名残だったのだろう。後は郷里から出てきて近所で開業していた内科医の先生。家の子供は全部世話になったが、金を払っていたのかいなかったのか私は知らない。一年お世話になったお礼だった。

何か戴いてもこちらには名物があるはずもないし、父の田舎は私達の住んでいるところよりも余程都会になった。その前はリヤカーで、山東菜を山のように貰いに行った。母の田舎は米の産地だが、当時は逆鞘の時代で今のように10kg、20kgと送ってはくれず、柿や栗や餅と一緒に餅米を送ってもらい、正月に備えた。今で言う「お歳暮」とは性格が違う。父の里も母の里も我が家の窮状を知っていて、正月用に送ってくれていたのだろう。田舎の方が金持ちだったのだ。

父が亡くなって母は80歳を過ぎた頃から、経済的にも余裕ができ、同じような年寄りになった母の兄弟姉妹の家に、雪深い里では見ることのない、ブドウやミカンを贈るようになった。お返しには「米」が届く。母が亡くなった後もこの習慣を同居人が受け継いでいる。出し人は私だから、「荷物が着いたよ」と電話が来る、そこで近況を話し合う。同居人は太っ腹だから、とんでもないいいものを贈っているらしい。「甘くて美味しいですよ」とお礼を言われても、私はほとんどミカンは食べないし、何を贈ったかも知らない。長野県は果樹王国だが新潟は「柿」までだ。その後は雪に埋もれてしまう。年寄りが噂話をしながらこたつの中で食べてくれればそれでいい。これも普通の「お歳暮」とは性格が違う気がする。

宅急便のルート通りにお礼の電話が入る。私が生まれた三叉路の少し手前の家から、「先週お父さんが亡くなって仏壇に供えた」という電話が、はがきより先に来た。元気のいい爺さんだった(合掌)。年は95歳と聞いた。母の妹分の旦那だからそうなんだなと改めて年を知った。

[PR]
by zoofox | 2017-12-09 22:56 | Comments(0)

人の生き方それぞれ

野村沙知代さんが亡くなった。旦那が82歳、彼女は少し年上。テレビに出る人はきちんと退職したり引退する人は少ない。(この頃姿を見ないな)と思って忘れてしまった頃に訃報が出る。私は普段から「何時死んでもいい」と言っているが、生きている限りそれは本音ではない。先が見えてきて自分の支度ができたら、初めてこの言葉が出るだろう。一生出ないかもしれない。書き言葉と本音は少し違う。

私は他人に対して、「こいつは死んだ方がいい」とか「この野郎殺してやりたい」と思うことは滅多にない。一瞬の感情でそんな風に思うことがあっても、本気で人の死を願ったことはない。本気で愛した人もいないし、本気で憎んだ人もいない。頭が悪いのか、感情のアンテナが感度が悪いのか、(ま、どうでもいいや)と(何とかなる)で何とかなってきた。どう足掻いてもどうにもならないことは沢山ある。

中学一年の時の担任が国語の先生だった。一年生とも対等に話をする若い教師だった。何かの作文で、「私は自分の葬式に花輪が沢山贈られるような人になりたい」と書いたことがある。当時は、葬式の花輪は他人の家の前まで並べても許される、一種のステータスだった。教室での話なのか放課後の話か覚えてはいない。「君なあ・・・、」先生は子供の言葉にも真剣に考えていたようだ。正面から否定はされなかった。いろいろな答えがある筈だから、じっくり考えなさい。という意味のことを伝えた。言われたのか返された作文に書いてあったのか、今でははっきり覚えていない。

今なら先生の困惑がはっきり分かる。「生き方や希望」を考えるための作文に、花輪の数を書かれたのでは指導のしようがない。そうかと言って正面から全否定する問題でもない。私は、はっきり批評しない先生の態度に、(これが正解じゃないんだな)と子供なりに考えた。一から十まで、問題から答えまで教えてしまうのが教育ではない。考えるためのヒントを与えるのが教師の役目だ。生徒は考え方を学べればいい。答えは自分で出す。

野村沙知代さんもいろいろ面白い人生を歩んだんだろうな。最後は最愛の旦那に看取られて。面白いおばちゃんだった。(合掌)

[PR]
by zoofox | 2017-12-09 09:06 | Comments(0)